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小説『だからあなたは其処にいる』第十一章 透子と春瑠

第十章はこちらからどうぞ。

第十一章の登場人物


【冀州出版社の人々】

冀州透子(冀州編集長)
冀州出版社の三代目女社長。祖父の残した家訓、人は誰でも美しく生きられる、を実践してきた。2000年代に入り、紙の雑誌の売上が落ちてきたことから、事業縮小とリストラを敢行しようとしている。


吉村春瑠
40代シングルマザー。都会の大手出版社での競争に疲れ果て、故郷の小さな出版社・冀州出版社で第二の人生を歩んでいる。しっかり校正、無言実行の人。


岸田一平
地方都市にある小さな出版社・冀州出版社で働く33歳。小柄で気弱。とても素直な反面、流されやすくズルいところもある。そんな性格が災いしてトラブルの多い人生を歩んできた。好きなことには寝食を忘れて打ち込む。

 

【蕎麦屋】
店主のお爺さん
東京下町出身。人情家で冀州透子のことを見守ってきた。まもなく店終いをしようとしている。

第十一章の登場人物





第十一章


「編集長、お時間よろしいでしょうか。」

吉村春瑠はるが、冀州透子きしゅう とおこに声をかけた。

「はい。今から行かなきゃいけないところがあるから、申し訳ないのだけれど吉村さん一緒に行ってくれる?」
かなり冀州透子は焦っていて、春瑠の話を聞く余裕がなかった。

「あの…。わかりました。ついて行きます。」



「吉村さんは、いてくれるだけでいいから。ごめんなさい。今回だけ一緒に来てちょうだい。」

一体、どこへ連れていくのかと春瑠は透子を訝しんだ。

駆け足で美しく歩く冀州編集長に、なんとか春瑠もついて歩くのだが安いパンプスがパカパカして歩きにくい。

転職を考えている春瑠だが、デスクワークが長いことから外回りはなかなか厳しいと感じていた。



「まるわ銀行……。」
透子は慣れた様子で、融資窓口へまっすぐ歩いて行った。慌てて春瑠もついて行く。

「先日の件ですが、担当の中村さんは?」
透子の顔はずっと固いままだ。




「お待たせしました。冀州社長、こちらは?」
中村と呼ばれる銀行の担当者は、綺麗に整えられた髪と無難な色柄のネクタイを締めている。

「中村さん、時間をとっていただいて感謝します。この人はうちの社員です。」
春瑠が、冀州出版社の外で仕事をするのは初めてだ。経営面はもちろんのこと、取材なども他の社員が担っていた。

「結論から申し上げますと、1000万は無理でして。整理するところは整理なさったほうが。共倒れにならないうちに。」

まるわ銀行の中村は淡々と述べた。
透子の横顔に汗が滲む。

春瑠は、会社の経営状況が思った以上に悪いことをひしと感じた。



「わかりました…。別をあたります。まるわさんとのお付き合いはこれまでです。今まで我が社を支えていただいて、ありがとうございました。」
透子が椅子から立ち上がると、春瑠も立ち上がり軽く頭を下げた。

中村は殆ど表情を変えず、こう告げた。

「お力になれず申し訳ございません。永らくのご愛顧誠にありがとうございました。」
丁寧なお辞儀に融資担当者らしさを見て、春瑠は知らない世界があることを知った。



「吉村さん、良かったら一緒にお昼を食べながらお話しましょう。」

疲れた顔の冀州透子を見て、春瑠は断るわけにはいかないと悟った。

「はい。私もお腹が空いてます。どちらへ行きますか?」

「吉村さんお蕎麦は好き?静かな店があるから行きましょう。」



春瑠には蕎麦屋の店名に見覚えがあった。大口ではないが、長く続くクライアントだ。

「ここって、うちの雑誌に小さな広告を出してくれてるところですよね。」
春瑠が言うのを聞いて、冀州透子が編集長の顔に戻った。

「あなたは冀州出版の社員なんだから、言葉に気をつけて。小さな、なんて言わないで。出してくれてる、じゃないわ。出していただいている、でしょう?」

「すみません…。」
春瑠は納得がいかない。好きに話もできないのなら、一人で会社に戻ったほうがマシだと思った。

社内の仕事しかしてこなかった春瑠は、クライアントや銀行と渡り合う者の苦労を知らなかったのだった。



「さっきの融資の話は、今年の夏のボーナスと秋以降の給与。取引先への支払い分ね。みんなのボーナス全額カットなら、今年一年のみんなのお給料が出せるけれど、ボーナスゼロなんて困るでしょう?あなたみたいに有能な人が、きっと次々に辞めてしまうわ。」

愚痴とも告白とも判断がつかず、春瑠はただうなづくだけだった。



「編集長、私みんなと違って馬鹿だから、そんなまわりくどい言い方だとわかりません。リストラしたいんじゃないんですか?」

春瑠はイライラして、いつもの口調で話せなくなっていた。

「じゃあ、あなたもクライアントの対応できる?アルバイトクンだった一平だって、別人のように頑張ってくれてるわ。ここの広告だって、うちにしたら大事なクライアントよ。でも、雑誌が一つになることをお知らせしたら、広告を出すのをやめるって言うのよ。あなた、それ止められるわけ?」

春瑠はふてくされて言う。
「できません。営業なんてしたことないし。」

また急だと思う。こういうところが家族経営の会社だと心の中で悪態をつきながら、春瑠は蕎麦をずずっと飲み込んだ。


「はい、蕎麦湯ね。透子ちゃん、顔色が悪いよ。休み取ってるかい?」
東京の下町出身の店主が、明るく声をかける。

「はい。大丈夫です。今日のお蕎麦も最高でした。ご馳走様です。」
冀州透子が両手を合わせ仏様のようなポーズをとると、にっこり店主が笑った。

「透子ちゃんは気を遣いすぎなんだよ。自分が食べたいもの食べてるかい?会社の客のとこばっか行ってんだろ。それじゃあ気が休まらないぜ。」

春瑠はハッとした。




〜続く〜




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