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ニュートラル、抽象。傾聴。質問力。意識。いろいろ。

わたしたちが自身(世界)をニュートラルにあるがままに観る。ことがなかなか難しいのは、無意識の解釈(観念、痛み)に無自覚だからです。ひとは会話の中で、一つの言葉やひとの名前・国をとってもそれぞれに勝手な【その言葉から連想されるイメージ】で決めつけて聴いているので、相手が伝えたい頭の中のイメージを見える化していくような【シンプルな質問ができず】お互いに無意識にすれ違いが生まれ、本質的な会話(相互理解)が成り立っていないのが現状です。

相手(自分)の話を【聴く】ことができる人が非常に少ないということ。

分かりやすいように伝える力も非常に大切ですが、SNSなどの発信でもひとが本当に伝えたいことを素直(ニュートラル)なこころで聴く(こういうことを伝えたいのかな?と本質を察する)、日常の会話であれば、【自分の頭の中の言語の解釈イメージを一旦脇に置き】相手の頭の中のイメージが見えていくような【質問をする】ことで、気づき共感・視野意識の広がりが生まれます。自分(他人)の話を聴けないということは、エゴの強い世界で生きておりわたしとあなたは違う。【わたしは知っている】という驕りや、【わたしはだめな人間だ】のような劣等感などの【差】が生まれるため、自然な状態ではありません。

ここで言う自然な状態とは、【強い分離感のないこと】わたしたちは世界をそれぞれのフィルターで観ているので完全にわかり合うことは難しいと言われていますが、人間のからだの構造上本質的に同じルーツなので、エゴという強い分離感が解ければ、SNSでも日常の会話でも到底理解できないような人の行動に自分と同じ人間の罪深さを観て内省したり、同じ種類の人にはわかり合う溶け合うような感覚を味わうことは可能ですし、テレパシーのような理解も可能です。「そうなんだ」というような、感覚とも直観とも言えない抽象度の高低の枠を超えたフィールド。


最後までお読みくださりありがとうございました。







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