【歴史小説】『法隆寺燃ゆ』 第三章「皇女たちの憂鬱」 前編 1
世が大化と改まった2年目、小墾田宮(おはりたのみや)は静かな正月を迎えていた。
この宮を訪れる人はいない。
それもそのはず、この宮の主は、半年前に大王(おおきみ)の位から降り、現大王の宮も、去年の12月9日に難波へと移っていったからである。
宮だけでなく、飛鳥全体がひっそりと静まり返っていた。
その小墾田宮の主、宝皇女(たからのひめみこ)は、脇息に凭れ掛りながら漢籍を繙いている。
政務を離れた彼女は、日長一日、こうして書物を読んで時を過ごすしかなかった。
飛鳥の地に、唐に勝る都を築く、それが彼女の夢であったし、そのために大王となって力を尽くしてきた。
が、その夢も、蘇我本家の崩壊とともに露の如く消えてしまう。
彼女は、「蘇我家が王位を狙っている」という、弟 ―― 軽皇子(かるのみこ)の言葉に騙され、蘇我征伐の命令を出してしまったが、その行為が彼女自身の首を絞めることとなり、おまけに蘇我本家の恨みまで買う羽目となってしまった。
蘇我本家が、大王の位を狙っているはずなどなかった。
彼らは大王に妃を出す家柄であり、大王家なくして蘇我本家はありえなかったのである。
それに、飛鳥の都建設に尽力してくれたのも彼らだ。
他の豪族が、人員・資材の派出を渋る中、全ての人民・土地を大王の所有にするという改革案を推し進めていたのが、蘇我入鹿(そがのいるか)である。
宝皇女は、その蘇我本家滅亡の片棒を担がされただけでなく、蘇我本家の膨張を招いたという理由で強制的に退位させられるという不名誉まで背負わされ、挙句の果に、都を難波に移されるという三重苦を味合わされることとなったのである。
夢を失った彼女は、最早抜け殻であった。
併せて、毎夜のように枕元に現れる蘇我蝦夷(そがのえみし)や入鹿の姿に怯え、一睡もすることができなかった。
彼女は疲れ切っていた。
このまま死んでしまえたら、どんなに楽であろうか………………
いっそのこと、自ら命を絶つ方が良いのだろうか。
彼女の頭の中は、「死」の文字で一杯である。
―― あなたのためにここまでしてきたのに………………
―― あなたに会いたいがために…………………
彼女は、いつの間にか夢の中にいた………………夢の中の彼女は、「あなた」に出会った頃の少女に戻っていた。
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