小説『だからあなたは其処にいる』第九章 濁流に飲み込まれる
第八章はこちらからどうぞ。
こちらは、これまでのお話をおさめたマガジンです。
第九章
一
「おはようございます!!」
僕は努めて普段通りの表情をつくる。
「おぉ。早いなぁ一平。寝てないんじゃないのか。」
「あ、いや。寝てます。」
ほんとは徹夜した。
だって、萩原さんと冀州編集長が密会してたことが気になって…。
「まだ誰も来てないから言うけどな。昨日の電話は非常識だぞ。夜中まで仕事してるのは偉いと思うが、いくら編集やってる人間でも日をまたいだら電話しちゃいかんだろう。」
日をまたいで密会している萩原さんは非常識ではないのかな…。
「一平は嘘がヘタだな。元気におはようございます!!なんて入ってくるし。顔に『不倫』って書いてあるぞ。」
ニ
「ぼ、ぼ、僕は何も聞いてません!」
どうして僕が追い詰められてるんだ?
「一平、アルバイトだったから葬式に呼ばれてなかったもんな。冀州編集長は独身だ。ご主人は三年前に他界してる。」
煙草を吸う手に深い皺が刻まれている。頼れる男そのものだ。美しい手だ。尊敬に値する手だ。
「一平、またぼんやりして。どうせ疑ってたんだろう?違うのか?」
だから、なんで僕が問い詰められてるの?
三
「確かに、透子ちゃんから好意はもたれてるよ。でもな、子どもの時から知ってる子を恋愛対象にはできん。相談相手にはなれるが。ま、そう話してたんだ。そこへ一平が電話してきて透子ちゃんが勝手に電話に出ようとして、あぁなったわけだ。」
嘘かマコトか?
萩原さんに限って嘘はないと信じたい。
四
「おはようございます。二人とも張り切ってるねー!」
歩くポジティブマシーン須藤先輩が来てしまった。
「おはようさん。今日は大事な発表があるから、ケンカは御法度な。」
萩原さんは楽しそうだ。
「萩原さん、私のせいじゃないでしょアレは。小野田君に言ってください。」
須藤先輩の声のトーンが明るくて、僕には辛い。
「一平、それ見せて!」
「うわー!やめてください。まだ途中ですから。」
「編集長もアドバイス受けろって言ったの忘れてた?」
デザイナーって、須藤先輩のことか……。終わった。大嫌いな人と仕事するのは難しいよ。
五
「おはようございます。あれ?仲いいですね。良かった良かった。」
小野田君が、何もなかったかのように爽やかに入ってきた。夜中のことを覚えていないのかもしれない。
「小野田も仲良くな。三人よればって言うだろ。冀州出版社の未来はお前たちにかかってるぞ。」
萩原さん、三本の矢の飛ぶ方向がバラバラなんです…。
六
「小野田君が新人らしくすればいいだけだから。」
腕をブンブン振り回して言う須藤先輩が今日も怖い…。
「なに言ってるんですか。須藤さんの発言の98%はパワハラですよ!」
元気だ。二人とも元気だ。落ち着いてくれよぉ。アダムの広告案を考えてるのに。
「一平、知ってるか。こういうのはトムとジェリーだ。仲良くしてるだけだから気にすることないぞ。」
萩原さんが小声で僕に言った。
七
「あら。みんな早いのね。」
冀州編集長が来たーーーーー!!
僕はどんな顔をしたらいいんだろう。萩原さんにバレてるし。や、僕がなんで動揺してるんだ?
「昨日はごめんね、一平。驚いたでしょ?相談したいことがあって萩原さんと飲んでたのよ。」
「えー!私も呼んでくださいよ。どこで飲んだんですか。」
須藤廣子が言う。
すかさず小野田海人が言う。
「こんどは僕も是非。お願いしますっ!」
萩原さんの言う通りかもしれない。須藤先輩と小野田君は仲良くしてるだけなのかもな。
それにしたって、冀州編集長が片想いしてるなんて…。
八
他の社員も全員出社した時、萩原さんの顔がこわばっているように見えた。緊張しているのだろうか。
「みんな、聞いてくれ。今日は冀州編集長から大事な発表がある。すまんが仕事の手を止めてくれ。」
九
「ありがとう、萩原さん。」
冀州編集長の顔が白い。
いつになく顔色が悪い。
「冀州出版には、私達がいる婦人部と美術部があるわよね。それぞれ二誌ずつ月刊誌を作ってきたわ。一平もそれくらいは知ってくれてるわよね。」
「はい。もちろんです。」
「紙媒体が厳しい現状は、みんなが一番わかってると思います。婦人部の二誌を一本化します。いずれ、美術部のほうもそうなるわ。とりあえず、あっちは月刊を季刊にするけど。」
「ちょっと待ってください。編集長、それじゃあプアンの、じゃなくて一平の企画はどうなるんですか。いい企画だったのに。」
須藤先輩が、僕が一番聞きたいことを聞いてくれた。
「季刊誌にするような雑誌じゃないのよ、うちの婦人雑誌って。主婦は365日一日も休みなんてないわ。一年ずっと応援していくには、月刊じゃないと無理だと思ってる。」
編集長の肩と手が震えている。
萩原さんが横に行き、肩に手を置いた。
十
「いつかはこうなると思ってたが、とうとう来てしまった。60年代70年代は発行部数で、80年代90年代は単価を上げることで、読者とクライアントに満足してもらえる雑誌創りができた。今は俺と一平、編集長も血眼になって営業かけてるが、広告が取れなくなっている。すまん。俺の力不足だ。責めるんなら俺に言ってくれ。」
萩原さんが、頭を下げている横で冀州編集長もまた、社員に頭を下げた。
「社員の誰も悪くないわ。私の経営がまずかったの。でも、一本化することで、よりクオリティの高い雑誌にできるようにする。昨日、小野田さんから言われた通りなの。新入社員やアルバイト、派遣社員のみんなが働きやすい環境作りからやり直すわ。どうか力を貸してください。納得がいかない人がいたら我慢なんてしないで教えてね。個別に時間を作ります。」
十一
「すみません。早期退職者を募る発表ですか、これ。」
会議でもほとんど発言してこなかった社員、吉村春瑠さんが怒りを懸命に抑えて編集長を問いただした。
「はい。そう捉えていただいてかまいません。申し訳ないのだけど。」
編集長は身を小さくした。
「私、小学生の子どもを二人育ててます。シングルなのは編集長だってご存知なのに!」
〜続く〜