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小説『だからあなたは其処にいる』第四章 新入社員 小野田海人


第三章はこちらからどうぞ。



これまでのお話をおさめたマガジンもあります。お時間があればどうぞご覧ください。

第五章の登場人物

プアン
岸田一平の元彼女。冀州出版に五年勤めていたが、家族の希望もあり退職した。日本を離れカンボジアで暮らしている。



【冀州出版社の人々】

岸田一平=僕
地方都市にある小さな出版社・冀州出版社で働く33歳。小柄で気弱。とても素直な反面、流されやすくズルいところもある。そんな性格が災いしてトラブルの多い人生を歩んできた。好きなことには寝食を忘れて打ち込む人。


冀州(きしゅう)編集長
冀州出版社の三代目女社長。祖父の残した家訓、人は誰でも美しく生きられる、を実践してきた。2000年代に入り、紙の雑誌の売上が落ちてきたことから経営者として判断を迫られている。


萩原さん
冀州出版社の生き字引。64歳。冀州編集長の父親と幼馴染で、地元のクライアントとの絆を大切にしている。一平の良さを伸ばしてから退職したいと考えている懐深い人。


須藤さん
冀州出版社一の敏腕社員。当たる企画は須藤からと言われるほどアイデアが天からおりてくる人。口が汚く武闘派。社員になった一平が隣の席になったことから、毎日イライラが絶えない。


小野田海人(おのだかいと)
新入社員。22歳。冀州出版社の近所で両親が小野田画廊を営んでいる。清潔感あふれる外見と強い正義感が持ち味。お金の苦労をしたことがない。



【サロン『アダムとエヴァーン』の人々】

ママ






第四章

「忙しいところ悪いのだけど。一平がほしい人材でいいから、うちの求人広告を作ってほしいのよ。」

僕の元カノのプアンの抜けた穴が大きく、冀州きしゅう編集長は二カ月ろくに休みをとっていない。

あんなに綺麗な人だったのにねと、陰口をたたく派遣社員もいるくらい疲れが顔に出ている。編集者が一人減っただけなのに、毎日みんながてんてこ舞いで雰囲気は最悪だった。

「求人ですか。僕、就職活動したことないからなぁ。コネ入社なの編集長だって知ってるでしょ。」

みんながどっと笑った。コネをネタにする日が来るなんて我ながら成長したもんだ。

「性別問わず。年齢制限なし。忙しい時は残業があるから、持病のあるかたは事前に要相談。ってことは書いておいてね。」

このくそ忙しい時に、なんで僕にそんな仕事ふるんだ。冀州編集長はヴィーナスなんかじゃない。鬼だ!悪魔だ!


「喫煙者オッケーって書いとけば。ほら、美術部のほうはダメだけど婦人部は大丈夫だから。」

須藤華子さんが、すかさずアイデアを出してきた。僕より二年早く入社した先輩だが実年齢は知らない。どの雑誌の連載も読者にウケる連載の多くが須藤さんの企画で、編集長からの信頼も厚い。

僕は須藤先輩がとても苦手だ。僕がアルバイトの間は無視されてきたし、社員になってからは須藤さんのほうからやたらと会話に混ざってくることに困惑していた。無視されてきた恨みのようなものが残っているのか自分でも理由がわからないけれど、いまだに上手く会話できない。

「わかりました。取り入れます。ありがとうございます。」
目を合わせずに、努めて丁寧に返事をする。

「AIより愛想がない返事だね。余計なお世話でした。ごめんごめん。」

メーン!メーン!須藤さんのエア剣道が始まる。
みんなゲラゲラ笑い始め、重い空気は一掃された。こういうところなんだよなぁ。僕はぜんぜん面白いと思わない。此処ここは職場ではないのでしょうか。

企画力だけでなく、コミュニケーション能力もずば抜けているムードメーカー。僕にはないものを全て持つ人。ムカムカして仕方ない。

僕の顔がこわばって余裕をなくしていたから、わざとおちゃらけてくれたのかもしれないけれど…。尊敬するかって言われたら…。やっぱりまだ嫌いなんだよ須藤先輩のこと。

「喘息とかアレルギー体質のかたには不向きな職場環境です。って、本当のことズバリ書きますか。ヘビースモーカー多すぎでしょ、ココ。」

なぜだか自分でもわからないけれど、不機嫌な口調で発言してしまった。みんな呆気にとられている。

「確かになぁ。入社後に揉めるより、先に知らせるほうがいいよな。そのくらい酷い環境だココは。書いとけばいいんじゃないか。」
楽しそうに萩原さんが加勢してくれた。

なんだかおかしな求人になりそうだ。

採用 若干名

編集部の9割がsmoker
喫煙者大歓迎

性別•学歴不問
年齢制限なし

賞与二回(夏、冬)
退職金なし


編集者、コピーライター、イラストレーターは実績に応じて給与アップいたします。

残業がある日がございます。持病のあるかたは勤務日数など相談に応じます。

あなたのセンスで婦人雑誌『モレーン』と『ミセスサロン』に革命を!!

by 岸田一平

うーん……。なんだこれは。

「こんなので来ますかね、いい人。」

冀州編集長に下書きを見せると、その場でノートパソコンでカタカタとチェックし始めた。ほどなく会社の公式SNSに求人情報が公開された。




「話が変わりますが、雑誌名のモレーンとかミセスサロンって地味ですよね。特に、モレーンって意味がわからない言葉だし。盛れるっていう流行語からも離れているようにも思うんです。モレーンって何ですか。」

冀州編集長に単刀直入に聞いてみた。

「一平世代には、こういう雑誌名ってウケないのね。そっか…。でも、盛れるなんて言葉そのうちすたれるんじゃないかしら。モレーン湖って知らない?世界で一番美しい湖って言われてるの。カナダにあってね、この会社の創始者、冀州和平きしゅう かずひらがカナダ旅行した時に決めたんだって。」

楽しそうに冀州編集長が話しているのを久しぶりに見た僕は、三代続く伝統が雑誌に込められていたのだと知った。そして、忙しい時にこそ息抜きが必要なんだとわかった。

行ってみたいなぁ。サイクリングとかトラッキングできるかなぁ。




プアンが編集部を去ってから三カ月。やっと新入社員が決まった。とりあえず二人、社員が増えると聞いて、僕は不安と期待が入り混じる感覚を味わっていた。僕だってまだ新人のくせに。

僕が母親のコネで此処ここへ来たとき、みんなどんな気持ちでいたのだろう。教える価値のない新人、面接もせずに入社してくる狡い新人だと、みんな僕の顔を見る前からウンザリしてたんだろうと、今更ながら想像した。

誰だって努力して夢を叶えている。それなのに最初の難関をスキップしたら、嫌われるのも仕方ないのかもしれない。でも僕は、自分が味わってきた五年の屈辱の日々を、画廊の息子さんにも見知らぬ新人さんにも、経験させはしないと決めた。あんな酷い扱いは僕だけで十分だ。


「おはようございます。今日からお世話になります、小野田海人かいとと申します。すぐそこの商店街の中にある小野田画廊の息子です。だから遅刻はしないと思います。皆様ご指導のほどよろしくお願いいたします。」

うん。爽やかだ。造形的には普通の部類なのに、オーダースーツと個性に似合うヘアスタイル。場を和ませる会話。名前だって海の人だぞ。小野田君は抜群に全身空気清浄機だ。

女子社員の目が全員ハート形になっている。きっと僕があれこれ教えなくても、女子社員が競って新人教育をするだろう。しばらく様子見しよう。なんだろう、この敗北感は……。


「一平、新規とりに行くぞ。」
萩原さんの気合いが、いつも以上に伝わってくる。

雑誌の発行部数を伸ばす企画力がない僕でも、広告営業なら萩原さんのもと会社に貢献できることがわかり俄然やる気になっている。

今まで、萩原さん達先輩が開拓してくれたクライアントしか会ったことがなかったけれど、ついに今日は!!

広告営業という仕事があることさえ知らなかった僕に、萩原さんは毎日毎日、クライアントと読者と社員みんなが幸せになれるのが広告だと教えてくれる。

とんでもない失言をして落ち込んでいても、別のクライアントから感謝されることもある。一期一会が有り難い。

プアンに振られてウジウジしてた僕に、営業はカンフル剤になってくれた。仕事で手ごたえを感じることなんて一生ないと思っていたのに。


「一平、そんなに緊張しなくて大丈夫だ。先方から広告を載せるつもりだから相談にのってくれっていうメールが来ただけだから。うまくいかなくても気にするな。」

「萩原さん、新規だとなんか雑ですね。」

「おい、違うぞ。掲載料の相場を知らない人もいるしな、先方のしたいことと、うちの雑誌との相性もあるから。話だけで終わって契約しないこともあるんだよ。」

「僕は、なにがなんでも契約とろうと思ってました。」

「頼もしいじゃないか。一平らしくないな。」

「ちょ、どういう意味なんですか、萩原さん。」

僕らは大声で笑い、リラックスして新たなクライアントに臨んだ。



どことなく見覚えのある路地裏にやってきた。

夜、行きつけのバーに行く時には気がつかなかったけれど、昭和の名残を残す店やバブル期に建てられたデコラティブなビルが多い。大半は経年劣化が放置され薄汚れて建っている。

「萩原さん、うちの雑誌って富裕層のマダム向けかと思ってたんですが。この辺のお店の人が何の広告を出すんでしょうね。」

「これだからな、金持ちのボンボンは。今から行くのオーナーは堅実に稼いでいるし、働いている人だって芸術家揃いなんだ。」

萩原さんは、このお店で飲んだことがあるみたいだ。店の裏側と違って、中は豪華なのかもな。

「雑誌の広告の件で、本日三時からお約束してます冀州出版社の萩原です。」

インターホン越しに聞こえてくるのは、たぶんバンドネオンの音色だ。萩原さんの言うように、本当に芸術家が働いているのかもしれない。

「はい、どうぞ。開いてますから。お入りになって。」

「ありがとうございます。失礼します。」

萩原さんの後に続いて薄暗い店内に入ると、フューシャピンクのソファや目が痛くなるほどのシャンデリアが目に飛び込んできた。

「あら、ぼうやじゃないの!」


-続く-



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上湯かおり
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