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小説『だからあなたは其処にいる』第六章 小野田VS須藤

第五章はこちらからどうぞ。



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第六章の登場人物

プアン
岸田一平の元彼女。冀州出版に五年勤めていたが、家族の希望もあり退職した。日本を離れカンボジアで暮らしている。


【冀州出版社の人々】

岸田一平=僕
地方都市にある小さな出版社で働く33歳。小柄で気弱。とても素直な反面、流されやすくズルいところもある。そんな性格が災いしてトラブルの多い人生を歩んでいきた。好きなことは寝食を忘れて打ち込む。

冀州編集長
冀州出版社の三代目。祖父の残した家訓、人は誰でも美しく生きられる、を実践してきた。2000年代に入り、紙の雑誌の売上が落ちてきたことから経営者として判断を迫られている。

萩原さん
冀州出版社の生き字引。64歳。冀州編集長の父親と幼馴染で、地元のクライアントとの絆を大切にしている。一平の良さを伸ばしてから退職したいと考えている懐深い人。

須藤さん
冀州出版社一の敏腕社員。当たる企画は須藤からと言われるほどアイデアが天からおりてくる人。口が汚く武闘派。社員になった一平が隣の席になったことから、毎日イライラが絶えない。


小野田海人
一年目の新入社員。22歳。清潔感あふれる外見と強い正義感が持ち味。会社から徒歩三分の画廊の息子でお金の苦労をしたことがない。職場の顔とは別の顔も。



【サロン『アダムとエヴァーン』の人々】

ママ
卑屈になることも卑下することも大嫌い。毒舌であることを自覚しているため、口癖は「ごめんなさい」。長い目で人を見ることができる、なにもかもを包み込む人情家。


女王蜂ことモッツァレラさん
ママの右腕。キャストを束ねる力がある。前職は地方リーグの野球選手。冷静な目をもちつつキャストの恋をゆるく見守り、恋に敗れたときは上腕二頭筋で受け止める人。


売上No. 1の久美ちゃん
飲まずしてお客を魅了すること十二年。抜群の美貌と会話でお店を支えてきたが、まもなく引退。本名のケンジで呼ばれると軽くキレる。一平との出会いから水商売を辞めることを決意し密かに勉強している努力家。


学生アルバイト
週末だけ働く20 歳。久美に憧れて入店。


第六章

「まさか、それが広告になるなんて思ってないわよね?」

はいぃ!なたが飛んできました。冀州きしゅう編集長はこうでなくっちゃ。どんどん言葉の鉈を投げてください。叱られて伸びるタイプですよ僕は。

「まだ、アイデアを出している段階です。お店で働いておられる方だと思うのですが、非常に絵になる人がいたので思い出して描いてました。」

「あなた美大予備校みたいなところ行ったんだっけ。写実的よねコレ。見る人が見れば誰かわかるようなものなら、ご本人に承諾を得てちょうだいね。オーナー様やママさんにも。あとで揉めるのはもう懲り懲り。必ず確認するのよ。」

「はい。でも、お店へ行く費用は…。」

「馬鹿馬鹿しい。バブル期のリーマンみたいなこと言わないで。2000年代の出版業界は斜陽なの。知ってるでしょう、一平だって。」

プリプリしたお尻を揺らして、編集長は営業へ行ってしまった。

プアンは営業もデザインも企画もしてたんだよなぁ。めちゃくちゃ仕事が忙しいのに、僕との将来のことまで考えてくれてた。僕は子どもだったんだ。はぁ…。

「はーい。いつか自腹で行ってきまーす。」
僕は、編集長の背中に向かってつぶやいた。


なんとも情けない話だが、三十歳を過ぎても手取りが十五万に届かない僕は、親から仕送りをしてもらっている。アルバイト時代は十万なかったのだから、僕の稼ぎは増えた、これでも。

プアンは三十万とか四十万もらってたんだろうなぁ、おそらく。いつだったか親に仕送りしてるって言ってたもんなぁ…。

いけない、いけない。未練たらしいぞ。プアンは僕に見切りをつけたんだ。もう諦めろ。

「ちょっとぉ!」
顔を上げると、須藤先輩が覗き込んでいた。

「一平が鼻水垂らして泣いてます!こんな人の隣で仕事できない私。」

そんな大声で言わなくてもいいじゃないか。だから嫌いなんだよ須藤先輩のことは。


「小野田君、なぁに?」
新入社員の小野田海人が、いつのまにか僕の背後に立っていた。見上げた小野田君は顎のあたりまで手入れが行き届き、朝の太平洋のようにキラキラと眩いばかりだ。手抜きのない身だしなみは周りの人も幸せにする。僕も見習わなくては。

「須藤さん、お言葉ですが。絵を描く人間が泣くことの何が悪いんですか。なにもないこの白に、自分が見たもの感じたものをぶつけてる最中に、横から邪魔するのはやめてください。」

ちょっ。僕を挟んで喧嘩はやめてくれ!小野田君、キミは新人なんだぞ。

「はぁ?何キレてるの?小野田君も勘違い組なわけね。画家崩れは必要ないから。ここではね、クライアントの要望を形にするのが仕事。読者にアクション起こしてもらうのが広告なの。」

須藤先輩は吸っていたタバコを灰皿に力いっぱいねじり込んで、ハイヒールをカツカツ鳴らしながら小野田君に睨みをきかせている。

「ばかばかしい。須藤さん、画家こそ富裕層の好むものを探ってます。描きたくないものだって描きますよ。自分が本当に描きたいものを作品にするために、泥水すするような思いで描きたくないものだって時には描いてますよ。無名の画家も地獄見てますって。」 

それはそうなんだけど、今それ言う必要あるのか、小野田君。僕の頭の上を戦場にするのは二人ともやめてくれよーー!!

「お前、親の画廊に帰れ!仕事できない新入りのくせに。コネはこれだから。」

須藤先輩の怒りはおさまらない。萩原さんがやってきた。きっと二人をたしなめてくれるんだろう。


え、え。身体が浮いたぞ。

小野田君が編集長のもとへ、なぜか僕を引っ張っていった。体重40キロの僕は、あっさり引きずられていく。

「冀州編集長は、岸田さんがこんな目に遭っているのを何年も見過ごしてきたんですか。これで、どうやって新入社員がクリエイターとして成長できるっていうんですか。時代錯誤もいいとこだ、この職場は。」

僕は、ぼ、僕は何も言ってないです……。

冀州編集長は顎が外れそうなくらい、ぽかーんと口を開けて目が泳いでいる。

「一平、この新人の教育、今日から任せるわ。それ、家で仕上げてきて。二人とも帰っていいわ。私は、この後もクライアントと会わなきゃいけないのよ。その話は明日また聞くわ。」

「はい。わかりました。明日またお願いします。」
小野田君は明るい。どうしてこの会話の流れで、爽やかな笑顔でいられるんだよ。僕まで巻き添えになったじゃないか…。


「お先です。さぁ、岸田さんも帰りますよ。いいとこ連れていきますから。」

いやいやいや。僕は君の教育係なんてごめんだ。

「僕はこの通りポンコツなんだ。僕なんかとプライベートまで一緒にいたって、あまりいいことないと思うよ。」

「なに意味のわからないこと言ってるんですか。仕事ですよ、仕事。」
小野田海人のペースについていける人間なんて、この世にいない気がする。

僕は、何処かへまた引きずられて歩いている。どうして、うちの編集部は武闘派ばかりなんだ。

あれ。あれれれ。見慣れた路地裏に来た。

ここは僕が企画書を任された、サロン『アダムとエヴァーナ』じゃないか。

「小野田君、こんなお店に入るにはちょっと持ち合わせがないよ、僕は。」

「大丈夫ですって。僕の親が払いますから。」
小野田君は期待に鼻を膨らませ、スタッフオンリーユーと雑に書かれたドアに手をかけた。

「ね、小野田君。お金あるんならどうして表から入らないの?」

僕にはもう、何がなんだか。

「今の時間なら、キャストのみんながドレスに着替えてメイクアップします。僕の両親がここの会員だから、子どもの頃からここで遊んでたんですよ。アートメイクですから。とんでもなく楽しいですよ!まぁ、見てくださいって。」

子どもの頃から、ここで遊んでた??アート??

「着替えなんて、見ちゃ悪いよ。ちゃんと表から入ろう。」


無敵の人というのは無くすものがない人のことだと思っていたが、どうやら別の意味での無敵の人もいるらしい。

「あ、ありがとう。僕もほんとは来たかったんだ。でも、気が引けるな…。」

長い廊下の先に白いドアがある。ノックもせずに小野田君がドアを開けた。


「ハーイ!海人、久しぶり。珍しいじゃない。三週間も来ないなんて。」

髭剃り中の人がいたり、左目だけ大きく綺麗な目の人がいたり。僕や小野田君が来ても、動じる人はほとんどいなかった。

「あれー?海人と一緒にいるのって、あの時のゲロゲロぼうやじゃない?やっだぁ。連れて帰って。ソファひとつダメになって大変だったんだから。」

ん?僕がゲロゲロ?僕はここに来たことがある?

「みなさんは…僕のことご存知なんですか。」

ハーイ!
ハーイわたしもー!
わたしは知らなーい!

五人程の人が手を挙げている。
中には僕の顔を見に来た人もいた。

「今日は顔色いいわね。良かった。」

僕の顔をまじまじと見るこの人こそ、僕が絵にしようとしている人。

つけまつげが他の人より自然なボリュームなのが、かえって目を引く。チークだけは少し濃いめで艶めかしい。口元にはどんな色がのるのだろう。早く見せてほしいな。

小野田君は慣れた様子で中央に陣取り、会社勤めを始めてからの心境の変化や、出版業界の今後についてみんなと談笑している。


緊張を隠せないまま、僕はケンジと呼ばれる人に話しかけた。

「あ、あの、良かったらメイクの様子を見せていただきたいのですが。広告の企画書は僕がつくることになりました。イラストを描く参考にさせてください。」

「ちょっと恥ずかしいけど。あなたのお役に立てるのなら喜んでお見せするわ。」

良かった!これでイメージが固まりそうだ。

きっとグスタフ・クリムトも、素敵な人を見ると描かずにはいられなかったんだ。


「綺麗な人ですよね。」
小野田君が僕にささやいた。

ケンジさんが振り返り、僕らに微笑む。

長身だから、手足がしなやかに伸びて、ドレスがよく似合う。絵画から出てきたような人っているんだな。

僕の鉛筆は止まらない。鉛筆の芯は、描けば描くほど艶々になる。たまにシャリリと音がして、絵の中で踊ってみる。僕は白い紙のもっと中へ入る。

ケンジさんが知らない間に見ていた。僕は頭の中が真っ白になった。

瞳の奥を見つめられ、唾を飲み込んだ。


〜続く〜



第七章へようこそ。


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