地震の神話と科学
はじめに
大学時代、一人の教授から聞いた興味深い話が、今も脳裏に深く刻まれています。その話は、日本古来の地震観と現代科学を橋渡しする、大変興味深い解釈を示すものでした。
この記事では、その教授の言葉を出発点に、日本の地震神話、その文化的背景、そして現代の地震学との関係について掘り下げていきたいと思います。私たちの祖先が自然現象をどのように理解し、それを対処しようとしてきたのか。そして、その知恵が現代の科学とどのように結びつくのか。これらの問いを通じて、日本人の自然観と防災意識の根源に迫ってみたいと思います。
教授の言葉:神話と地震
その日の講義で、宇宙物理学(太陽と地球の研究をなさっていて、話題が豊富でした)の著名な教授は次のように語りました。
「日本の古い伝承では、大地の下に大きなナマズが住んでおり、それが暴れると地震が起こるとされていたんだよ。地震を鎮めるには、このナマズを押さえないといけない。皆さん、ナマズを押さえるにはどうしたらよいと思いますか」
教授は手を大きく動かし、髭のあるナマズの動きを表現しました。その姿は、まるで語り部のようでした。
皆はきょとんとして、何を話しているのだろうと怪訝な顔をしていました。
「大きくて手に負えなくて、ばたばた動くものを押さえつけるにはどうしたらよいかな」
このナマズ神話は、一見すると科学的な根拠に欠けるように思えるかもしれません。しかし、これは日本の伝統的な地震観を象徴的に表現したものであり、地震という自然現象に対する人々の理解と対処の歴史を反映していたのです。
まずは、その歴史を紐解いてみたいと思います。
日本神話における地震の解釈
鹿島神宮の要石伝説
日本の神話において、地震は多くの場合、大鯰(おおなまず)と結びつけられています。ただし、古代からではなく江戸時代からと言われています。特に有名なのは、鹿島神宮のと香取神宮の要石(かなめいし)伝説です。この伝説によると、鹿島大明神が要石で大鯰を押さえつけており、それが緩むと地震が起こるとされています[2]。
鹿島神宮と香取神宮を訪れると、実際に要石を見ることができます。要石は地下深くまで埋まっており、容易に抜けないらしい。
また、江戸時代の浮世絵には、鯰と要石が描かれたものが多く存在します。それらの絵では、巨大な鯰が暴れ、その上で鹿島大明神が要石を押さえつけている様子が生き生きと描かれています。これらの絵は、当時の人々の地震に対する認識と、それを抑制しようとする願いを如実に表現しています[2]。
建国神話と国土の安定
日本の建国神話では、天照大御神の孫であるニニギノミコトが天孫降臨する際、国土を安定させるために天の沼矛(あめのぬほこ)を地に刺したとされています。これは国土の安定、ひいては地震の抑制とも解釈できる神話的表現です[3]。
想像してみると天から降り立ったニニギノミコトが、荒々しい大地に立ち、天の沼矛(ぬぼこ)を高く掲げます。そして、全身の力を込めてそれを地面に突き立てる。その瞬間、大地が安定し、国土の基礎が築かれるのです。この「ぬぼこ」には、平定するという意味があるそうです。この神話的行為は、地震という自然の脅威に対する人間の願望を象徴的に表現していると言えると思います。
古事記や日本書紀には、この場面が詳細に描写されています。それは単なる物語ではなく、古代日本人の自然観と願望を反映した重要な文化的遺産と思われます。
現代地震学との対話
地球科学の視点
現代の地震学では、地震は主にプレートテクトニクスによって説明されます。日本列島は複数のプレートの境界に位置しており、これらのプレートの動きが地震の主な原因となっています[4]。
地球の表面は、十数枚の巨大なプレートで覆われています。それらは、まるで巨大なジグソーパズルのピースのように、互いに接し合い、常にゆっくりと動いています。日本列島は、4つのプレート(北米プレート、ユーラシアプレート、太平洋プレート、フィリピン海プレート)が交わる場所に位置しています。
これらのプレートが互いにぶつかり合ったり、すれ違ったりする際に蓄積されるエネルギーが、突然解放されることで地震が発生します。この過程は、まるで巨大な岩盤が折れ曲がり、最終的に跳ね返るような現象ととらえることもできます。
神話的解釈と科学的理解の融合
教授の言葉は、単なる迷信ではなく、自然現象に対する人間の理解と対処の歴史を表しています。「ナマズを押さえつける」という概念は、いわゆる地震の原因を抑え込むということです。要石の伝説は緩まないように押さえつけるということです。
これを現代の科学的視点から見ると、地震の予知や制御を目指す研究と重なります。例えば、地震の前兆現象を捉えようとする試みは、まさに「ナマズの動き」を事前に察知しようとする行為と言えるでしょう。また、活断層への注水による地震の制御実験(小さな地震を誘発してエネルギーの事前開放)なども、科学的な手法で「ナマズ大暴れを予測したり防いだりする」試みと解釈できます。
地震の原因を完全に抑え込むことができない私たちは、地震に対する防災・減災対策を「要石のようにしっかりと固定」しなければなりません。要石の伝説からは、地震計の設置や地殻変動の観測といった科学的アプローチを絶え間なく、緩みなく継続する必要性を学ぶことができます。
例えば、日本全国に張り巡らされた高感度地震観測網(Hi-net)は、まさに現代の「要石」と言えるでしょう。約20km間隔で設置された約800か所の観測点が、24時間365日、日本列島の微細な揺れを監視し続けています[6]。これは、科学技術を用いて大地の変動を絶えず見守る、現代版の「ナマズ押さえ」なのです。
まとめ
教授の言葉は、一見すると非科学的に思えるかもしれません。しかし、そこには日本の伝統的な世界観と現代科学を橋渡しする深い洞察が含まれています。地震という自然現象に対する人間の理解と、発生した地震の歴史を振り返ることで、我々は過去の知恵と現代の科学をより良く統合し、未来の防災に活かすことができると考えます。
神話は単なる迷信ではなく、人々の自然観や世界観を形作る重要な文化的基盤です。これらを現代の科学的知見と合わせることで、より確実な防災文化を築くことができるのです。
最後に、教授の言葉を再び思い出してみたいと思います。
「ナマズを押さえつける」という比喩は、地震という巨大な自然の力に対して、人間がどのように向き合い、対処してきたかを象徴的に表現しています。私たちは今、科学技術という新たな「要石」を手に入れました。しかし、自然の力を畏れ、敬う気持ちは古来と変わりません。この両者のバランスを取りながら、より安全で豊かな社会を築いていくことが、現代に生きる私たちの使命であると思います。
災害心理
心理的レジリエンス
地震を神話的に解釈することは、不可解な自然現象に対する人々の心理的な対処メカニズムとも言えます。伝説では語られない、人々の心理についてもっと考える必要があります。これは現代の防災心理学でも重要視される、災害に対する心理的レジリエンスの一形態と見ることができます[5]。
いざ、震災が起きた場合の生活と心の持ち方として、生き延びた場合の喜びとともに、避難共同生活(今までとは異なる衣食住)、助け合い、見知らぬ人々とのコミュニケーション、日々生きるために精一杯で趣味ができなかったり娯楽がない生活。これらも事前に予習しておきたいものです。
悪い事ばかりではなく、下に示す江戸時代の風刺画にもあるように、災害からの復興のために莫大な資金が投じられて経済的に潤う方もいるのです。復興作業で潤った大工・左官たちに小判を与える絵です。
参考文献
[1] 鹿島神宮の要石~昔より見やすくなった要石 | いばらきだいすき セカンドシーズン | blog豆日刊新茨城 (ibaraki-daisuki.com)
[2]鯰(なまず)と地震と要石(かなめいし) | 神使像めぐり*余話 (shinshizo.com)
[3] 西郷信綱 (1967) 『古事記の世界』 岩波新書
[4] 木村学 (2002) 『プレートテクトニクスの基礎』 朝倉書店
[5]広瀬弘忠 (2004) 『人はなぜ逃げおくれるのか:災害の心理学』 集英社新書
人はなぜ逃げおくれるのか ―災害の心理学 (集英社新書) | 広瀬 弘忠 |本 | 通販 | Amazon
[6]Hi-net自動処理震源マップ (bosai.go.jp) (本文に地震発生情報の図を示しています)