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気品の育て方

森信三『修身教授録』致知出版社 第二部 第8講 気品

品の良さ、というのはある。
上品なふるまいをされるなぁ、という方にも出会う。
話し方に品がある人もいる。
対人関係に対しても上品だなぁ、という方にも出会う。
決して悪口も言わず、人を当たり前に助けるような人を見たときに思う。

しかしながら、気品というと、品の良さとは段階が違うように思う。
気品の良さとは言わず、気品がある、と使用する。
気品は備わったすべての品の良さを統合したようなその人から発せられるものだと思う。
品のいいふるまいをされる人とはたくさん出会った。
しかしながら、気品のある人とはであったことがない。

というのも、気品というものは、これを根本から申せば、単に一代の修養だけでは、十分に得られないとも言えるからです。すなわちそこには、遺伝とかあるいは生まれつきとか、とにかくそこには、ある先天的なるものが働いているわけであって、それ遺体しては、後天的な人間一代の努力や修養だけでは、どこかに及び難いところがあると言えましょう。
・・・中略・・・
さかのぼって考えてみれば、やはりそれは、先祖代々の修養の集積という外ないでしょう。

P331-332

その通りであって、気品というのは、一般家庭に生まれ、実に粗野な性格をしており、多動で、思ったことをすぐ口にしてしまう私のようなものが発するようなものではない。

しかしながら、昔日本には、家訓と呼ばれる、家の道徳的戒律があった。
わが家では~、なのです、というようなものだ。
それが今は言葉には残っていないだろう。
この価値の重さを改めて感じる。

さて、気品を高めるためには修養を行うことが重要なのだが、中でも森先生は次のように述べられている。

しかしそのうちでもとくに根本的なものは何かというと、私の考えでは、内心のけがれを除くということかと思われます。すなわち「慎独」、つまり独りを慎むということではないかと思うのです。
・・・中略・・・
しかし、さらに大切なことは、慎独、すなわち人間がただ一人でいる場合にも、深く己を慎むということです。
・・・中略・・・
真に独りを慎むということは、結局は天をあいてにしなくてはできないことだからです。 

P332-333

独りであっても、天に恥ずべき行為はしない、という生き方をしていくことを大事にすること。
神様がこういう生き方って好きかなぁと思うようにしたい。
みんなの幸せを願い、人を助け、だれでも明るく誰照らせるような、そんな人。
品のある行為ができるように修養を日々積み重ね、慎独して、家庭においてもそのような父・夫でありたいなぁと思う。


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