【歴史・時代小説】『本能寺燃ゆ』第二章「性愛の山」 24
「婆、来たぞ」
薄暗い奥の方に声をかけると、
「うるさいね、デカい声だすな、聞こえてるよ」
と、しわがれた声が聞こえてきた。
「ここは物を売り買いしてるんじゃねぇ、人を売り買いしてるんだ」
そう聞いて、えっとなっているところに、奥から腰の酷く曲がった、足許の覚束ない、今にも転びそうな老婆が出てきた。
顔をあげると皺くちゃで、どこが目で、どこが鼻で、どこが口だか全く分からない。
真っ白な髪はまるで焚き火のように逆立ち、小さい頃、父から聞いた山姥とは、この婆のことだと思った。
「婆、売り物だ」
そう言って、八郎は権太の背中を押した。
山姥の目の前に押し出され、権太は肝が縮みあがりそうだった。
「ん? うむうむ……」、老婆は権太を見上げた、しばらく首を傾げるようにして左右から見ていたが、「うむむむむ……」と、まるで腹を空かせた犬のような唸り声をあげたかと思うと、両目をかっと開いた。
―― 目、あったんだ!
と、驚いたが、その両目は白く濁り、気味が悪かった。
「これは、これは……」
「どうだ、上物だろう」
「うむ、あんたにしちゃ、上等だね」
「お褒めのことば、涙が出てくるね。それで、幾らだ」
老婆は、指先で何やら空に描いたあと、「うむ、これだけだ」と、四本の指をあげた。
「婆……」、八郎はにやりと笑った、「邪魔したな、また来るわ」
権太の手を取り、外に出ようとした。
「あんた、年寄りを苛めて楽しいかい?」
「苛めて泣くたまか? 苛められてんのは、俺のほうだ。婆、いい加減にしろよ、半値以下だぞ」
「どうせ、あんたもそれ以下で買ったんだろう? 阿漕な商売はお互い様だ」
「お互い様なら、もう少し面倒を見ろよ。これだ」
八郎は、両手を翳す。
「話にならないね。あんたは、昔から交渉事が下手だ。こういうときは欲張っちゃいけない、ここは泣いても、次の商いに続けないと」
「どれだけ泣かされてきたと思ってんだ」
「襁褓も乾かない餓鬼が、甘いってんじゃないよ。まあ、あんたとは古い好だ、今回はあたしが泣いてやろうじゃないかい。これでどうだい?」
老婆の指が五本になった。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?