還暦で身体障害者になってリスタート
ポケットに1万円
私が建築に関わりたいと思ったのは、小学生の頃の夢がきっかけ。小学校の修学旅行で京都を訪れたとき、バスの中で「将来は京都で仕事をする」と宣言。
色々あって畑違いの大手企業に就職したが、組織に馴染めない落ちこぼれ男。やはり建築がやりたい! 藁にもすがる思いで、1万円をポケットに入れ、何のあてもなく倉敷から京都に来ることになりました。
住み込みのパチンコ店でアルバイトをしながら、半年間の求職活動の末、就職出来たのが建築士事務所。数年して、お世話になった建築士事務所で学んだスキルと人脈を基に、建築士事務所を立ち上げました。
独立起業
そこで始めたのが"風、光、緑"といった、自然の要素を取り入れた家作り。
そして一番大切にしていたのは、お客様の話をじっくりと聴くこと。
しっかりとヒアリングしながら、お客様の理想の家を作っていく。充実した仕事でしたが、設計事務所の経営とステンドグラスの制作はハードでした。
夜中まで仕事をするのは当たり前。睡眠時間も3~4時間が普通。付き合いも多く、食事は外食ばかり。酒もタバコもバカのように吸っていました。
重度の心筋梗塞
2013年3月29日の早朝4時、突然、生涯感じたことがない違和感で目が覚めると、全身冷や汗でびっしょり、頭からは滝のような汗が滴り、心臓が鉛の塊のように重い。
自分では何が起こったのか分からないが、非常事態だということは感じていました。ただ、そんな状態でも不思議と死ぬ予感はしませんでした。
マンションの下で救急車を呼ぶつもりで携帯を持って降りましたが、携帯のバッテリー切れ。もう部屋まで階段を上がる気力も体力もありません。
仕方がないので近くに駐車している自分の車で病院に行くことにしました。いつ意識が飛ぶか分からないので、即座に停止できるようにイグニッションキーに手をかけ時速20キロくらいの速度で1時間かけて病院に行きました。
病院にたどり着いたのはいいが、早朝のひっそりとした受付には、夜間勤務の頼りなさそうな男性事務員のみ。その事務員の対応ではじめて「死ぬかもしれない」と覚悟しました。
結果的には、心臓の冠動脈8箇所が梗塞し、心筋の60%が壊死しましたが、
生き延びたのは奇跡。それは天から授かった「与命」だったかも知れません。
絶望のどん底
入院中に考えていたのは仕事のこと。倒れる前、生業としていた建築士事務所とステンドグラススタジオをどうしょう・・・
長年積み重ねてきた大切なものだけど身体の状態を考えると、このまま続けることはできない。仕事を失う恐怖・・・ 絶望感だけがこみ上げ、このまま死んだ方が良かったと思うこともありました。
設計途中で倒れたことで、納期までに完成できない店舗や建物の損害賠償は1千万以上。その時の私にとっては途方もない金額です。
無我夢中で働いていた時は、「自分だけは大丈夫」という気持ちがどこかにあった。気づいたときには病院の天井を見上げ、絶対安静を余儀なくされた私がいました。
絶望から希望へ
今までやっていた仕事ができず、絶望の中にいた私に、看護師さんがこんなことを言ってくれました。
「小橋さんは悪い例だからね。周りに高血圧の友達とかいたら注意してあげて」 その言葉ではっとしました。
入院中に読んでいた、100歳を越えても現役で医師をされていた故日野原重明先生の本に書かれていた言葉を、看護師さんの言葉で思い出したのです。
「年をとれば肉体は衰え、不自由になり病にもなります。それが老人になることです。しかし、不自由を受け止め工夫して対処すれば、あるいは、サポートがあれば、精神は成長し続けます」
こんな状態になっても生かされた理由が分かった瞬間でした。同じように健康を害してしまった人達に対して、自分の体験からの気づきを伝えるために生きているのだということ。
身体を壊したけど、家族のために健康を取り戻したい人に、私の経験を伝えていこうと決め、建築士事務所もステンドグラススタジオも手放しました。
それからというもの、生活習慣や脳科学の専門書を読み込み、あらゆる専門講座を受講し、生活習慣改善コーチの道へ意気揚々と進みました。
が、世の中はそんな甘いものではありません。
自信喪失
体験セッションをお願いしても、男性は、私のように「自分だけは大丈夫」と思っています。女性は、コーチとはいえ男性に生活習慣の相談をするのは抵抗があります。
そんなことで、何年も、前にも後ろにも進めず行動できない状態が続き、生活のために住宅の耐震検査や建築コンサルタントで食いつないでいました。
パートナーからも、気付きと仕事のヒントをもらいました。しかし、良いと分かっていても「はじめの一歩」が出ず、悶々とした日々が続いていました。
はじめの一歩
パートナーは諦めずに私の行動にブレーキをかけているものをコーチングで一つひとつ外してくれて、やっと行動できるようになりました。
行動ができた一番の要因は強みの発見でした。
私は、建築という強みがあったにも関わらず「大病したからもう建築はできない」という思い込みがありました。このバイアスがあったことで、前にも後ろにも動けない状態に陥っていたのです。
このことで「強み」の対局にある「弱み」の中に、本来の強みが隠れているということがよく理解できました。
循環ということ
小学生の頃、雨の循環について考えたことがあります。雨が降り、土に沁み、陽の光で蒸発し、やがて雲ができて雨になる。
このような自然の循環を感じてから、私が生きてきた要所要所で、『循環の中にいる私』を感じてきました。
そして病気をしたことで、命も循環することを伝えることができる。たとえ絶望を感じても、そこからまた還れるということも。