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小説『だからあなたは其処にいる』第五章 僕の初依頼


第四章はこちらからどうぞ。



これまでのお話をおさめたマガジンもあります。お時間があればどうぞご覧ください。


第五章の登場人物

プアン
岸田一平の元彼女。冀州出版に五年勤めていたが、家族の希望もあり退職した。日本を離れカンボジアで暮らしている。


【冀州出版社の人々】

岸田一平=僕
地方都市にある小さな出版社・冀州出版社で働く33歳。小柄で気弱。とても素直な反面、流されやすくズルいところもある。そんな性格が災いしてトラブルの多い人生を歩んできた。好きなことには寝食を忘れて打ち込む人。


冀州編集長
冀州出版社の三代目女社長。祖父の残した家訓、人は誰でも美しく生きられる、を実践してきた。2000年代に入り、紙の雑誌の売上が落ちてきたことから経営者として判断を迫られている。

萩原さん
冀州出版社の生き字引。64歳。冀州編集長の父親と幼馴染で、地元のクライアントとの絆を大切にしている。一平の良さを伸ばしてから退職したいと考えている懐深い人。


須藤さん
冀州出版社一の敏腕社員。当たる企画は須藤からと言われるほどアイデアが天からおりてくる人。口が汚く武闘派。社員になった一平が隣の席になったことから、毎日イライラが絶えない。


小野田海人
一年目の新入社員。22歳。清潔感あふれる外見と強い正義感が持ち味。会社から徒歩三分の画廊の息子でお金の苦労をしたことがない。職場の顔とは別の顔も。



【サロン『アダムとエヴァーン』の人々】

ママ
卑屈になることも卑下することも大嫌い。毒舌であることを自覚しているため口癖は「ごめんなさい」。長い目で人を見ることができる、なにもかもを包み込む人情家


第五章

「一平、知ってるなら知ってるって言ってくれよ。」
萩原さんが肘鉄ひじてつを僕に食らわす。

「あの…失礼ですが、僕のことご存知なんですか。」
僕は必死で記憶の海を探すが、目の前にいる迫力満点のメイク真っ最中の人は出てこない。

「ぼうやじゃ失礼よねぇ。ごめんなさい。覚えてないのも無理ないわ。気にしないで。思い出さなくていいのよ。」

僕らと打ち合わせするというのに、その人はメイクの手を止めない。どんどん目が盛られていく。

「ごめんなさいね、時間がとれなくて。同時進行でお願いします。」

よくこんな薄暗いところでメイクできるよなぁ。僕は、見事な手の動きに釘付けになった。
 
奥のほうから、ハープのような綺麗な声が聞こえてきた。
「ママー、今日のお花こんな感じでいい?」

「ありがとう。とっても素敵よ。手が荒れるのにごめんね。あなたのお花じゃないと駄目なお客様が多くて。」

お店のしつらえに、こんなに力を入れているのか。今日は僕の無意識の偏見に気付くことばかりだ。


「広告って、作っていただくことは出来るのかしら。私達がそのまま雑誌に載るのは違うと思うのよね。絵とか写真とか書とか。」

「もちろんです。うちのデザイナーがいくつか提案させていただいて、その中から方向性を擦り合わせしていく形になります。掲載料と別にデザイン料もかかりますが、ちなみにご予算はいかほどでしょうか。」

メイクブラシをイッタラのグラスに入れ、ママさんは笑顔で指を三本立てた。

「三十万ですと、このくらいのサイズになりますね。文字のみのデザ」

「課長さん?部長さんかしら。私が指を立てたら一本百万よ。やってくれる?」

「あ、大変失礼いたしました。勿論、お写真やイラストの入ったものをご提案できます。」

萩原さんがしどろもどろになるのを初めて見た。まるで、僕みたいだ。


「ちょっと、ぼうや!仕事しなさい!ぼんやりしちゃって。ほんと世話がやける子ね、まったく。」

しまった…。僕の悪い癖だ。人の話を集中して聞くのが難しい。いつも途中から話がぼんやりしてきて、必死で僕なりに考えるんだけど見当違いのことが多い。いや、落ち込まないぞ。もう前の岸田一平じゃないんだ。

「すみません!」
僕が頭を下げると、綺麗なおねえさんになったママさんが、僕の顎を持ち上げて言った。

「あなたがデザインしてちょうだい。」


萩原さんが慌てて返答する。
「岸田はまだ新人でして。百件以上の実績があるデザイナーにお任せくだされ」

また、萩原さんの提案にママさんがかぶせてきた。
「課長さんのお気持ちはわかりますよ。でもね私、この子に仕事させたいの。お願いしましたよ。」

萩原さんが納得しかねるという表情をしていても、ママさんは一向に気にしていないようだった。

「はいっ!お任せください!」
僕の、急にやる気スイッチが入った。話を聞くのは苦手だけど、僕は絵を描くことなら大好きだ。

「一平、店内を見せていただいてデザインのイメージしてろ。あとは俺が説明するから。」

「そうね。ぼうやがそばにいると、話が前に進まないものね。」

とても楽しそうなママさんが、僕には不思議で仕方なかった。知らない人だけど、こんなに期待してくれているんだから頑張ってみよう。

面白そうだと思う仕事にやっと出会えた気がしたんだ。未経験とか関係ない。


編集部に戻ると、冀州きしゅう編集長が仁王立ちで待っていた。

「一平、あの店でなにやらかしたのよ。契約したのはいいけど、絶対に一平にデザインさせろって電話で念押しされたわ。」

萩原さんは一人、するりと窓のほうへ歩いていくと、夕日を眺めながら煙草を吸い始めた。

「それが、僕には心当たりがないんです。あの辺りを歩いたことはあります、たぶん。よく行くバーが近いから、酔っ払って歩いたことならあるのかな、たぶん。でも今日のクライアントのお店は行ったことありません。初めてです。」

「編集長、一平が嘘をついてるわけでもないと思いますよ。まぁ、あの店のママが一平のこと気にかけてくれてるのは確かですね。赤ちゃんの頃を知っているのかもなぁ。ぼうや、って何度も言ってましたから。」

「なんだか話が見えないわ。親戚なの?思い出したら言ってよ、一平。デザイナーにアドバイスもらって、早々に五つデザイン画を描いて。今週末、クライアントにメール送信。週明け、一回目のプレゼンよ。」

「え!今日、水曜日です…。今週末って土日も入れていいですか?」

「いいわよ。一人で抱えないで、プロのデザイナーにアドバイスを受けるのよ。簡単じゃないんだから。」

うちの編集長は、契約数とか掲載料の額で喜ぶ人じゃない。読者にもクライアントにも長く満足して関わっていただく、それを実践しているんだと僕なりに理解してきた。


ふと、プアンの絵を描くことがあったのを僕は思い出した。

僕の左手が珍しく張り切っている。隣の席の、ボツになった須藤先輩の企画書をもらう。

ところどころ文字が透けて見える白いコピー用紙の裏紙に、お店で見た美しい人を描き始めた。

花をいけている人の美しさは群を抜いていたな。クリムトのエリザベート・レーデラーみたいだった。

あの人をモチーフにすれば、きっとお店の雰囲気を広告で伝えられるはずだ。

素敵だと思う広告を創って、ママさん達に喜んでもらいたい。お客さんも増えたらいいな。きっとあの感じだと、僕の給料じゃ通えない店だ。あのサロンには、どんなお客さんが来てるんだろう。ママさんたちにいろいろ聞いてみたいな。こういう時、デザイナーさんは一人で黙々とデザインするのかな。

僕の初めての依頼。
今はまだなにも見えない。


シラーは確か、こう言ってたぞ。

もし君の行いと作品が万人に愛されないなら、少数の愛に期待すればいい。

多くのものに愛されるものは、所詮大したものではないのだから。


〜続く〜





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