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全二十五話完結🙏小説『だからあなたは其処にいる』最終章 三回汽笛を鳴らす刻(とき)




前話・第ニ十四章はこちらです
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最終章の登場人物

【冀州出版社の人々】

岸田一平=僕
五年間のアルバイト期間を経てやっと社員になった33歳。小柄で気弱。とても素直な反面、流されやすく気が多い。そんな性格が災いしてトラブルの多い人生を歩んできた。好きなことは寝食を忘れて打ち込む。新入社員の富頭と交際中。


冀州透子きしゅう とおこ
冀州出版社の三代目社長で、婦人部の編集長。2000年代以降のデジタル化の波に押され苦戦を強いられている。祖父や父の思い出が詰まった冀州ビルから引っ越さなくてはならなくなり、岐路に立っている。まずは自らの外見や話し方から正していこうと奮闘中。


富頭賢治ふとう けんじ
小野田海人の勧めもあり、冀州出版に入社した新入社員。入社してひと月で先輩編集者と意見を闘わせるパワーがある反面、恋には愚直。岸田一平を好きになり過ぎて、嫉妬深くなってしまった。


小野田海人かいと
一年目の新入社員。22歳。清潔感あふれる外見と強い正義感が持ち味。会社から徒歩一分の画廊の息子。会員制の高級クラブに毎日入り浸り、オーダースーツや靴を纏うも、それが当たり前で威張るわけでもなく嫌味がない。職場の顔とは別の顔もあり、日常生活にも影響が…。


大西柚子香ゆずか
冀州出版社でのアルバイト歴三年目の大学生。小野田海人に密かに恋心を抱いている。

最終章の登場人物


賢治さんがデコレーションされたプライベート用のスマホで電話をかけ始めた。

「海人、今すぐ起きて!ご近所さんがめちゃくちゃ怒ってる。私と透子さんでお詫びと掃除に行くけど、あんたも早く来て!いいわね!」

「透子さん、海人にかけたんですけど留守電でした。私がお詫びに行ってきますから、そのゴム手袋ください」

賢治さんにはゴム手袋なんて似合わないよ。僕に任せて。

「何があったのかわからないんだけど、掃除なら僕ができると思います」

賢治さんと透子さんは、二人して首を横に振った。

「ちょっと話が複雑だから、やっぱり私が行ってくるわ」

冀州透子が、近所の駄菓子屋へ歩いて行った。

「だからあなたは其処にいる」第24章の最後の場面



最終章






小野田君は何をやらかしたんだろう?何ヶ月か前に、アダムで飲んだ帰り泥酔した小野田君をご両親が迎えに来たことはあったけど…。

「賢治さん、どうして透子さんが掃除しに行くの?社長なのに。掃除なら僕はアルバイト時代によくやってたから任せてくれればいいのに」

「お詫びをしなきゃいけないから、一平さんや私が行っても先方さんは納得しないと思うわ。アダムからの帰りに、ご近所さんと言い争いになったらしいのよ。薬局をされてるかたなんだけど、入り口に飾ってあるカエルの首振り人形に吐いたって話なの。さほど酔ってなかったんだって。わざとだって言うのよね、そのかたは」

賢治さんの説明を聞いても、小野田君とご近所さんのトラブルの原因が僕には想像がつかなかった。

「なんで、言い争いになったんだろう。小野田君は酒癖がいいとは言えないけど、僕に暴言を吐いたことはないんだけどなぁ」

こんなことを二人して話しているうちに、次々に社員が出社してきた。僕が口ごもっていると、賢治さんがさらりと透子さんがいない理由を告げた。

「透子さんは、クライアントのところへご挨拶に行ってます。昨日の仕事の続きを各自で始めましょう」



婦人部の月刊誌は売れ行きが芳しくなかった。価格を抑えるほうが新規の購読者を増やせるのではないかという目論見が外れた形だ。紙の質を落としたこと、長く依頼していた写真家から経験の浅い人へグラビアページを変えたことも影響して、長く購入していた中高年の購買意欲が失われた。

「私のアイデアも枯渇してきたのかなぁ…」
須藤廣子が弱音を吐いた姿を見て、社員の不安が更に増した。

「ねぇねぇ。富頭君はどう思う?この雑誌770円の価値があると思う?」

「もちろんです。ただ…。新入社員の僕が言うのは気が引けますが、以前のような華やかなページは最初の五ページしかないことがひびいているのか美容院や病院に置いてくださることが減ってしまいました。ずっとお届けしてたご近所の老舗の喫茶店のオーナーさんも、この内容ならもういいと…」

賢治さんの発言に、須藤先輩が頭を掻きむしる。

「だれか大型書店での販売数を伸ばす方法を教えてほしい〜!」

おそるおそるアルバイトの柚子香が手を挙げた。

「あ、あのぉ。最近、新しくできたカフェや雑貨屋さんには、子ども新聞くらいのサイズのフリーペーパーが置いてあるんですよね。内容は、私みたいな学生でも買える少しだけ贅沢な食器や、デートにピッタリなお店の紹介とか。あとは、私達世代が憧れるような地元の隠れたヒーローやヒロインの紹介でした」

テキパキと、ダンボールから刷り上がった雑誌を取り出しながら柚子香は話した。

「へぇー。そんなのあるんだ。面白そう。その内容で無料なのか…。広告欄はどんな感じ?」

須藤先輩は前のめりになっていた。

「誌面を作ってる人が広告欄の写真も撮ってるんです。だから、デザインに統一感があります。スルスルッと全体を眺めることができるっていうか。文章とか内容の厚みは、冀州出版の雑誌とは違いますけど、まぁタダだから」

鮮やかなブルーのトレーナーが柚子香の若さを引き立てている。

須藤廣子がタバコに火をつけ、一呼吸して言った。

「参考にしたいんだけども…。そもそもターゲットが違うし、うちにはうちの読者の求めるものがあるからねぇ。難しい時代になってきたなぁ。真似をするわけにもいかないけども、そのフリーペーパー私も今度見てみるね。柚子ちゃんありがとう」



「ねぇねぇ、お昼はハンバーグにしない?商店街の端っこに新しいお店ができたのよ」

賢治さんが次号の企画書をコピーしながらささやいた。他の人とは一緒に食べたくない。二人だけがいいと言う。僕は黙って二度三度とうなづいた。

「一平さんたら。ふふっ。薬局の首振り人形みたい。それにしても遅いわよね、透子さん」

「ほんとだね…。小野田君も来ないし」

十時過ぎまで我慢したけれど、このまま待つだけじゃいけない気がして、僕は営業の時間を早めることにした。



「クライアントのところへ行ってきます。お昼すませてから戻るので、帰社は一時半位になりそうです。あとは、よろしくお願いします」

午後から出社したパートさんに残りの仕事をお願いして、僕は会社を出た。

トラブルになっている薬局は、おそらく同じ通りにある家族経営の店だろう。お腹を下した時や頭痛がおさまらない時に何度か薬を買いに行ったことがある。自宅と店舗が一体となった建物は綺麗に掃除が行き届き、季節感のあるパッチワークが薬局特有の寒々とした雰囲気を和らげていた。

たぶん、今よく事情のわかっていない僕が行くのは得策ではなさそうだ。以前の僕なら、口下手で頭が悪い癖におせっかいをやいていたのだけど、会社の信用を損なうかも知れないから今はまだ行かない。

僕は賢治さんにメールした。
「今日の昼は予定があったのを忘れてた。ハンバーグは休みの日に二人でゆっくり食べようよ」

一人で小野田君のお宅へ行ってみることにした。会社から徒歩一分だけど、とても大きな川を舟に乗らずに渡るような気持ちで歩いた。



「ごめんください。冀州出版の岸田です」
誰もいないのかな…。画廊を開けたままじゃ不用心なのにな。少し待ってみよう。

「はい。はい。わかりました。直ぐに伺います。申し訳ございません。失礼いたします」

携帯電話で話しながら、小野田海人の母親が自宅スペースから画廊のほうへ出てきた。

「すみません。お邪魔しています。声をおかけしたのですがお返事がなかったものですから」
僕が勝手に待たせていただいたことを謝ると、小野田君のお母さんは首を振って目を伏せた。

「岸田さん、ごめんなさいね。海人が会社にまでご迷惑を。薬局の奥さんも、いきなり警察へ言うなんて…」

おそらく一睡もできなかったのだろう。目の下のクマと皺だらけのワンピースが事態の複雑さを物語っていた。

「会社は大丈夫です。知っているのは編集長と賢治さんだけですから。僕も口外しませんし」

疲れ果てた海人の母親は来客用のソファにズサッと腰を落とし、猫脚テーブルにあしらった綺麗なフラワーアレンジメントを見るでもなく視界に入れた。

「岸田さん。私ね、正直な気持ちを言うと…今は海人と話したくないの。何度もトラブルを起こしてきたのよあの子は。岸田さんもご存知でしょ。酒のうえのことだからといって、たくさんのかたが海人のしでかしたことを許してくださった。それに私達夫婦は甘えてきてしまったのね。親なんだから、他人様が優しくしてくださるうちに我が子を正さなきゃいけなかった。あの子がね男性しか愛せないと言った時、そりゃあもう驚きましたよ。でもね、小学生の頃から美しいものが好きで、手作りも好きな子だった。特に絵を描くのが好きな誇らしい息子です。新しいことを始めるって張り切っていたのに。お酒さえやめてくれたら他は何も言わないんですけどね…」

八重咲きのオリエンタルリリーから花粉がテーブルに落ちて、白いクロスに飛び散った。

「あの…さしでがましいことですが。ひょっとしてアルコール中毒ではないでしょうか。小野田君は毎晩アダムで長時間飲んでいるって話してました。楽しいお酒を飲むのは良いことだと思います。でも、ここ数ヶ月の小野田君は怒っていることが多くなっていたようです。アダムのママさん達が飲むのを止めても駄目で。小野田君は家でも飲んでいましたか?」

「主人が家にいる時は、家で飲むのを我慢していたようですけど。先月から主人は入院してます。私一人では止められなくて。海人は暴れだすと手がつけられません。画廊で暴れた時は、心底あの子を許せないと思いました。手があたって額縁が割れて…。幸い怪我もたいしたことなく、中の絵は無事でしたけど、今でも思い出すたび腹立たしいんです。どうしてお酒を飲むとああなってしまうのか…」

「実は僕も、過食症で自分じゃコントロールできなくなってたことがありました。心療内科で同じ悩みを抱える人のコミュニティを紹介してもらい、たくさんの人に支えられて治療を続けました。三年かかりましたが、ほぼ治ったかなと思えたタイミングで冀州出版社に入れてもらって今に至ります。アルコール依存と過食は違う病気ですが、きっと小野田君も治療すれば抜け出せるはずです」

言い過ぎただろうか…。僕は待った。

「ありがとうございます。海人に、岸田さんやアダムの方達がいてくださって良かった。主人は心臓の調子が悪くて入院してるんです。余計な心配をかけるわけにはいかないから私がしっかりするしかありませんね。母親ですもの」

「僕も警察に行きましょうか?」

「いえ。透子ちゃんが一緒に行ってくれますから。岸田さんはお仕事に戻ってください。お詫びのしようもないわね…。来てくださって本当にありがとう」


小野田君は警察で厳重注意を受けた。お母さんと透子さんが迎えに行くと、もう絶対に飲まないからと言ったそうだ。

透子さんと薬局のお宅の娘さんが幼馴染だったこともあり、なんとか許してもらえたと聞いて、僕と賢治さんは胸を撫で下ろした。

小野田君はアルコール依存症の治療をするため冀州出版社を退職した。僕と賢治さんは、透子さんの言う通りに会社の人に伝えた。小野田君は留学すると。

賢治さんがハガキと日本の切手をプレゼントした。治療先のハンガリーから、小野田君からご両親にお便りするために。でも僕は、こんな時に親と連絡とるのは反対だ。だって日本が恋しくなってしまうし、親の気持ちを考えたら自分を責めて、また飲みたくなってしまうと思う。



船に乗り込む小野田君は、ひまわりみたいに笑顔だった。映画のような美しい人だとつくづく思う。

どうか神様お願いします。小野田君がお酒に溺れて苦しむ毎日から抜け出せますように。

ブボーボーボー

船の汽笛が三度鳴る。見送る人々の声が一段と高くなった。

「海人、待ってるからねーーー!」

アダムのママやモッツァレラさんが手を振り続ける。僕も賢治さんも泣きながら見送る。


船上の女の子の帽子がハラリと風に舞った。その赤いリボンは、いつまでも海を漂っていた。



〜完〜



最後まで読んでいただき誠にありがとうございました。



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https://note.com/hireashi_tengoku/m/m77cb66c46bb9


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