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㉑ Ghost Funk Orcherstra / A Trip To The Moon (2024)

ブルックリンを拠点にするGhost Funk Orchestra(GFO)については、『MUSIC + GHOST』で憑在論(Hauntology)の範疇にある音楽として取り上げた。マーク・フィッシャーらが説いた(ポピュラー文化における)憑在論とは、戦後英国社会が無意識に表現していた東側的な、あるいは福祉国家のヴィジョンから生まれた啓蒙的な社会のデザインが失われ、西側的資本主義社会に駆逐されたことに由来するペシミズムだった。喪失の実例が明示され、対峙(依存)すべき対象が言語化されているといってもよい。しかしニューヨークで結成されたGFOのようなグループは、戦勝国たる米港が推進力とした進歩主義、シボレーやビュイックといった自家用車からスペースシャトルに至る技術革新を伴った開拓精神へのノスタルジーが動力源である。それは色味こそ変えながら今日の資本主義社会を動かしているものであり、仮想敵とまでは扱われていない。だが想像されている未来、進歩の意味はかつてと同じものなのだろうか。
GFOの最新作『A Trip To The Moon』は、テーマからして宇宙開発の到達点であった月面着陸の達成と、当時の米国社会が目指した「新しさ」に懐かしさを感じている音楽だ(トラック間はアポロ計画遂行時の通信によって繋げられている)。同時に現在からみることで浮き彫りになる資本主義の延長に対する空虚さもある。時代をおさらいするドキュメンタリー番組で、大げさな音楽とともに再生される映像を見ることにも近いか。
知っているが経験していない過去ゆえに、受け手はコンセプトの解釈に独自の色彩を与える。見捨てられた過去の音楽に新たな価値を与えるモンド・ミュージックと同様に、音楽におけるhauntologyとはリスナーの聴き方(社会の見方)であると考えてしまう。よりやわらかく表現するならば、ふさわしいのはサイモン・レイノルズが『Retromania』で定義するところの「レトロ」だろう。過去と現在の交差点となり、新旧の価値観のスイッチングを疑似的にもたらすことで強迫的に現在を意識させる。
理想化された過去、体験していようがいまいが関係ないそれへと繋がる通路としての符号(ジャジーなバッキング、フアン・ガルシア・エスキヴェル風エレピとホーン、スペースエイジ的シンセなど)は聴く者のナイーヴな記憶と繋がり、アルバムとインタラクションができあがる。GFOの音楽がもっとも輝き、なじみ深いものに感じられるのはこの瞬間だった。


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