壱・その発端 2003.04.28 by 猛牛
■それは、一通のメールから始まった・・・。
4月5日の昼下がり、関東のとある酒販店大将より、一通のメールが届いた。
「今年10数年振りに仕込みも行なったそうです」・・・この一文を見て、わては驚きと喜びで、脳内が騒然となってしまった。
昨年夏以来、これまで「粕取まぼろし探偵団」を構成するDr.けんじ氏とgoida隊員の3人で収集してきた情報は、その多くが悲しいものであった。
蔵の廃業、または銘柄そのものの終売によって、正調粕取焼酎の多くがこの地上から消えて去ってしまっていたのである。現有銘柄についても、市場や製造上の事情によりいつその命脈を断たれてもおかしくはない環境にある。
しかし、このご時世に、あえて籾殻と普通酒粕で正調粕取焼酎を醸そうというのだ。
◇ ◇ ◇
さっそく、10数年ぶりの醸造再開という飛んでもないビッグニュースを確認すべく、昨年Dr.けんじ氏の執筆によってアップした『ヤマフル』の蔵元、佐賀県北部の港町・唐津市にある鳴滝酒造株式会社さんへとメールを放った! ・・・そしたら、
と、同社の古舘正典氏より、極めて丁寧かつ真摯な返信を頂戴したのだった。
試験的とは言え、こういう機会に遭遇するのは、もう二度と無いかもしれない。確かにわてはその現場に立ち会いたかったが、古舘氏のお考えもとても理解できる。なにせ10数年ぶりに着手する事業だ。慎重に事を進める造り手としての誠心に、わては現場乱入を諦めたのだった。
来年を待つしかなひ。
ところが、また古舘氏より急報が届いた!
事態は好転したのだ。古舘氏が危惧していた久方ぶりの醸造であるが故の未知数の領域を突破して、質の高い粕取焼酎が蒸留器からほとばしり始めたのである。が・・・
わては行けない。なにせ平日、仕事の最中である。サボって唐津まで駆けつける訳にもイカンのだ。
草の根メディアの当隊が行けないなら、よし! 今回の歴史的(まじにそう思っている)な試験的醸造再開の情報をちゃんとしたメディアにお知らせし、公的記録を残せればと思ったんである。わてが面識をいただいているあるところに、すぐさまメールを飛ばした。
そしたら、ぬぅあんと、そのメディアのNo.2の人物が折しも佐賀県内で取材中だったのである!! 素晴らしいタイミングだっ! さっそく4月11日に蒸留現場取材が決定する。立ち会えないわてにとって、こんな嬉しい巡り合わせは無かった。
というわけで、前置きが長くなったばってん。これからお届けするのは、古舘正典氏の記録を元に、仕込みの開始から蒸留終了まですべてのプロセスを順に追ふ、正調粕取焼酎『ヤマフル』の試験的醸造再開のドキュメントである。
わて宛にお送りいただいたMOの中には、自己紹介としてのご自身のポートレイトに始まり、各段階を撮影した多数の画像と説明のコメント、仕込みの数値的データ、『ヤマフル』の販売数量の推移などなど、実に詳細な情報が含まれていた。
それらの情報を元に、わてが再構成しご紹介させていただく本ドキュメント。
ただし、古舘氏が実践された今回の試験的醸造における数値や手法などは、あくまでも鳴滝酒造さんでの一例に過ぎず、絶対的なものでは無いことをお断りしておきます。またあくまでも今回は試験であり、本格的な再開では無いことも申し添えさせていただきます。
■古舘氏の決断は、わてらにとって誇りであります。
というわけで、この前説の〆として、MOのコメント用ファイルの冒頭にあった古舘氏の一文をご紹介して本編へ進もぉ~。その一文とは、古舘氏が今回の試験的醸造再開を決断された理由について述べられていたものである。
わてはぜひとも、鳴滝酒造さんの顔造りの強力な手段となり、商売として採算ペースに乗っていただきたいと切に願っちょります。それは“伝統文化”としてこれからも命脈を伝えるためには、企業として“商売の帳尻”がしっかりと合うことが絶対に必要だからです。じゃないと、正調粕取焼酎は本当に滅びてしまいますけんね・・・。
◇ ◇ ◇
まぁ、とにもかくにも、古舘氏のご決断は、本当に心が沸き立った。心底「探偵団」をコツコツやっていて良かったと思ったですにゃ~(T_T)
今回の朗報は、昨夏から「粕取まぼろし探偵団」なるジミぃ~~~~な探索を続けてきた我ら………名文家だが原稿の遅配が玉にキズ(爆)のDr.けんじ氏………北部九州各地を熱心に回って粕取店頭化状況を調査してくれたgoida隊員………そしてわて、三人にとっての誇りであります。
(2)へ続く。