小説『だからあなたは其処にいる』第七章 素顔のキミに会いたい
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第七章
一
「ケンジさん、あの子のこと気に入ったんですね。声が乙女になってカワイイです。」
20歳の学生キャストが楽しそうにウワサする。
女王蜂ことモッツァレラさんが、首をカクカクしながら僕とケンジさんを眺めて言った。
「猫かぶっちゃって。ケンちゃんもカワイイとこあるじゃない。」
「ちょっとぉ…。聞こえてますけど。」
ケンジさんが頬をふくらませて怒った。その様子を、ただただ僕は可愛いなぁと見惚れていた。
ニ
「久美ちゃん、急いで。お客様がお待ちかねよ。」
「すみません。ママ、お話つないでてください。ヘルプの子はどうしてますか。」
「それがね、またドタキャンなのよ。もうてんてこ舞い。仕方ないから、また海人に頼んだんだけどね。」
えっ?海人?まさか、あんな立派な画廊の息子が…。
三
「ぼうやも転職したくなったら、いつでも体験入店してね。待ってるわ。」
「ママったら!ダメです。ぜったいダメ!岸田さんは立派なお仕事されてるんですから。」
りっぱ…。そうかな。編集とかデザインってそんなに特別な仕事か?僕はそうは思わない。キミたちの明るさ、機転のきいた会話、手抜きのないメイク、身のこなし…。全てが尊敬に値する。
四
フロアに入っていくと、軽くメイクした小野田君が談笑していた。メンズスタイルの短髪なのに、この空間にいて違和感がないのは、日頃の肌のお手入れの賜物だろうか。
小野田君の源氏名は紫苑。月に二、三日しか会えないレアなキャストだけど人気あるのよー、とママさんが笑いながら話してくれた。
小野田君はヘルプだというのに、お客さんと対等に会話している。時に、大きな笑いも起きていて、その話術に驚かされた。
いかにも高そうなスーツの三人組が、次々に凝った箱に入った高級な酒を頼んでいる。40代くらいの男が二人、一人は60代だろうか。紫苑さんになった小野田君と三人は、泡立つ美しいグラスを傾ける。男たちは天国にいるかのような表情を見せていた。
五
「久美ちゃん、遅いじゃないか。ラストはいつなの?引退イベント打つんだよね当然。」
「まだ迷ってます。お世話になったお客様とお店に恩返しはするべきなんでしょうけど、昼の仕事の勉強のほうで忙しくて。」
ケンジさんは、店ではクミさんと呼ばれてるんだ。メイクも源氏名もナチュラル派なんだな。
「君は客か?じろじろ見て失礼だろ!」
客の中で一番の年配者が不機嫌な顔をしている。どうしよう。ケンジさんのお客さんを怒らせてしまった…。
「あ、いや、あの…。」
「ごめんなさい。久美の弟なの。就活中で、立派な社会人の方々を見て勉強したいって言うから、ママに頼んで見学させていただいてます。」
「なーんだ。久美ちゃんの弟さんか。早く言ってよ。一緒に飲もう。ほら、早く早く。」
ケンジさんの嘘を疑う様子もなく、その男はイタリア製の靴を見せつけるようにして僕を呼びつけた。
六
「高野さん、久美の弟はね美大生なの。とっても絵が上手いのよ。何か描いてほしいときは、久美にメールしてね。」
グレーがかった瞳は日本人には珍しい。久美さんのエキゾチックなこの瞳でお願いされて、断ることができる客は少ないだろう。
「美大ってどこ?金かかるよね。だから、久美ちゃん頑張ってるのか。いいお姉さん持って幸せだぞ、キミは。」
別のスーツ野郎が勝手にストーリーを作って、僕に説教を始めた。
「久美ちゃんは、こんなに人気あるのにもったいないなぁ。どうして辞めちゃうのさ。もう一度、考え直してよ。毎月ちゃんと来るから。お願い。この通りだから。」
はいはい。三人共ウザい。クミちゃん、クミちゃんって、お前らのもんじゃないんだぞ。
七
水商売はラクだなんてこと言う人もいるけど、毎秒毎秒ストレスマックスだ。僕には到底無理。
小野田君はどういう神経してんだろ。いろんなテーブルまわって楽しそうに話して。おじさんやおばさんにハグとかされて気持ち悪くないのかな。
「久美ちゃんとは何歳違いなの?」
説教野郎は、質問もするんだ。めんどくせー。
「もうっ。久美を無視しないで。弟にばっかり話しかけて。もう辞めちゃおうかな。今日でおしまいにする!」
三人が一斉に悲鳴をあげた。おじさんでも泣きが入ると声が高くなるんだな。滑稽だ。
でも、気持ちはわかる。推しがいなくなるのは辛いもんな。ケンジさん罪作りだよ。
八
「う・そ♡」
ケンジさんは、品のいい桜色のネイルをのせた指でハートを作る。
三人それぞれのスーツすれすれに、その華奢なハートを近づけると、おじさん達のハートがドクンドクンと脈打つようだ。
「今月いっぱいいますよ久美は。毎日いるから、毎日ぜったい来てね。」
くそぉ。カワイイじゃないか。あざとカワイイじゃないか。おじさんたちが喜ぶのは当然だ。
僕はクミちゃんになった時のケンジさんに複雑な思いを抱きながら、素顔のケンジさんを想像する。
頭の中のキャンバスに、ひたすらその姿を描き続けた。
〜続く〜