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或る「糸島の醤油蔵」伝 カノオ醤油(8) 稗田社長、醤油の長期貯蔵、醤油麹、麦味噌について語る

■醤油の長期瓶熟貯蔵は、是か非か?

私:ところで、宮崎県の日南市大堂津に宮田本店さんという、醤油と味噌を造られるんですが、焼酎も兼業してる日本でも珍しい蔵があるんですね。

社長:「ほぉ」

私:その宮田本店さんの先々代だったかがお造りになった10年以上は寝ていたという醤油があったんです。それを随分前に宮崎に住む友人から分けていただいたんです。私、貧乏性なもんで、食べるのがもったいないので、さらに5年ほど冷蔵庫に貯蔵してたんですよ。もっと練れた味になるんではないかと思って、ウイスキーとか泡盛みたいに。さすがにもう食べんとイカンなと思って舐めたんですけど。で、宮崎とか鹿児島とか南国の醤油は九州でも特に甘いというじゃないですか。ところがそれが甘いどころか、まったく甘くない、逆にえらく辛いというかドライな味だったんです。長く置くと、甘くなくなるんですね。

社長:「そうです。甘くないんですよ。まあね、あのね、醤油はね、お酒はちょっと私はわからんけど、醤油はもうあんまり何年も寝せても、だからどうかということはない」

二人:はい。

社長:「もう成分的には1〜2年で出てしまうから。後は黒くなるだけです」

二人:はっ。

社長:「真っ黒になるだけです」

私:そうですかぁ・・・。

社長:「私は、元が営業畑なもんで、自分でいろいろとやってみたんですけど、以前、麹から何から全部自分でやってみて。5年くらい諸味を置いたことがあるけど、やっぱり違う」

◇   ◇   ◇

私も馬鹿げたことをやっていたものだ。貰ったらすぐに食べれば良かった。酒なら瓶熟もありだが、醤油はダメ!ぜったい!。早めに食べ切ることが肝腎である。それにしても、酒で言われるクラスター理論、醤油には当てはまらないのですな。あれま。

■醤油麹の出来不出来、その深層に迫る?!

酒造でも「一麹、二酛、三造り」と言われる様に、麹の出来不出来が最後の造りにまで影響する。以前ある焼酎蔵さんで、セメダイン臭がする初留は麹造りがうまく出来ていないのだ、と教えられたことがあった。

さて、醤油の麹についてはどうなのか。

◇   ◇   ◇

社長:「醤油麹というのは見たことがありますか?」

二人:いいえ。

社長:「麹造りがうまくいかないと、グリーンみたいな毛が生えるんですよ。これが生えたらね、本当はいけなんです」

私:胞子のことですね。

社長:「そうそう。胞子が表に出てくるような醤油麹はあんまり良くない。ほんとはもう、組合の麹やら見たらですね、これどこ?どこに毛が生えとるっちゃろか?、て言うくらい、全部中に入ってるんですよ。そういう麹じゃないと良い醤油は出来ない」

二人:なるほど。

社長:「やはりそれなりの設備がないと、製麹時の品温の管理ができないんですよ。温度を低くせないけん時に低くできない。だから醤油の麹造りは難しいんです」

私:そういうことはまったく知りませんでした。

社長:「醤油の麹は、それが難しい。それと木桶で造る醤油は、なかなか癖があってから、品評会のごたあるとは通らない」

二人:ほぉ。

社長:「木特有の匂いがするからね」

私:お酒は国税が鑑評会をやってますが、醤油の世界で同じような会があるんですね。

社長:「やってますよ、全国でね。うちの組合でも全国醤油品評会で賞取ったりしてますよ。でも、木桶だと取れない。独特の匂いがするから」

◇   ◇   ◇

実は、私は東九州の某蔵がつくった木樽醤油を買ったまま貯蔵しているのだ。早めに食べないと風味が落ちることがよく判ったので、同じ愚は犯さない。舐めねば。とはいえ、木樽仕込みの味とはどんなものか、善し悪しは置いて比べてみたくなった。

■宮崎の友人からの質問を、社長にぶつけてみた。

さて、今回の蔵訪問については、宮崎県在住で私とカネさんの共通の友人から、ぜひ社長に確認してほしいという質問を預かっていた。

彼は私より17歳ほど若い方だが、言うなれば柳田國男安藤鶴夫北大路魯山人を足して6:4で割って、香り付けに頭山満翁を少々Twistしたかのような、博覧強記を誇る健啖家、愛飲家、そして読書家である。

■関東以北と九州、自家醸造世帯の割合に大きな差がある原因は?

私:次に友人から質問を預かってきたので、二つほどお伺いします。醤油の自家醸造について、1909年のデータ(醸造家数ランキング)でみると、越後・北関東・東北・北海道の比率が0.4%を最低に一桁台が多く、最も高いものでも16%台に留まります。しかし九州は自家醸造の割合が40%から60%台にも達する県が多くランキングの上位を占めます。その差は何に起因すると思われますか? いかがですか。

社長:「えーと、やっぱり自分のとこで醸造するには温度が要りますよね。それやないかな、こっちは温度の管理がしやすいからな」

二人:はい。

社長:「さっきも言いましたけど、麹は冷やさないかんけど、必ずしも冷やさなくても、麹自体は出来るんですよね。だけど基本的に部屋の温度を30℃とか保たんといかんから、保つなら暖かいところが保ちやすい、というのはありますわね」

二人:なるほど。

社長:「冬もし、この部屋ば暖めろうと思うたら、今のようにストーブとか電気でやるとかあるけど、昔やったら、そうね、薪かなんか焚かんとなかなか出来ないですよね」

私:ボイラーがあるわけでもないですからね。

社長:「そうそうそう。やっぱり、あの、麹は温度が最初に要りますからね」

私:今朝、義理の母も言ってましたもんね、温度管理が難しかったと聞いたと。

社長:「ほんとそうなんですね」

◇   ◇   ◇

もうひとつ、ヒントとなる記述が『福岡県醤油組合七十年史』にあった。

⑤諸味醗酵管理 イ.天然温度醗酵、温醸
 古来から引続き近年まで、醤油の醗酵熟成は天然温度経過を採っていたので、関東以西では1年間、東北、北海道では2年近くを要していました。

『福岡県醤油組合七十年史』(1989年)169P

気温の低い関東以北では、諸味の熟成に時間が掛かり、関東以西の2倍近くにもなっていたのだ。その分、管理も大変だっただろう。

■なぜ九州は麦味噌が多いのか?

私:2問目なんですが。九州は麦麹味噌が発達しましたが、米麹が主流である全国(東海は豆麹)とはどうしてその差が出来たのでしょうか?

カネさん:私も知りたいです。

社長:「う〜〜〜〜ん、これはね・・・・(九州は)米も造ってるからね」

カネさん:ですよねえ。
私:資料とかも出てこないんですね。

社長:「うむ。これはね、いつかねえ、組合に聞いてみましょう」

二人:はい。
カネさん:麦麹味噌は甘いし、美味しいですよね。

カノオ醤油の『麦こうじ生みそ』(画像は公式サイトより)

社長:「福岡県の味噌工業組合の会長に聞いてみますかね(笑)」

二人:(笑)

カネさん:大麦自体は、別に昔は全国どこでもあったんですよね。(質問シートにあった裸麦という言葉を見て)あれ?醤油用は小麦であって、大麦は使ってないはずだけど。

社長:「醤油は小麦ですよ」

カネさん:ですよね。大麦はタンパクが無いから・・・

(その間に社長が味噌工業協同組合の方に電話を入れて下さった)

社長:「やっぱりね、九州は麦がいっぱい穫れるからやないか、と言うとったですね」

カネさん:ま、麦の一大産地ですからね、福岡・佐賀・熊本くらいまでが。

社長:「麦焼酎もあるからね、とおっしゃってましたね」

私:原料が豊富で造りやすかったということですね。

社長:「たまたま、麦で造ってみたら、美味しかったっちゃないと?(笑)」

二人:(爆笑)

◇   ◇   ◇

というわけで、麦味噌の件はひとまず一件落着となった。

社長の最後の言葉に座が大いに和んだ。しかし改めて噛み締めてみると、「たまたま、麦で造ってみたら」というところにこそ、民衆の知恵「Folk Wisdom」の創成と拡散伝播の、それこそ”民衆らしい起点”があるのではないだろうか。

稗田佳昌社長、ありがとうございました。

さて、次回からは、カノオ醤油の個々の商品に迫ってみたい。

可也山山頂から玄界灘を望む (撮影:カネさん)

■まだまだ追いかけてきたSurprise!

ところが、話はこれで終わらなかったのだ。

私とカネさんが電車に乗って福岡市へと戻る際、彼が天神駅ひとつ手前の赤坂にある酒販店に立ち寄ると言う。私はそこの大将とは10年ぶりの再会となることもあって、同行することにしたのである。

電車が赤坂駅の手前に差し掛かった時、スマホが鳴り始めた。ホームに降りて発信元を確認すると、カノオ醤油さんから。折り返しかけたら、稗田佳昌社長であった。

社長:「いえね。辻治助のこと言いよったでしょうが。家内に聞いたらね、辻さんて、昔加布里で大きなデパートをされとったとこがあったんですよ。ほーんと大きい店でね。場所は、ちょうどうちの商品倉庫を入れた一帯です。もう、辻さんて加布里一番の大金持ちやった。屋号は”油屋”やったかな。たぶん、辻さんとはそこのことやないかと。それで、実は辻さんとこは稗田家の親戚、それもけっこう近い親戚だそうなんですよ」

カノオ醤油の商品倉庫。蔵の路地向かいにあるこの倉庫と周辺がデパートだったという。

かつて加布里でデパートという大店を経営し当地一番の分限者となったのは、辻治助の末裔に間違いないようだ。しかも、稗田家と親戚だったとは。

1873年(明治6)6月に勃発した「筑前竹槍一揆」が、末松と辻両家のその後の道のりにどんな影響を与えたのだろうか。いろんな想像が湧く。

ともあれ、ミッシングリンクがまたひとつ繋がった。


(完)



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