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良寛戒語で自身を振り返る

森信三『修身教授録』致知出版社 第2部 第16講 良寛戒語

霞立つ ながき春日に 子供らと 手毬つきつつ この日暮らしつ

良寛『良寛歌集』(吉野秀雄校注・東洋文庫版1992年)

小学校教師をしてきて、良寛和尚の詩を授業で扱ったことがあった。私が良寛和尚について知っているのは、この詩と名前だけであった。
なんて穏やかな和尚さんなんだろうなぁ、くらいにしか思っていなかったのだった。

今回、森信三先生は良寛和尚の言葉を紹介してくださっているので、調べてみないと、ということで以下のHPで学ばせていただいた。

実際、大変すばらしい方で、晩年、子供達との生活の中で作られた上記の詩は、仏の教えに対する向き合い方が現れているのだと感じた。

さて、良寛和尚がそのような姿で晩年を迎えられたのには、24歳ごろから43歳ごろまで徹底して禅の修行をされてきたことがあるという。若い時代からの修業の上に成り立っている生涯の総決算としての姿であることを忘れてはいけない。
その修行を経た良寛和尚の戒語が90ほど残っている。

その中で、あぁ、できてないなぁこれ、という自身で反省したものをいくつか載せておきたいと思う。

・言葉の多き
・問わず語り

P378-383

大学の授業や講演など、人前で話す時、どうしても最近言葉が多くなっているように思う。最近の私は知識が増えたことをいいことに、それをもとに話したいという欲があるように思えるのである。その心を諫め、本当に相手の役に立つことなのかを自問し、話すようにしなくてはいけないなと思う。

・子供をたらす
・悪しきと知りながら言い通す

P378-383

教師時代、本当にいいことを子供達に共有してきたのか、ということも反省した。今思うと感情のままに子供を言いくるめてはいなかったかと反省する。悪いと思いつつ、無理やり話し、子供達を自分が導きたい方向へもっていってはいなかったかと思うのである。
特に、図工の絵なんてそうだったなと反省した。私が働いていた自治体では、絵画のコンクールが秋になると開催される。その絵を全校で描くのである。私は、子どもがいい絵、つまり、賞に入れるような絵を指導していたのだった。子供の描きたいものを創造性を発揮させて、という思いはない。どういう構図で、どういう塗り方で、・・・ということを指導し、子供たちがその方向でやる気が出るように、たらしていたのだと反省する。子供達に申し訳ないことをしていたなと反省する。

・学者くさき話
・茶人くさき話

P378-383

これもまた身につまされるものだ。特に、研究者になった途端、話も専門知識を出すようにしながら話しているように思う。また、お茶を始めしばらくたつが、なんか気取っている時もある。あぁちっちぇ男だなと思う。
良寛和尚は禅の厳しい修行を通し、そのような〜くささを鼻にかけ、人と関わることを一切しなかったからこそ、人々から慕われ、晩年に残した最初の詩を書かれた。
専門的な知識を知ったからといって、それを鼻にかけてはいけない。人として貧しい行為である、ということだ。

きっとどの人にとっても、また読む時期によっても学びがあることだと思う。ぜひ自身でチェックを入れながら読んでみると自身を振り返るいい機会になると思う。

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