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小説『だからあなたは其処にいる』第十ニ章 隣の女の芝は青い


お話がつながっています。
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第十ニ章の登場人物


【冀州出版社の人々】

冀州きしゅう透子(冀州編集長)
冀州出版社の三代目女社長。祖父の残した家訓、人は誰でも美しく生きられる、を実践してきた。2000年代に入り、紙の雑誌の売上が落ちてきたことから、事業縮小とリストラを敢行しようとしている。



吉村春瑠はる
40代シングルマザー。都会の大手出版社での競争に疲れ果て、故郷の小さな出版社・冀州出版社で第二の人生を歩んでいる。しっかり校正、無言実行の人。



岸田一平=僕
地方都市にある小さな出版社・冀州出版社で働く33歳。小柄で気弱。とても素直な反面、流されやすくズルいところもある。そんな性格が災いしてトラブルの多い人生を歩んできた。好きなことには寝食を忘れて打ち込む。




【蕎麦屋】
店主のお爺さん
東京下町出身。人情家で冀州透子のことを幼少の時から見守ってきた。家庭の事情でまもなく店終いをしようとしている。


【佐竹靴店】
佐竹梅子
冀州透子の心のおばあちゃん。商店街の中で、地元の人の暮らしを靴で支えてきた。70代になってからフィッティングを勉強した努力家。おっとりした話し方に地元の誰もが癒されている。



第十ニ章

蕎麦湯そばゆ美味しい〜。」
思わず春瑠はるが言う。

冀州透子きしゅう とおこも一緒に蕎麦湯を愉しんだ。
「いいお店でしょう?保育園のときから来てるの。」

春瑠が思わず吹き出した。
「随分、渋い幼児ですね。」


春瑠の屈託のないものの言い方に、次第に透子も編集長のよろいを脱いでいく。

「会社でもこんな風に話してほしかったわ。私が怖すぎて無理だった?」

春瑠はケララと笑い、こう応える。
「怖くないですよ。うち元ヤンですから。」

透子の顔つきが明るくなった。
「私もよ!」


「冀州編集長が元ヤンだなんて信じられない。いかにもお嬢様って感じしますけど。」

春瑠は、透子の隙のないファッションを改めて眺める。

「父子家庭で祖母に育てられたの。祖母が他界してからは、もうね……。寂しくてねぇ…。一時期ちょっと荒れちゃって。」

春瑠は黙って聴く。こういうとき余計な慰めを言わないのが春瑠のいいところだと、透子は思う。受け止めてくれる度量がある。

「このあたりはね、今でこそちょっとした高級住宅街になってるけど、私が産まれた頃は下町だったの。ここはその頃からあったわ。おばあちゃんが死んでしまったとき、どれだけ慰められたかわからない。ここのご夫婦がいたから、私は更生して冀州出版を継ぐ気になったの。」


「編集長も、いろいろあっての今なんですね。ここのお爺さんが言うように、二十四時間こうやって仕事ばかりしてたら過労死しますよ。私、編集長が高そうなものばかり身につけているから、ちょっと嫉妬というか…。よく外へ行くのも、休憩しているのかもなんて疑ってたんです。馬鹿ですよね私。リストラされて当たり前です。」

吉村春瑠はるは、冀州透子きしゅう とおこの目をまっすぐ見つめて言う。

「吉村さんが馬鹿なら、私なんて大馬鹿者よ。みんなが築き上げたものを駄目にしちゃって…。お詫びのしようもないわ。」
涙ぐむ冀州編集長を見て、蕎麦屋の店主が熱い蕎麦茶を持ってきた。

「鬼の目にも涙、ですか。」
笑いながら、春瑠が言う。

「言うわね、吉村さん。」
透子は、気落ちしそうだった自分をこうまで上手く励ましてくれる春瑠の大きさに、この人の代わりはいないのだと思った。


「今日は、編集長が正直なところを話してくれたから、私も最後にダメ元でお話します。図々しいかもしれないけど。パートとして仕事を続けるのは駄目ですか。私の仕事って校正メインだから家でもできなくはないかなって。実は、実家に帰ろうと思っていて。うちの下の子は今の学校が合わないみたいだから転校するのもいいかもしれないって気がするんです。」

「それって、うちにいてくれるってこと?でも…。情けないことだけど、もうパートさんやアルバイトさんに通勤手当が出せないのよ。」

「かまいません。どのみち会社の近くの公民館で息子が療育を受けてますし、通院先もここから近いんです。たぶん、週に三回勤務ならなんとかなります。これからは母に協力してもらいますし。」

「ありがたいけれど、パート収入でやっていけるかしら。家賃がなくなっても大変じゃない?」

「すぐに次の仕事が見つかるとも思えないですし。冀州出版みたいに、子どもの熱や学校でトラブルがあるたびに遅刻や早退しても寛容なところは、そうそうないと思うんです。」

「そこはね、他の社員も育児中の人だっているしお互い様だから。気にすることないと思うわ。」

「ありがとうございます。」

「亡くなった父は…。仕方ないのだけど、私の学校行事には一度も来てくれたことなかったから。行事にも遠慮なく行ってあげてほしい。その瞬間にしか、積みあげられない思い出ってあると思うのよ。」

春瑠は、いつものように黙って聞いている。

「吉村さんが、このままいてくれたらどれだけいいか。みんなアイデアもスピードも申し分ないクリエイターばかりだけど、爪が甘いからね。あなたが、最後きっちり仕上げてくれてるから読者も気持ちよく読めるのよ。」

「私…、もう少しだけ冀州編集長について行きます。」


「吉村さん、クライアントのところへ行きましょう。閉店セールやってるから。早く早く。」

美味しい蕎麦を食べ、蕎麦湯と蕎麦茶で春瑠はすっかり元気を取り戻した。冀州編集長が、ここを大切に思うのは尤もなことだと、しみじみ思う。

「クライアントが閉店セールですか?」

意味がわからないまま、春瑠はまた駆け足の透子について行った。


「ごめんください。冀州出版の透子です。透子ちゃんですよー!」

お店を開けたまま店主はどこかへ行ってしまったのだろうかと、春瑠は古い店内を眺めた。

「店は古いけど、並ぶ品は意外とセンスがいいんですね。」

「吉村さん、またそんなこと言う。失言が多すぎるわ。」

透子は笑いながら言った。

「すみません…。」
てへへと、春瑠は頭に手をやる。

透子は、勝手知ったるよその家らしく自宅スペースにも声をかけている。

そこへ、新しいお客がやってきた。





「すみません。冀州出版の岸田です。ご挨拶に参りました。」

透子がキッと編集長の顔に戻り、自宅スペースから出てきて言った。

「佐竹さん、お留守のようよ。レジもそのままで困るわ。不用心だから、鍵を閉めて外出するように言ってるのに。」

「ビックリしました。編集長も吉村さんも、ここにいらしてたんですね。」

「ありがとう、一平。もうすぐ、ここもなくなってしまうから挨拶に来てくれたのね。」

「はい。ずっと広告を出してくださって、靴もここで二足フィッティングしていただきましたし。公私共にお世話になりましたから。」

「そうだったの。あなたも…。」
編集長は、岸田一平の靴を見た。

「セミオーダーっていいですよ。フルオーダーよりはるかに安い値段で、疲れにくい靴が買えますから。」


吉村さんに新しい靴をプレゼントしたいけど、また気持ち悪いって言われそうな…。ここは、編集長に助けてもらおう。

「編集長、経費で靴を買ってくださいませんか。」

「馬鹿馬鹿しい。そんなことできるわけないでしょう。あなた、無理なのわかって言ってるんでしょ。一平も一人前にジョークが言えるようになったのね。」

「冗談くらい僕だって言えますよ。今日は編集長も、佐竹靴店のパンプスなんでしょう?よくお似合いです。」

綺麗な足の甲を見るのは、僕の美意識を刺激する。ハイヒールやパンプスは、この世にずっと存在していてほしい!!

「一平も婦人雑誌の編集者らしくなってきたわ。よく見てるのね。」

や、単なるfetishismだから褒めないで編集長…。僕の憧れは手足が長くしなやかに動く人。それが美意識なんですよ。

一平が妄想癖を展開している最中にも、冀州透子は、靴についての語りが止まらない。

「ここでワンシーズンに一足は買うわね。私の仕事ってかなり歩き回るから、一週間毎日違うのにしないと靴が可哀想なのよ。ヒールのゴムなんてすぐになくなるわ。特に、役所周辺の石畳って女の敵よね。」

春瑠だけは、透子の話をしっかり聞き続けた。




「あらあら。透子ちゃん来てたの。一平さんも。」

佐竹靴店の店主、佐竹梅子が帰ってきた。

八八歳の米寿を迎えたとき、梅子はもうやり切ったと家族や友人に話し、店終いを決めた。来年からは、別の土地へ移り息子家族と暮らす。


「お客様もいたのね。いらっしゃい。」
梅子はゆっくりゆっくり店内を歩く。

少し耳が遠いようだと判断した吉村春瑠は、大きめの声でゆっくり話した。

「私も、冀州出版から、来ました。今日は靴を買いたくて。」

「あらあら。それはそれは。こちらの靴は、ずいぶん働いたのね。わたしとおんなじ。お疲れ様。」

春瑠は、自分のパンプスが少し誇らしく感じ、ここのお店をもっと早く知りたかったと思った。

「あの…吉村さん。よかったら僕からのプレゼントにさせてくださいませんか。今月、確かお誕生日でしたよね。」

僕からのハッピーバースデーを、どうか受け取ってほしい!!!

「あら、そうなの?早く言ってよ吉村さん。私も半分出すわ。一平の給料じゃ、いいものは無理でしょ。」

横から、冀州透子が言い放った。


くそー。僕一人でプレゼントしたかったのに。給料が安いのは編集長のせいじゃないか!いや、仕事ができない僕のせいか……。

「お二人とも、ありがとうございます。じゃ、お言葉に甘えて。」
吉村さんに似合うパンプスは、どんなものだろう。楽しみだなぁ。

店主の梅子がやって来て言った。
「透子ちゃん、お客様をフィッティングルームに連れてきて。」

「梅子おばあちゃん、相変わらず人使い荒いんだから。」

「ごめんなさいねぇ。もう腰を屈めるのも痛いし、メモリが見えないから仕方ないでしょう。」

にこやかに話す二人は、まるで祖母と孫のようだ。

春瑠は、かつて下町だったこの商店街に思いを馳せた。


十一

「これでどうかしら。インソールが違うだけで、随分とラクなはずですよ。」

梅子は、春瑠の履き心地を触って確認する。足の甲に食い込んでいないか、踵はあきすぎていないか丁寧に時間をかけてチェックしていく。

「梅子おばあちゃんのフィッティングは素晴らしいのよ。女の仕事を格上げしてくれるの。」
透子が熱弁をふるう。

「とっても気持ちいいです。でも、こんな高いの本当にいいんですか?」
春瑠は、商品棚に書いてあった39,800〜の文字がチラついて一体いくらするのだろうと心配になった。

「半額ですよ。本当の閉店セールですからね。」
ニコニコと梅子が言う。

「安月給の一平は5,000円でいいから。私が残りを出すわ。春瑠さん、今日のお礼よ。銀行の担当は私の学生時代の同級生なの。会うと無理なお願いもしてしまうし、彼も売り言葉に買い言葉でつい口喧嘩になってしまって。いてくれたおかげで、二人とも冷静に話せたのよ。」

あれ?編集長が吉村さんのこと、春瑠さんって呼んでる。僕の知らないところで、何があったんだろう。銀行って…。


十ニ

三人は、これからくるであろう荒天を前に、同じ船に乗ったまま波魔に揺れている。

笑うことで明るく振る舞うことで、なんとか航海を続けていく。






〜続く〜




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https://note.com/hireashi_tengoku/m/m77cb66c46bb9


しばらく本業のほうが忙しいので、予約投稿+コメント欄を閉じて連載をお届けします。すみません。

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上湯かおり
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