見出し画像

小説『だからあなたは其処にいる』第ニ十四章 向き合う時が来た

今回の登場人物

【冀州出版社の人々】

岸田一平=僕
五年間のアルバイト期間を経てやっと社員になった33歳。小柄で気弱。とても素直な反面、流されやすく気が多い。そんな性格が災いしてトラブルの多い人生を歩んできた。好きなことは寝食を忘れて打ち込む。新入社員の富頭と交際中。



冀州透子きしゅう とおこ
冀州出版社の三代目社長で、婦人部の編集長。2000年代以降のデジタル化の波に押され苦戦を強いられている。祖父や父の思い出が詰まった冀州ビルから引っ越さなくてはならなくなり、岐路に立っている。まずは自らの外見や話し方から正していこうと奮闘中。


富頭賢治ふとう けんじ
小野田海人の勧めもあり、冀州出版に入社した新入社員。入社してひと月で先輩編集者と意見を闘わせるパワーがある反面、恋には愚直。岸田一平を好きになり過ぎて、嫉妬深くなってしまった。



小野田海人かいと
一年目の新入社員。22歳。清潔感あふれる外見と強い正義感が持ち味。会社から徒歩一分の画廊の息子。会員制の高級クラブに毎日入り浸り、オーダースーツや靴を纏うも、それが当たり前で威張るわけでもなく嫌味がない。職場の顔とは別の顔もあり、日常生活にも影響が…。


大西柚子香ゆずか
冀州出版社でのアルバイト歴三年目の大学生。小野田海人に密かに恋心を抱いている。


【蕎麦屋】

店主のお爺さん

東京の下町出身。冀州出版社がある商店街から徒歩圏内にある老舗の蕎麦屋の店主。長く地元に愛されてきたが、息子家族と同居することが決まり、まもなく店じまいをする。冀州透子や小野田海人のことは赤ちゃんの時から見守ってきた。

第二十四章の登場人物





前話・第ニ十三章はこちらです
お話が続いています
お時間とお気持ちに余裕のあるかたはどうぞ




蕎麦湯を持ってきてくれたお爺さんが、小野田君に言った。

「海人は起業するって言ってたよな。いつやるんだい?イベントってやつは?」

き、きぎょう?まだ入社一年目だよ。もう辞めちゃうの?

「だからあなたは其処にいる」第23章 最後の場面より



第二十四章




「おじいちゃん、バラさないでよ。まだ会社の人には言ってないんだから」

小野田君は店主さんと笑って話してるけど、僕もみんなも蕎麦湯を飲む手が止まってしまった。

小野田君は人気者だ。このビジュアルや冀州編集長に意見できる強さに惹かれる社員やパートさんはとても多い。

みんなの動揺がすぐに落胆に変わる。小野田君の性格だから誰が説得したって退職する気持ちは変わらないだろう。フルオーダースーツに身を包む華やかな小野田海人に、寂れた空間は似合わないのかもしれない。

「こんなこと言うのは良くないことだろうけど…。引き留めるほどの価値がない気がしてます、今の冀州出版は。本当に残念です。でも海人さん、もう決めたんですよね?」

海人は蕎麦湯を飲みながら、躊躇いなくうなづいた。

学生アルバイトの大西柚子香ゆずかは海人を直視できずにいる。他のアルバイトさんやパートさんも海人の言葉を待った。

いつだって、それは違うと思ったら真っ先に行動してたよね、小野田君は。半年しか会社にいなくても、こんなにも影響力がある小野田君に、僕はちょっと嫉妬してる。そんな僕は、他の何処へも行けなくて今も会社にしがみつくしかないんだ。冀州出版社に来る前にしたバイトは、どこも一カ月経たないうちにクビになってたから。





蕎麦屋のお爺さんが蕎麦茶をみんなに出してくれる。

「どのみち言うしかねえんだから、とっとと話をつけなきゃ。物事にはケジメってもんがあるだろ」

この様子だと、どうやら助け舟を出したってやつなんだろうな、きっと。

「でさ、いつ辞める気なの?あんな偉そうに編集長に食ってかかってたくせに無責任じゃん」
須藤先輩が訊ねた。

「まぁ仰る通りですが、もっと無責任なのは冀州編集長でしょう。僕は泥舟には乗りません。両親や友人の仕事をこれでも見てきましたから」
おしぼりで卓上の散った蕎麦つゆを拭きながら、小野田海人は平然と答えた。

「まぁね。それは私も同意する。急にしおらしいこと言い出して最近変だし。きっとこれからも杜撰な経営しかできないんだと思う。ほんとお金に無頓着だから。冀州編集長ってそういう人だからね。」

みんなが顔を見合わせている。誰もが編集長に怒るでもなく同情するでもなく、なんとも奇妙な空気が流れる。

なおも須藤廣子は小野田海人に話し続けた。

「親が商売人ならわかると思うけどさ、あぁ見えて編集長は生活苦で困り果ててる人をすぐ助けるし、人の裏切りも見て見ぬふりできちゃう善人だよ。入ったばっかだから海人が知るわけないし、今の会社の状況じゃ辞めたくなるのも仕方ないけどね。損して得とる?違うか。情けは人の為ならずってこと」

「全員共倒れになりませんか、そんな考え方だと」

海人の言うことに、柚子香だけは小さな声で、そうだそうだと言った。僕と賢治さんは思わず微笑んだ。

ずっと黙って聞いていた賢治さんが、蕎麦茶を飲み干したタイミングで話し始めた。

「ねぇ、かい…小野田君。退職するんなら、編集長のしてることをよく見てみたらいいんじゃないかな?起業するってことは経営者になるってことだもの。お金のこともそうだけど、人との繋がり方も簡単じゃないと思う。あと、どのくらいいるつもり?病気や怪我じゃない限り、一ヶ月前には雇用主に退職の意思を伝えなきゃいけないよ」

僕は、こういう時なんにも言えない。よくわからない。非常識なことばかりしてきたから、きちんと辞めることがどうすることなのか全くわからない。その点、賢治さんはアダムを辞めるときに何度も話し合って、今でもいつでも帰ってきて欲しいって言われてる。僕は必要とされたことがないからなぁ……。

アダムでさんざん子どもの頃から関わってきた賢治さんに今すべきことを伝えられ、やっと小野田君は編集長批判を口にしなくなった。

須藤先輩がここぞとばかりに賢治さんの後に続いた。

「富頭君の言う通りだよ。編集長が大雑把なおかげで自由にやらせてもらってる面もあるんだし。だから私はもう少し此処で踏ん張る。海人、早く編集長に話してあげなよ。経営者には経営者にしかわかんない苦労とか段取りもあるんだからさ」

「も、もちろん、すぐに言います。人手不足ですし。今年いっぱいは続けます」

二人のアッパーパンチをくらった海人は、冷めた蕎麦茶を飲み込んだ。


透子さんから今年度いっぱいいて欲しいと言われたのもあり、小野田君は新しい婦人雑誌のリスタートを見届けてから冀州出版社を退職するそうだ。

賢治さんにみんなの前でお説教されて、その日のうちに編集長と話をしたんだから…。小野田君にとっても賢治さんの存在って大きいんだろうなぁ。

あれだけ大きな家の一人息子だし、仕事もできて人望もある。ムカつくくらいイケメンだし。きっと起業してからも上手くいくんだろう。既に名刺を作ってあるっていうのも準備周到で、つくづく僕と小野田君は違う世界の人なんだと思う。

ぁぁあああー!僕も自立したい!いつか賢治さんと結婚したい。何年先になるかなぁ。

僕は決めた!仕送りをやめてもらうために父さんに手紙を書く。

切手を持ってなくて賢治さんに相談したら、とても綺麗な浮世絵の切手をうちまで持ってきてくれた。泊まりたいって言われたんだけど、手紙が書けなくなるから頑張って断った。いつか一緒に暮らす時が来るから、もう少し待っててね。

賢治さんはアダム時代にお便りしてもかまわないお客さんに絵葉書を描いて送っていたそうだ。なんだって出来る人なんだよ、僕の賢治さんは。


指と手首が痛い…。手書きって時間かかるなぁ。三時間もかかった…。疲れた。寝る。


お父さん、なかなか連絡できなくてすみません。そして、いつも仕送りありがとうございます。

社員の仕事にもやっと慣れてきました。なんとかやっていけそうです。だからもう仕送りをやめてください。誕生日の12月31日が来たら34歳です。いい加減、自立したいと思っています。思うだけで実現できてないことだらけですが、自分の収入で暮らすことから始めてみます。

不甲斐ない息子ですが、遠くから見守っていてください。よろしくお願いします。
               
                 一平

お父さんへの手紙

      

翌朝、僕が会社に着くと既に透子さんと賢治さんがいた。

透子さんは何故かゴム手袋とゴミ袋を持っていた。編集室は、毎日みんなで掃除していて綺麗なのに、何故そんな格好してるんだ?って思ったけど、二人ともものすごく険しい顔をしてたから聞けなかった。

賢治さんがデコレーションされたプライベート用のスマホで電話をかけ始めた。

「海人、今すぐ起きて!ご近所さんがめちゃくちゃ怒ってる。私と透子さんでお詫びと掃除に行くけど、あんたも早く来て!いいわね!」

「透子さん、海人にかけたんですけど留守電でした。私がお詫びに行ってきますから、そのゴム手袋ください」

賢治さんにはゴム手袋なんて似合わないよ。僕に任せて。

「何があったのかわからないんだけど、掃除なら僕ができると思います」

賢治さんと透子さんは、二人して首を横に振った。

「ちょっと話が複雑だから、やっぱり私が行ってくるわ」

冀州透子が、近所の駄菓子屋へ歩いて行った。



〜続く〜


良かったら、全話おさめられたマガジンもご覧ください。ほぼ毎日、2,000〜3,000文字の連載を続けております。

https://note.com/hireashi_tengoku/m/m77cb66c46bb9


サポートありがとうございます。詩歌、物語を生み出す素に使わせていただきます。