小説『だからあなたは其処にいる』第十九章 談笑の先にあるもの
⚠️今回のお話は暗い描写があります。気分の落ち込んでいるかたは読まないでください。
前話・第十八章はこちらです
お話がつながっています
できれば、こちらからどうぞ
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第十九章
一
「春瑠さん、いつからいたんだろう…」
小野田海人が、凍りついている賢治を見遣る。
「賢治さん、きっと大丈夫です。春瑠さんの息子さんとメル友だから、僕がそれとなく聞いてみます。」
岸田一平が賢治に言う。
二
「一平さん…。それどういうこと?吉村さんと家族ぐるみのお付き合いなんですか?」
ジェラシーの火の玉を今にも投げんばかりの富頭賢治は、今の状況より一平の人間関係に怒り狂うのだった。
「何度か吉村さんの家に食事を持って行って、たまにお出かけしたくらいで。別に家族ぐるみとかじゃ…。」
僕の交友関係を縛りつけるの?賢治さんて、もっと心の広い人だと思ってたのに。
海人が笑い出した。
「一平さん、古い映画で『エージェント』っていうのがあります。トム・クルーズになっちゃってますよ。」
「海人君、トム・クルーズは知ってるけど、なんの話かわからないよ。賢治さんが、どうしてこんなに怒ってるのか意味不明なんだけど。二人とも僕にわかるように説明してよ、お願いだから」
三
「じゃ、言うわ……。私達ゲイはね、どうやったって子供を産めない。愛する人の子供をもてないのよ。吉村さんは、これから一平さんと結婚して子供をつくることができる…。一平さん、私のこと好きじゃなかったの?」
賢治の瞳から溢れたものを受け止めるのは容易ではない。流されて生きてきた一平に覚悟はあるのか。
四
「そりゃ無理ですよ。一平さんはバイですから。僕らとはちょっと違うんです。」
海人が肩を抱くが、賢治の涙は止まらない。
「知らなかった……。私バカみたい。仕事まで変えて。どうかしてたんだわ…。こんな薄情な男に騙されるなんて!!」
賢治が、編集室を飛び出した。
海人はふたつの荷物を手にして言った。
「仕方ないんです、こればっかりは。一平さんのせいじゃありません」
あとを追う海人の後ろ姿を、一平は茫然と見つめた。
五
騙してなんかない!!そっちが勝手に好きになったんじゃないか!
家族ぐるみの付き合いって、そんなに悪いことか?大変な時に助けただけなのに、どうして責められなきゃいけないんだ…。
ピロピロリン
誰だよ、こんな時に。
お兄ちゃんへ
もう来たらだめなんだって
おうちはママとぼくと弟のものだから
ママが泣いてる
ママにいじわるしないで
六
もう何がなんだか…。僕が何をしたって言うんだ?どいつもこいつも最初だけなんだ。僕がどれだけ一生懸命に関わってあげても、こうやってみんな去っていく。母さんとおんなじ。みんないなくなってしまうんだ。
一平は重たい身体を引きずって帰宅した。
そして冷蔵庫にあるビールを全部飲んだ。なくなると、コンビニに行きウイスキーを五本買う。また全部飲んだ。
もう十分だ。生きてたって仕方ない。眠れない時に処方してもらった睡眠導入剤があったな…。少し眠らせてほしい。ひとりがいいんだ。
七
しっかりメイクをした冀州透子が、朝の会を始めた。
「おはようございます。今日は一平が遅刻ね。連絡がないから寝坊でしょう。」
あちこちから笑い声が漏れる。一平の遅刻は何度となくあった。誰も気にしていない。
「残念なお知らせですが、吉村さんから申し出があり退職されることとなりました。自宅でできる仕事にしたいとのことで、引き止められなかったの。彼女が抜けた穴は大きいわ。みんな他人任せな文章はもうやめてね。編集者なんだから。」
「はい!」
元気な声の中に、小野田海人と富頭賢治もいた。
八
「一平は大丈夫なのか?電話しても出ないぞ」
体調を崩して休んでいた萩原さんが、須藤廣子に尋ねた。
「私が知るわけないじゃないですか。一番仲が悪いのに」
医者に止められている煙草に火をつけ、ニヤリとして言う。
「悪くはないだろ。甲斐甲斐しく世話してやってるじゃないか」
「世話なんかしてません!怒ってるだけです!」
「素直じゃないんだから」
海人が言うと、萩原も笑った。
九
「そう言えば…。みなさんが一平って話してるのは、岸田さんのことですよね。確か五年くらい前、行方不明でしたっけ?連絡がつかないとかで大騒ぎになったことがありましたよね」
美術部から手伝いに来てくれた塩野菜々が顎に手を当て、宙に眼を向ける。
「あの時、ご家族も来てらして。大家さんに鍵を開けてもらったら、部屋の中で岸田さんは吐瀉物に突っ伏してた…。そんなウワサが美術部にも聞こえてきてました。婦人部って随分と激しい人が働いてるんだなぁって思ったんですよね私」
「あったなぁ、そんなことが。最初は社員入社だったからな。キャパオーバーだったんだよ。それで親とも話し合ってバイトになって。」
萩原が懐かしそうに言うと婦人部の誰もが笑い、やがて仕事へ戻る。
決して笑い事ではない筈だが、岸田一平はそういう人間なんだと受け入れるしかなかった。
十
孤独はその人のもの
愛があるからなくなるものでもない
それでも愛してしまうのが人
モッツァレラさんから言われた言葉を思い出した賢治は、編集長に願い出た。
「営業の途中で、一平さんのお宅へ行かせてください。お願いします。心配なんです」
〜続く〜
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