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疫病は神の罰か


はじめに

疫病に関する現実的な解釈をリスクの観点から思索してみました。
自分は宗教者でないため、災害についての神様の意図までは深堀できていませんが、参考文献がその意図について解釈されていますので、ご興味ある方は是非参照してみてください。

疫病

疫病の原因が神の罰であるという考え方は、古くから多くの人々に信じられてきました。しかし、当時の疫病の原因は、ペスト菌やコレラ菌などの病原菌による感染症であり、直近の新型コロナの原因もウイルスです。

これらの病原体は、生物学的な法則によって存在し増殖します。そのため、疫病の原因は、神が人間に与えた罰ではなく、自然の摂理(この摂理は後から述べる神様の法則)によって引き起こされたものであると考えるのがよいと思います。

疫病の原因が新型コロナのようにウイルスである場合、そのウイルスを設計するには高度な知識が必要です。人間はウイルスを設計する能力を持ちましたが、昔はその能力を持っていませんでした。このことから、知識や英知を持たない限り高度なウイルス(突然変異を短期間に来る返すようなウイルス)は発生しない(設計できない)ため、人間以外の者が介在した可能性もゼロではありません。

さらに疫病は、人間の行動によっても蔓延する可能性があります。例えば、衛生状態の悪化や、環境の破壊などによって、病原体が広がりやすくなることがあります。そのような場合、疫病は、人間の行動に対する警告であるとも考えることもできます。
ウイルス感染は誰に対しても起きる可能性があることなのに差別するのはよくないのに、医療従事者が差別されたこともありました。
一方で、新型コロナのまん延により在宅勤務も広まりましたが、人同士のコミュニケーションの大切さをそれまで以上に感じました。

因果の法則

私の考えでは、神様が作ったのは「因果の法則」であり、それを通じて事象が発生する仕組みです。事象の種をまいたら、それが発芽して結果が現れるのです。この法則は、良い事象も悪い事象も含みます。ワクチンのような人間が開発したものは、悪い事象を防ぐ(事象を小さくする)ための手段の一つです。
これを知るがゆえに、欧米では因を起こし、果を刈り取ることをビジネスにしている方も多くいます。よく見かけるのは、コンピュータ・ウイルスとワクチン。戦争と復興ビジネス。

日本人がリスク対策を苦手とするのは、天災(地震、津波、洪水)のような事象が発生した後に対処する能力が強化されてきたためと思われます。多くの欧米人は「想定外の事象が起こったので仕方がない」と納得しないと言います。例えば、技術者が「想定外」という言葉を使おうものなら思考停止であるとさげすむと言います。
日本人もリスクを事前に考え、対策を講じることの重要性を再評価する必要があると思います。

リスク予見の大切さ

災害の要因は人間自身にあることがあります。地球の温室効果による気象変化が大型台風の発生や線状降水帯のように大規模な自然災害を引き起こしやすくしています。また、施設やインフラの設置場所に関する意思決定も、災害の被害を最小限に抑えるために重要です。例えば電源が喪失したら問題が起きる施設を津波が来る場所には設置しないでしょう。
気にかかるのは首都大地震です。何度も首都移転が検討されましたが一向に進みません。東京に大地震が来たら、日本はどうなるのでしょうか。日本経済麻痺。世界経済麻痺、恐慌?このようなリスクを事前に考慮し、適切な対策を講じることが、より安全な国造り、世界作りの鍵になると思います。子供政策もよいのですが、優先度はこちらが先であると思います。

参考文献


災いは福音
福音の回復(36)災いは神の罰?~災いに対する福音~ 三谷和司 : 論説・コラム : クリスチャントゥデイ (christiantoday.co.jp)

この参考文献の記事から佳き文章を抜粋させて頂きます。
すなわち「災い」に対する神の福音にほかならない。その福音の中には、「罰が当たる」という言葉などまったく存在しない。自然災害等の患難、人の過ちによる患難、病気がもたらす患難、それらは「神の罰」ではなく、「神の栄光」が現れる時というのが正しい福音理解となる。

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