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球磨人吉蔵元アーカイブズ 2001〜05(6) 続・寿福酒造場再び
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2005.05.04 by 猛牛
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■早朝出発、人吉市へ急ぐ!
ふぁ~。家を出たのは午前6時。筑前から車でぶっ飛ばしても3時間は軽くかかってしまう熊本県人吉市ぬぅあのだ。着いたのは11時過ぎ。寝ぼけ眼をぐにぐにと指で化粧直し、さっそく寿福酒造場へとお邪魔してみた。
絹子大姉とは03年5月以来、ほぼ2年ぶりの再会である。
お馴染みの事務所の扉を開く。絹子大姉と妹さんがお待ちであった。さっそく大姉からジャブ・・・
「牛さん、なんね、遅れたやない(ニヤリ)」。
すんまっせーーーん。ちと到着が遅れてしまったのだ。
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■久しぶりの絹子大姉。お元気そうである。
絹子大姉だが、一昨年5月からすると、すこぶる元気でらっしゃる。あの時は大阪でのイベント後に体調を崩されていて、見るからに辛そうだった。しかし、今日ははつらつとされている。安心した。
絹子大姉「もう米の仕込みが終わっとうとよ。麦しか見せられんけど、申し訳なかね」
時期的に寿福酒造場の代表銘柄である『武者返し』の仕込みは終了。今は麦焼酎の仕込みの真っ最中となっていた。米の仕込みは01年12月に目の当たりにさせていただいたので、“麦しか”ということは無く、逆に麦と聞いて興味津々だ。
久しぶりに絹子大姉節を堪能していたら、最近寿福酒造場にいらしたお客様との間で面白い話があったという。
絹子大姉「ニューヨークに住んどうという日本人の方がこの蔵にいらしいたとです。それで『武者返し』ば飲んでもろうたら、それがもぉびっくりなさったとですたい。どうしてかと聞いたら『向こうにも焼酎はある、でも飲んでピリピリするばっかでこの味とはまったく別物。焼酎ちゃーピリピリするもんと思っていたが、こんなに違うのか』ち言わんなっとよ。それで『武者返し』ば買われて、ニューヨークに住む仲間に教えたい言うて帰られてね」
彼の地でも本格焼酎が増えているという話は聞く。某笑社もガンバッテるとかなんとかそげな番組もあったな。ばってん、この話はなんだか昔の日本の状況みたいに思える。わても焼酎ちゃぁピリピリ辛辛と信じちょりましたもん。
思えば、わても球磨焼酎に開眼させられたのは、『武者返し』と絹子大姉に出逢ったことが始まりだった。
■御子息も奮戦中! 麦の仕込み現場。
絹子大姉のご案内で蔵の奥の院へ。暖簾をくぐると、香ばしい空気が漂ってきた。床に埋め込まれた甕壷やタンクの上には、蒸された麦がザルに盛られて冷やされている。
麦に手を入れてほぐしているのは、タオルで髪を覆いマスクをした息子さんだ。
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焼酎蔵の女性当主兼女性杜氏として全国区的存在となった絹子大姉だが、その母の味を受け継ぐ御子息二人が蔵で奮戦中である。
ザルに盛られた麦を見てみると、蒸されて艶やかに綺麗な色をしている。表面がツルリンツルリンとしている。二次仕込み用の掛け麦のようである。
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一次仕込みの酒母を拝見する。甕の中から、得も言われる香りが鼻をくすぐる。やわらかな香ばしさが漂ふ。この酒母が『杜氏寿福絹子』へとだんだんと成長していく。
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櫂棒を持って立つ絹子大姉。やはり絵になる人だ。
絹子大姉「清酒の蔵元さんやったら、こげな場所で管理が悪いち思われるかもしれんばってん。焼酎のもろみが清酒と違うとは、使う麹がクエン酸をいっぱい作るとです。そのクエン酸が雑菌を殺すからもろみが悪くならん。そういう違いばあっとですよ」
寿福酒造場の内部は綺麗である。小物なども女性らしい配慮がそこかしこに生きている。
しかし絹子さんがこう断らねばならぬほど、まだまだ焼酎造りの環境については誤解が多いということだろうか。ちょっと以前、ある大新聞が清酒と比べて焼酎蔵の衛生環境についてことさらあげつらった記事を書いていたことを思い出す。
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次は麦の二次もろみだ。表面はぷくっ、ぷくっと落ちついた動きしか示していない。次ぎに絹子大姉が櫂棒でかき回すと・・・。
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ジャワ!ジャワ!ジャワ!ジャワ!ジャワ!ジャワ!ジャワ! 穏やかだった表面が猛烈にお弾け始めた。凄い勢いで泡立っている。寝ていたもろみが急に大騒ぎを始めた。
発酵って凄いな・・・と、この光景を見る度に思う。噴出するガスでヘタすれば失神、窒息死だ。肉体的にもきつい労働だが、一歩間違えば生死を分ける職場でもある。
さて、下記は蒸留を待つ最終段階のもろみ。これが蒸留されて『杜氏寿福絹子』となる。
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■「絹子さんの奥座敷」で「絹子さんの梅酒」を味わふ。
当日は有志の方々10人とご一緒させていただいたのだが、絹子大姉から「じゃ、ちょっと飲まんですか?」と奥座敷へとご案内いただいた。『武者返し』の古酒があるという。おろ。
秘蔵の『武者返し』古酒をいただく前に、絹子大姉が語りかけ始めた。
絹子大姉「うちの焼酎はお爺さんが『武者返し』ち名付けたとです。それ以前は『壽焼酎』と言いよりました。ずっと常圧一筋でやってきました。みんなが減圧を始めてもうちは常圧で・・・。昔、ある方から言われたとです。寿福さんの焼酎は“武者返し”ですと」
つまり、減圧に馴れた人には常圧『武者返し』の濃厚な味はまるで“お客を返す”味との謂いである。しかし、時代の風は絹子大姉に吹いて、全国区へと導いた。
絹子大姉「うちの麦焼酎は『杜氏寿福絹子』ち名付けとうとですよ。でも、これはわたしが付けたんやない。大阪のある酒屋さんが名付け親です。わたしが思い上がって付けたちゃ無かですよ」
そういえば、南九州のある別の県にも自らの名を冠した焼酎があって、あるBBSで「若いのに自分の名前を付けるとは・・・」という意見が出たことがある。その命名も思い上がりではなく寿福さんの場合と同じようにふとしたきっかけであったのだが、字面だけみれば「思い上がり」などと受け取る向きもあるんだろうね。
絹子大姉の作にしろ、ある若い蔵人の作にしろ、その酒が美味いのでわては納得だ。
絹子大姉「ほら、こげん空になってねぇ」
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三升甕を絹子大姉が両手で持ち上げて揺らす。この古酒、来訪者に手ずから振る舞ってらっしゃるとのことだが、人気で中身は酒気帯び空気ばかりになっている。
一杯いただく・・・。うっ、旨いんだよね。この枯れた含み香と円い味わいちゅーか。人吉で、それも絹子大姉の奥座敷でいただく一滴、悪かろうはずがない。
絹子大姉「梅酒もあっとですよ。女性もいらっしゃるけん、梅酒を・・・」
と、続いて出たお言葉にビックラした。ええ?梅酒ぅ???(@_@;)
本格焼酎漬けの梅酒が昨今人気となっている。わても今年は瓶熟で寝かせている古ラベル版『武者返し』43度で漬けようと画策していたのだが、絹子大姉も『武者返し』梅酒を用意されていたのだった。
おお!どげな味なのか。球磨焼酎・常圧43度版、蔵元自ら仕込まれた梅酒だ。
絹子大姉「入る方は?」
もちろ~~~ん、真っ先に手を挙げる!(*^^*)/
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上画像が「絹子さんの梅酒」である。盃が回ってきたので遠慮なく頂戴する。
うん!良か味だ、これは!
正調粕取の場合もそうだが、梅酒には原酒そのものが一般に言う“クセが強い”程、ぬぅあんともイイ味に仕上がる、とわては確信した。もちろんこの梅酒、売り物ではない。寿福酒造場を訪ねていただくしかない。
「絹子さんの梅酒」でわてが文字どおり陶然と「ああっエエわぁ~σ(*^^*)」状態となっている時、絹子大姉が座敷にいる全員に語りかけはじめた。
絹子大姉「ほんと、苦労ばして良かったと思うちょります。減圧全盛で常圧はダメと言われましたばってん、続けてほんなこつ良かったと。常圧やないと味の差が無かでっしょうが。皆さんもなにかとご苦労を重ねられてることでしょうけども・・・。何年か前に一人で蔵を訪ねてくれた若い男ん子が、先日やったか、女の子ば連れて蔵に来てくれたとですたい、多分彼女でしょう・・・うれしか話です・・・そうやって次ぎにまた来てくれるというのが・・・」
常圧の春、凍土を破って顔を出した堅牢な土筆のように、語り、笑わせ、ほろりとさせる絹子大姉である。わては枯れていた気が、それこそ一気に戻ってきたような想いがしてきた。「わてもがんばんべ!」
■ああ亮子様! っと奇蹟的再会!
試飲を終えて奥座敷から帳場にもどると、い、いらしたのだっ!
おおっ! あの亮子様がっ!
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わては絹子大姉から気を頂戴した。だから、もうすでに亮子様のことは頭の片隅からその存在が昇華されてしまったのだが・・・。んがぁ、やっぱ面前で御尊顔を拝しちまうと、そんのぉ~σ(*^^*)ってもんで。(全国の寿福亮子様ファンの皆様、お待たせいたしました)
ちゅーわけで球磨焼酎界の二大酒造美女と謳われるのは、繊月酒造御息女・堤純子さんと、この寿福酒造御息女であらせられる亮子様をおいて他にあるまひ。
まさに甲乙付けるのも不遜極まりない美貌を誇るお二人の菩薩である。不敬覚悟であえて申し添えさせていただくなら、お二人の印象の違いは下記の如くとならふか。
堤純子さん=「きゃっ! カッワイイィィィィィィィィィィィィィィ!(*^0^*)」
寿福亮子様=「あっ・・・・(ごくっ)・・・・・エエ、エエわぁ~ん(*^0^*)」
「亮子様、お久しぶりです」と申しあげると、一瞬キョトンとされた亮子様だった。が、「あのぉ、探検隊の牛です」と加えると、咄嗟に顔を手で押さえられた(上記画像)。酒造美女激撮に萌えた前回がそーとーに堪えられたよーだ(^_^;)
しかーーし、それで諦めるわて、ではなひ。
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それにしてもキレイな方だ、ほんに。
というわけで、亮子様、ご協力ありがとうございましたm(_ _)m
◇ ◇ ◇
絹子大姉の「生きる気」を頂戴し、亮子様に「ソノ気なんの気、妙にやる気」にさせていただいたところでお暇の時間である。これから麦の原料の搬入が始まる、という。
絹子大姉のますますの御健勝を祈るばかりである。
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(了)
■2022年追記:今読み返してみると、冷や汗ですな。亮子様にたいへん失礼な文章でした。あまりに遅まきながら、この場を借りてお詫び申し上げます。
しかしながら、まだブーム後半のあの頃の熱気、私自身の熱意を思い出すのは確かですけどね。