論理と情熱のホースマン ~心の師・岡田繁幸総帥を偲んで
2021年3月19日、「マイネル軍団の総帥」岡田繁幸さんが亡くなられた。71歳。近年は体調を崩されていたというが、突然の訃報だった。
総帥は、僕にとって「心の師」だった。
僕が「岡田節」にはじめて触れたのは、2011年5月ごろ。岡田総帥は当時、BSイレブン競馬中継の土曜日レギュラー解説者として、スタジオでパドック診断をおこなっていた。
その解説に、僕は大きな衝撃を受けた。
飛節の角度や後ろ脚のつく位置、背中や繋の固さ、そして筋肉の質――いままで気にも留めなかった馬体の特徴からその馬の個性を見抜き、レースでの走りを予想する。その予想が見事に当たることもさることながら、「馬体のこういう特徴がレースではこう作用するからこういう走りになる」という筋道立てられた解説にこそ、僕は大変感銘を受けた。それは、「気配」や「仕上がり」といったあいまいな概念のもとに繰り広げられる従来のパドック解説とは一線を画す、いや異次元とさえ言いうるほどの代物だった。当時、少しずつ馬見の勉強を始めていた僕は、これはすぐに自分のものにしなければならないと直感した。そして、これを自分のものにできれば、競馬をもっと面白く体験できるようになると確信した。
岡田総帥への私淑は、こうして始まった。
BS11中継でのパドック解説はもちろんすべて身を入れて聴き入った。ビデオにとりだめた分は繰り返し視聴した。BS11へのレギュラー出演はその後、終了してしまったけれど、GⅠ前日にゲスト解説で出演する際は毎回、テレビの画面を食い入るように見つめた。グリーンチャンネル競馬中継出演時も同様だ。また「競馬場の達人」に総帥が出演した回はビデオを入手し、何度も見返した。サンスポ紙面でGⅠ予想を出されるときはコンビニに走り新聞を買い求めた。インターネット上で公開されているインタビュー記事を見つければ読み漁り、取材が載った書籍は折に触れて読み返した。
岡田総帥は「安い馬、血統の地味な馬を鍛えて活躍させる」というクラブ運営で一躍有名になったが、レース予想でもその相馬眼は冴えわたっていた。
個人的に思いで深いレースを上げるならば、2014年の菊花賞だろうか。このレース、岡田総帥が本命に推したのは3番人気のトーホウジャッカル。前走・神戸新聞杯の走り(直線での不利がありながらタイム差なしの3着)ももちろん評価していたが、それ以上に総帥が強調していたのが、この馬の長距離レースへの適性と高い身体能力だった。いわく、腱にバネがあり、跳ねるような走りができるこの馬は道中へのエネルギーロスが少なく、長距離に向いている、そしてゴムのように伸縮する筋肉はこの世代でも随一のものだ――。この馬は2歳時に患った重い腸炎の影響でダービー前日にようやく初出走にこぎつけたのだが、早期にデビューしていればこの馬がダービーを勝っていただっただろう――菊花賞前日予想の段階で、岡田総帥はこう言い切っていたのだ。そしてレースは、総帥の予想どおりトーホウジャッカルが見事に優勝を飾る。「100円でもいいのでトーホウジャッカルの単勝を買ってください」。岡田総帥のこの言葉を信じた僕がテレビの前で絶叫したのは言うまでもない。
振り返れば岡田総帥の相馬眼のすばらしさは、長距離レースにおいて特に際立っていたと思う。このトーホウジャッカルもそうだし、2018年の天皇賞(春)でレインボーラインの1着を的中させたことも印象深い。馬主としても(クラブ募集馬だが)マイネルキッツで天皇賞(春)を制しているし、古くはみずからも配合考案に協力したスーパークリークの菊花賞出走に尽力したという逸話も有名だ(結果は1着)。
もうひとつ、これは馬の将来性を見抜くという「本来」の総帥の相馬眼がいかんなく発揮された例として挙げておきたいのが、2013年から2014年にかけてグリーンチャンネルでレギュラー放送された番組、「Run for the classics」である。これは、毎月、中央競馬で行われた2歳戦、3歳戦を振り返り、岡田総帥によるレースの勝ち馬や出走馬の馬体診断をまじえつつ、クラシック戦線を展望するというコンセプトの番組。世代で言うと、ハープスターが桜花賞を、ヌーヴォレコルトがオークスを、イスラボニータが皐月賞をそれぞれ制し、そしてワンアンドオンリーがダービー馬の栄冠に輝いたシーズンに当たる。そう、奇しくものちにトーホウジャッカルを世代ナンバーワンと評することになった、あのシーズンだ。岡田総帥自身の持ち馬、プレイアンドリアルも地方競馬所属のまま京成杯を制するなど、クラシック戦線を賑わせた。
さて、この番組での岡田総帥の診断は、今から振り返ると本当にすごい。2歳、3歳の段階で、各馬の将来性をかなり的確に見抜いているのだ。たとえばイスラボニータはデビュー当初からその素質を高く評価していたし、ミッキーアイルなどについても距離の限界を早々に見切っている。いっぽう、1600mデビューながら「距離が伸びて良い」とコメントしたアズマシャトルという馬は、暮れのラジオたんぱ杯2歳S(2000m)でワンアンドオンリーの2着と好走、さらに古馬になって小倉記念(2000m)を制している。また古馬になってダート路線に転向し、オープン・重賞クラスでの好走も見せているピオネロという馬についても、芝デビューした2歳のこの段階で早くも「ダートもこなす」と見立てていた。そのほか、クラシック候補と騒がれながらもあと一歩及ばなかった馬たちの弱点についても、忌憚なく発言していた。
むろん、岡田総帥の予見や見立てがすべて当たっているわけではない。たとえば総帥が距離不安を唱えていたモーリスなどは古馬になって2000mの天皇賞を勝利している。馬券予想についてもそうだ。外れたレースはいくらでもある。僕だって総帥の予想に乗って痛い目を見たことは一度ならずある。
しかし重要なのは結果(だけ)ではない。先にも書いたように、馬体の特徴からその馬の個性を見抜き、競走能力や適性を判断するという、その方法の論理性こそが重要なのだ。
岡田総帥の馬体診断は、しばしば彼独特の言い回しを用いて展開される。「お尻のつく位置」「前(かがみ)で走る」「芯力」などが典型だろうか。こうした独特な表現が彼の理論をわかりにくくしてしまっている面があることは否めない。しかしその論旨を読み解き、他の識者の見解や運動生理学等の科学的な知見などとも突き合わせてみれば、総帥の論が決して突飛ではないことは簡単にわかる。もちろん科学的にはおそらく支持できない見解もあることもたしかだ。しかし、「論理的である」というのは、こうした検証に開かれていることを意味する。
事実、僕自身は岡田総帥の「相馬理論」を吸収しつつ、同時に競走馬科学についての勉強や、他の識者の理論の勉強も続けてきた。もし僕の中に「相馬理論」と呼べるものができているのだとすれば、それは岡田総帥の理論がベースとなっているものの、それがすべてではない。つまり、岡田総帥の理論は、ただ経典のようにあがめたり鵜呑みにしたりするものではなく、自分なりに膨らませ、闊達に修正していけるものなのだ。岡田総帥の馬体診断が論理的というのは、そういう意味である。
それはまた、僕たちが岡田総帥が残した言葉を受け取り、受け継いでいける、ということも意味している。
僕は岡田総帥とは直接お会いしたことはない。ラフィアンやウインの会員でもない。だから本当に、純粋に私淑をさせていただいているだけだ。そういう立場の人間ではあるが、彼が残した言葉や知見を継承し、競馬をより楽しんでいくこと、それくらいは許されるのではないかと思っている。
それと、もうひとつ。
岡田総帥はずっと「ダービーを勝つことが夢」と公言していた。日本ダービーはもちろん、英国ダービーすら見据え、毎年期待馬を英国ダービーに出走予備登録することでも有名だった。
英国ダービー制覇。途方もない夢だ。事実、岡田総帥の夢は叶わなかった。むろん、この夢についてもまた、僕は受け継げるような立場にはいない。しかし岡田総帥が体現してみせた、「夢を夢見ること」、その情熱については、受け継げぐことができるのではないか。
思えば総帥のあの情熱がなければ、僕がこんなにも彼に魅了されることはなかっただろう。論理性が重要といった先の内容と矛盾して聞こえるかもしれないが、どこまでも馬について論理的に考え抜こうとするあの情熱、夢に向かって走り続けるあの情熱こそがきっと、僕を、そして多くの人を引きつけてやまない岡田総帥の最大の魅力だったのだ。
論理と情熱。
岡田繫幸という人は、このふたつのものを合わせもった、稀有にして偉大なるホースマンだった。
岡田繁幸氏のご冥福を心よりお祈りいたします。
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