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小説『だからあなたは其処にいる』第八章 父と息子、そして母

第七章はこちらからどうぞ。



こちらは、これまでのお話をおさめたマガジンです。


第八章の登場人物

【冀州出版社の人々】

岸田一平=僕地方都市にある小さな出版社で働く33歳。小柄で気弱。とても素直な反面、流されやすくズルいところもある。そんな性格が災いしてトラブルの多い人生を歩んできた。好きなことには寝食を忘れて打ち込む。


小野田海人
一平を慕う新入社員。22歳。清潔感あふれる外見と強い正義感が持ち味。会社から徒歩三分の画廊の息子でお金の苦労をしたことがない。職場の顔とは別の顔も。


 
冀州編集長
冀州出版社の三代目女社長。祖父の残した家訓、人は誰でも美しく生きられる、を実践してきた。2000年代に入り、紙の雑誌の売上が落ちてきたことから経営者として判断を迫られている。


萩原さん
冀州出版社の生き字引。64歳。ダンディな外見とおおらかな性格から人望が厚い。冀州編集長の父親と幼馴染で、地元のクライアントとの絆を大切にしている。一平の良さを伸ばしてから退職したいと考えている懐深い人。


【冀州出版のクライアント】

小野田画廊のご夫婦
20世紀のゴッホと名高い、パーク・アンリの絵を日本で唯一扱う画廊。四十代のときに産まれた一人息子の海人を溺愛してきた。




【サロン『アダムとエヴァーン』の人々】

ママ
卑屈になることも卑下することも大嫌い。毒舌であることを自覚しているため、ごめんなさいが口癖。長い目で人を見ることができる、なにもかもを包み込む人情家。



女王蜂ことモッツァレラさん
ママの右腕。キャストを束ねる力がある。前職は地方リーグの野球選手。冷静な目をもちつつキャストの恋をゆるく見守り、恋に敗れたときは上腕二頭筋で受け止める人。



売上No. 1の久美ちゃん
飲まずしてお客を魅了すること十二年。抜群の美貌と会話でお店を支えてきたが、まもなく引退。本名のケンジで呼ばれると軽くキレる。一平との出会いから水商売を辞めることを決意し密かに勉強している努力家。


学生アルバイト
週末だけ働く20 歳。ケンジ(久美)に憧れて入店。




第八章

「久しぶりに働いたぁ!」
肩をぐるぐる回しながら、小野田君が深夜一時の空気を吸い込んだ。

まさか大金持ちの画廊の息子が、夜職で働いているとはなぁ。小野田君の編集部での姿からは想像がつかなかったな。人は見かけによらない。それにしても似合ってた。あの空間が。

「いつからアダムとエヴァーンで働いてるの?」
店のオヤジ共の質問に呆れていたくせに、僕は僕で好奇心でいっぱいだ。

「こう見えて法律は守るんでぇ、二十歳でデビューです。今も学生アルバイトいるでしょ。あんな感じで。酒が飲めなくても成立するのはケンジさんだけですから。ヒッ。」
高級シャンパンを飲み過ぎたのか、小野田君のひゃっくりが止まらない。



「ご両親が会員って言ってたけれど、京都の一見さんお断りシステムなのかな。」
大人の遊びに疎い僕は、小野田君から大人の世界を学んで今回の依頼をよりよいものにしようと必死だ。

「ケンジさんやモッツァレラさん目当てでワラワラ新規が来ても店が荒れるんで。基本、紹介がないと入れないです、あそこは。ガヤガヤしてなくて、古き良き大人の社交場って感じですよね。」

22歳だよな、小野田君。萩原さん世代が口にするようなことをスラスラ話すんだ。同じコネ入社だけど、僕とは違う。須藤先輩は、僕らをひとくくりにしたけれど、それは偏見だよな。


小野田君が急に立ち止まった。
向かいあった顔を見上げる。髭が伸びてきてニヤけた目がだらしない。

「聞きたいことは、それだけでふかね。ヒッ。僕は職場でもゲイであることを隠すつもりはないけど、わざわざ言うつもりもありまっせん。ヒッ。」

うわぁ。重い、重いよ小野田君。寄りかかってこないでよ。そう、体育坐りしといて。

「いいと思うよ。僕は…バイだけど、特に話してないし。プアンに告られたときに話したんだけど、それでもいいって言うから付き合った。でも……傷つけたのは僕のほうだったんだよね。」


ん?聞いてないね、全然。

足元にキャラメルコーンみたいな小野田君が転がっている。

「道端で寝るなんて金持ちらしくないよ、小野田君。起きてくれよ。僕じゃ運べないんだから。」

僕は途方にくれた。

「あらあら。まぁ岸田さん、すみません。うちの子が大変お世話になったそうで。アダムのママから連絡がありましてね、こうして迎えに来たんですよ。恥ずかしいわ、こんなところで寝てしまって。」

シルクのワンピースの上から和装の羽織を着ているのに、小野田さん、いやお母さんは道路に膝をついて座り息子をゆすり続けた。

「なんだとー!恥ずかしい息子で悪かったなー!」

パシーン!!!!!

プロレスラーも真っ青の張り手が小野田君の顔を歪めた。
「痛いなぁ!ヒッ。なにすんだよ。」

「私は一度だって、あなたのことを恥ずかしいなんて思ったことはないわ。道端で寝るなんてみっともないって言っただけ。」


僕が、僕なんかが、此処にいていいのだろうか。小野田君の苦悩は、僕と重なることはないと思う。女性とも付き合っているから…。

この地域の人は比較的、暮らしにゆとりがある。専業主婦が多く、会員制のサロンやバー、テーラー、画廊などが多い。特に小野田画廊の奥さんはお金持ちで悠々と暮らしているものと、僕は決めつけていた。

悩んで酒に溺れる小野田君を、お母様は恥とは思ってないと言った。僕の母親は無理だろうな。墓場まで持っていくんだ、僕は。




ケンジさんは、僕がバイだとわかったらどう思うだろう。悲しむかな。それとも怒る?こんなことを考えるなんて、自惚れてるよな、まだ何も知らないのに。

早く帰ろう。あの一人の部屋へ。

今は描くだけだ。ケンジさんだけじゃない。小野田君やモッツァレラさん、ママさんのことを描く。人の姿にはしないけど、お母様の愛は必ず表現したい。


通りの向こうから大柄の初老の男がやって来た。

「あなた、そんなに怒らないで。」

小野田君のお父さんを見たのは初めてだ。会社がお世話になっていても、こんな状況では挨拶どころではない。

小野田君が道で寝てしまうのは初めてではないのだろう。お父さんは大きな溜息をついただけで、小野田君に話しかけることはない。

「岸田さん、今日はありがとうございました。これからもどうかお願いします。」
お母さんからお礼を言われ、これからは僕が盾になりたいと思った。

「いえ。僕の仕事を手伝ってくれたのは小野田君ですから。僕のほうこそありがとうございました。」

お父さんとお母さんが両側から抱えて、泥酔した小野田君を連れて帰っていった。


カチャ。

プアンのいない部屋に帰る。一人にまだ慣れない。彼女の残していった物を、僕はまだそのままにしてある。

さぁ。取りかかるぞ。

背景は紫苑色にしよう。サロン自体は金色とピンクを基調としていたけれど、働く人たちはみな儚げで不安を隠しているんだ。サロンのママや小野田君のお母さんの思いを、必ず表現したい。写実画よりは水彩画や点描画が繊細でいいかもしれない。うちの雑誌のイメージから浮いてしまうと富裕層に興味を持ってもらえないから、明日は会社終わりにこのあたりの建物を眺めてみよう。住まいに家主のセンスは出ているだろうから。


イラスト案は、この二つ。編集長は五つプランを出せって言ったけれど、いくら広告だからって量が必要とも思えないし。

字体はどうしよう…。サロン名が長いからなぁ。文字として独立させる必要がない気がする。小野田君は、紹介がないと通えない店って言ってた。

それなのに、どうして広告を?

アダムのママに聞くのは不味いかな。こういう時の判断ができるようになりたい。萩原さんに相談しよう。


ツルルルル。ツルルルル。

「萩原さん夜分にすみません。一平です。今いいですか。」

「どうした?夜中の二時だぞ。遅刻しちまうだろう、早く寝ろよ。」

「あ、今はお話できませんか。じゃ会社でお願いし」

「だーれぇ?女なのぉ?」
「違うよ、一平だから。出なくていいのに勝手に出るからなぁ…」

うそだろ??
その声は冀州編集長?



〜続く〜


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上湯かおり
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