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【小説】『鰤大根』 6

 翌朝、冷たい水滴が窓に浮かび、光り輝いていた。

 宿泊客は、立山連峰から望む朝日が綺麗だったと上機嫌で民宿をあとにした。

 「立山の間」の客に朝食を運んだ。

 女は、昨夕の朧雲が嘘のような冬晴れを見上げていた。

「おじさんの言うとおり、朝日の立山は綺麗でした」

 成美は、疲れた様子もなく、生き生きとし顔をしていた。

 窓ガラスに映った千鶴の顔は、目の下の隈がさらに大きくなり、明らかに疲れた顔をしていた。

「今日はいいお天気で良かったです」

 当たり障りのない会話をし、成美に顔を見られないようにして部屋を出た。

 食器を下げに行くと、成美は昨日の鰤大根が美味しかったと目尻に皺を作った。

「あれは、板前さんが作ったんですか?」

「い、いえ、うちのような小さい民宿は板前さんなんて。全部、うちの主人と私が作ります」

 母が作ったのだとは言えなかった。

「そうなんですか、女将さんが」

 目を輝かせて成美は言った。

「あのう、女将さん、良かったら、あたしに鰤大根の作り方教えてもらえませんか?」

「えっ、わ、私が……」

「はい、是非。実は、今度結婚するんです」

 頬が熱くなった。

 結婚。

 この子が結婚。そう、幸せになるのね。そうなのね。

 千鶴は成美を抱きしめたかった。彼女を抱きしめて、おいおいと声を上げて泣きたかった。幸せになってね、幸せになってねと、母の言葉をかけたかった。

「そ、それは、それは、おめでとうございます」

 精一杯の笑顔を作って口から出たのは、民宿の女将としての祝いの言葉だった。

「ありがとうございます。それで、結婚する相手が私と一回りも違って、料理の好みが全然違うんですよ。あたしは洋食が好きで、パスタ料理とか得意なんですけど、彼は和食が好きなんです。お袋の味とか。でも、あたし、お母さんがいないし、お祖母ちゃんも亡くなって、お袋の味なんか分からないし。だから、あの鰤大根なら彼も喜んでくれると思って」

 すべて自分のせいだ。母の味を知らずに育ったのは、すべて自分が悪いからだ。

 千鶴は、込み上げてくる涙を必死になって堪えた。

「昨晩の鰤大根、とっても美味しかったんです。なんかすごく優しい味っていうか、それでいて力強いというか。母の味……、お母さんの料理って食べたことがないけど、多分お母さんならあんな優しい味の料理を食べさせてくれるんだろうなって思って。そしたら、急に涙が出てきて」

 成美の頬に熱い想いが流れていった。

 千鶴も、湧き上がる想いを押し止める必要はなかった。

「変ですね、あたしって」

「そんなことないわよ」

 緩やかに温かみを帯びる冬の日差しが、窓に吸い付く光の輝きをゆっくりと拭き取っていった。

 涙が乾いて、二人はほっと溜息を吐いた。それが馬鹿に一緒だったので、二人は可笑しくなって笑い出した。

 ええ、教えましょう。結婚するあなたに、母の味を教えましょう。母として何もすることができなかった女が、母としてできる唯一のこと。結婚資金も、花嫁道具も持たせてやれなかった、駄目な母からのお祝いとして。

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