意識と無意識②|疑問⇒知識・内観(情報の取得)⇒望む⇒意図する
おつかれさまです。
意識の次元をあげる≒無意識を意識にあげる≒意識の拡大
無限の可能性(無意識)の領域に意識(意図、フォトン)があてられて目に見える光景があらわれます(創造)
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🌟身体は意図する(意識を向ける≒観測)と変化のスピードがとても速いですし、一瞬で変わることがあります。
一般的には、例えば歪みを調整する場合、コツコツ毎日修正を続けて早くて2ヵ月で『古い回路(習慣)から新しい回路(習慣)に切り替わります』が、意図が正しくできていれば、常識を超えます。意識の上ではもう変化したことが分かるからです。
意図するとき、◆『執着』や『疑い・不安』がある場合はエゴの力が強めになるのであまりうまくいきませんし、執着の場合、瞬発力や一過性のパワーが強いのでうまくいく可能性はありますが、継続は難しく短期的になります。
◆不安や疑いの場合はそもそもパワーもないのでおそらく途中で挫折します。
いずれにせよ、どちらも「意図」とは呼べません。
例えば、腰痛、便秘をなんとかしたい、などの具体的な症状をなんとかしたいと思う場合、視野が一点集中になるので緊張から執着や不安・焦りが起こりやすいです。一旦、そこにフォーカスするのをやめて『なぜ、腰痛が起こるのか?』『なぜ、便秘になるのか』ということを、俯瞰的に「好奇心をもって」いいと言われるようなアプローチ方法を試す前に、そもそもそのアプローチが本当に正しいのか?自ら研究する、知識をつけること。
腰痛や便秘は赤ちゃんのころ(本来)はないものなので、自然な状態に戻そうとする意識を持ては、身体は素直なので変化は早いです。そこにブレーキをかけているのは、どうせ無理だろうという諦め癖がついているからです。(思考力の低下)
★腰痛も便秘も、ほぼすべての不調が身体のゆがみ(血流・リンパ・氣の滞り)とストレスからくるものなので、いずれにせよ歪みをとことんとっていくことで改善されますし、仙骨の動きに注目するとよいです。
★精神的(内面・性格)的な部分も同じですが、少し複雑です。例えば、自分の怒りっぽい部分を治したいと思う場合、まずは「本当に治したいと思っているのか?それが必要か?それを望むのか?」という疑問から始まり、なぜ怒ってしまうんだろう?という内観でその沸点を観ていくと、共通点がみつかり「原因」に行き着きます。そこまでできたら、本来の自分はこんなに沸点が高くなかったはずだ、という確信に至ればもうすぐに意図できますし、逆にでもいまはこのままでいいや、になるかわかりませんが、いずれにせよ望む状態にそのとき『しっくりきているかどうか?』がとても大切です。そうなったらいいなくらいの『憧れ程度であれば、意図はできません』
正しい知識も、内観や内省も『情報を取得する行為』です。
無限にある情報のなかから、どれがピンときてしっくりくるか?ということを見つけていく過程を愉しめるかどうか?
むしろ、なんでも簡単にすべて人生が思い通りにいったら面白くないはずです。
意図できたら、あとはその情報収集を試行錯誤し、面白がれるかどうか?が人生(時間感覚)の醍醐味のひとつだと思っています。
最後までお読みくださりありがとうございました♡