見出し画像

Steven Stapletonが日本の音楽を(少しだけ)耳にした + Voice Recordsのこと

 前回の最後に書いたように、今回は筆者が2018年10月にSteven Stapleton(NURSE WITH WOUND)の自宅を訪ねた際、持参した日本の音楽を一緒に聴いた時のことを記す。場所はSteveの工房、馬小屋の隣にある小さな家屋。ライヴ時の物販スペースで売る予定のCDをパッケージする作業時のBGMとして流した。用意したものの半分ほどしか流せなかったほか、彼の感想も録音していなかったので、メモ程度のものであるとご容赦ください。
また、後半は彼が過去に集めていた日本の音楽についても記載する。

・浅川マキ / 十三日の金曜日のブルース (『浅川マキの世界』 1970)
『Merzbild Schwet』で東京キッドブラザーズをコラージュしていた例もあり、(昭和の)日本人女性の歌い方が好きだと予測しての選曲。しかし歌よりも、曲間をつなぐコラージュの方が興味深そうであった。もっと感情が込められたものも用意すればよかった。

・ゆらゆら帝国 / ハラペコのガキの歌 (『ゆらゆら帝国のしびれ』 2003)
坂本慎太郎のソロとどちらかで悩んだが、オタク気質が強く表れている時代の音源にした。結果、大絶賛。次はアルバムごと渡そうと思う。SteveはWhite HeavenやMarble Sheepもお気に入りで、前者のメンバーがバンドの録音やプロデュースに関わっていることにも納得していた。

・加藤みどり, みすず児童合唱団 / カランコロンのうた (『ゲゲゲの鬼太郎60's+70'sミュージックファイル 』 2007)
昨年訪れた時のお礼として水木しげる『あの世の辞典』をプレゼントした(マンガだと言語の都合で伝わりにくいので)。サンプリングに関しては、けもの道が重なりがちな二人だが、Steveは水木のことを全く知らなかったのだから良い話である(もしかしたら『妖怪幻想』のLPは知っているのかもしれないが)。この曲に関しては特に反応なし。黙々と二人で色紙をカットしていた。

・山下毅雄 / 精神病院の一夜(『黒猫・黒い足音』 2003)
60年のドラマの劇伴。患者の笑い声が旧い精神病のイメージそのまま(当然か)だが、あまりの作り物っぽさがLes Baxterあたりを想起させる・・・と思う。要はモンド・ミュージックである。私見はともかく、こちらもSteveはノーコメント。

・大友良英 / 七人の刑事 PLOT-1, PLOT-2(『山下毅雄を斬る』 1999)
山下毅雄トリビュート・アルバムから。ターンテーブルによる演奏と、オーソドックスなジャム。大友氏の作品はTzadik周りのものを少しは集めていたそうだ。Steveがターンテーブルによる音楽についてどう考えているかまでは尋ねていないが、彼はライヴでCDJを楽器として使用することもある。

・高柳昌行&阿部薫 集団投射-1(『集団投射 = Mass Projection』 2001)
70年の録音ということに驚いていたが、あまりの激しさに「集中できない」と途中で止められてしまった....。仕事場に入ってきた犬や豚も少し困惑していた。

・須山久美子 / しゃべらないわ (『夢のはじまり』 1986)
後にSteveのレコードコレクションを覗かせてもらった時に、アルバム『Les Chansons Qui Filent Du Rêve...』がでてきたことに驚く。ジャケットに惹かれて買ったそうだ。

・イタチョコ=ラショウ / イザイセ(毎度Wide埋蔵ワイロ参ろう参り参れ) (『孤高 Vol.4』 2017)
演劇中の歌を捉えたもの(のはず)。これもウケがよかった。ラショウ氏はSteveに会わせてみたい人物の一人でもある。氏についてはこちらを参照。収録コンピレーション『孤高』はこちらで買える。

・PHEW / VOICE HARDCORE 2017
これはアルバムごと聴いてもらった。最も反応が良かったもので、機材なども尋ねられた。Diamanda GalasやTamiaなど、世代的にヴォイス・パフォーマンスの刷り込みは大きいはずである。アーティストについても、Conny PlankやCANのメンバーと録音したこと含めて知っていたが、Vanity Recordsから出たAunt Sallyのことを知らなかった(忘れていた?)のは意外であった。

 『集団投射』を止めた後は氏が適当に棚から選んだものを再生しての作業となった(The Residents『Finger Prince』、Nico『The Peel Sessions』など)。
残りにはPizzicato FiveやThe Hair、あぶらだこ、晩年のAube、キエるマキュウ、YPYなどがあったのだが、、、私が去った後に聴いてくれていることを願う(できれば子どもたちと)。


レコードコレクション拝見

画像1

 作業後、レコードコレクション部屋にも招いてもらった(この記事のヘッダー画像はそこの写真である)。扉にはNurse With Woundのアルバム『Spiral Insana』CD版のジャケットに使われた絵が描かれている。この部屋はもともと書斎兼仕事部屋として使っていたものだが、今ではあまり使わないのだそうだ。Steveによる作品がいくつか置かれているほか、壁にはAmon Düül『Psychedelic Underground』、 Floh De Cologne『 Fließbandbabys Beat-Show』、Guru Guru『HINTEN』が額に入れられていた。彼いわく、人生を変えた3枚なのだそうだ。
 現在の所有枚数は500枚ほどで、土地を追加で買い足したり、家財を買うために多くを売ってしまったようだ。残ったレコードは主にFrank Zappa、Sun Ra、The Residents、フランスのFuturaレーベル、その他米国と英国を除いたヨーロッパ圏フリージャズ又は現代音楽、モンド・ミュージックと称されるようなムード音楽、そしてクラウトロックであった。その中で日本のものは僅かしか残っておらず、東京キッドブラザーズやタージマハル旅行団、フード・ブレイン、Tolerance『Anonym』も手放した後であった。
見せてもらった中で筆者が記憶しているのは以下になる。探せばもっとあると思う(坂本龍一やEast Bionic Symphoniaとか)とは話していたが...。

・コンピレーション『終末処理場』
・Wada Yoshi『Lament For The Rise And Fall Of The Elephantine Crocodile』
・須山久美子『Les Chansons Qui Filent Du Rêve...』
・Speed, Glue and Shinki
・細野晴臣, 横尾忠則『コチンの月』
・喜多嶋修 (レコード名失念)
・After Dinner 『Glass Tube』
・Gunjogacrayon『Gunjogacrayon』
・非常階段『蔵六の奇病』
・Katra Turana『Katra Turana』
・RCAあたりから出ていた「琴」のレコード(名前失念)

 これらのコレクションは70年代から80年代の間に集められたものであり、流通のタイムラグこそあれど、ほぼ全てがリアルタイムで買われたものだった。After DinnerやKatra TuranaはRecommended Recordsが配給していたので納得だが、Vanity等の音源を比較的早い時期に手に入れていたのは興味深い。これについては12/2のイベントでも少し話題になると思う。
『コチンの月』は音がClusterのようなタッチなので、エキゾチックなイメージ含めて気に入ったのだろう。Yellow Magic OrchestraはKraftwerkっぽいから嫌いという、シンプルな感想も教えてくれた。とにかく彼はTangelin Dream『Zeit』といった例外を除いて、シンセに偏った音楽が苦手なのだ。
 所謂ノイズ・ミュージックも全く見当たらなかった。もう手放してしまったからでもあるだろうが、『蔵六の奇病』を除いて「らしい」レコードは皆無。あえて挙げるならばCageとTudorの『Variations Ⅳ』だろうか。
Steveは「ノイズ・ミュージックはあまり興味ない」と言い切り、MerzbowやAubeはそのリリースの多さからも集めるのをすぐにやめたそうだ。そして、そちらに強いのはChristoph Heemannだと彼は付け加えた。確かにHeemannのコレクターぶりは色々な人から耳にする。トレード相手は世界中にいて、Edward Kas-pel (Legendary Pink Dots)もその一人だ。
 Steveは『Sylvie and Babs Hi-Fi Companion』(1985)から着想を得たとされるMerzbow『抜刀隊 With Memorial Gadgets』(1986)のことも知らなかったが、ある雑誌のインタビューでMerzbow本人が影響を受けた旨を語っていたのを目にして喜んだという。筆者は昨年に取材後、お礼代わりに『抜刀隊』のCD(LPとは別ミックス)を送ったのだが、聴いていてくれただろうか。ちなみに、もう一枚一緒に送ったのがジョン&ウツノミア『()』である。

 Steveは昨年の取材で、NWWリストに掲載されているものの殆どはロンドンの中古レコード屋で手に入れたと話してくれた。
英米以外のプログレ又は現代音楽、フィールドレコーディングなどのレコードは、リリース元がレビューを書いてもらうために音楽雑誌に献上していたのだが、メディアにとっては興味範囲外(プログレやジャズのように売れないから、というのも大きいか)ゆえに捨てられたり、中古屋へ放り投げられていたのだそうだ。Steveは店という店をくまなくチェックし、中古の棚からそれらを拾い上げていた。まだヴィンテージという概念が生まれる前の時代の話である。この辺の話はだいたい拙著FEECO内のインタビューで出てくる。

画像2

Brast Burn 『Debon』 Voice 1974

VoiceとClive Graham

 日本の音楽も上で書いたような運命を辿っていたのであろうが、中にはそれらを専門に扱うお店も存在したそうだ。そんなマニアのルートからSteveが手に入れたレコードにVoice Records(東京にあった中野レコードという店の人間によって作られた)からのリリースが挙げられる。ジャケットからして奇妙なKaruna Khyal『Alomoni 1985』とBrast Burn『Debon』の二枚(Voiceはこの二枚しか残していない)は、70年代前半の時点でジャーマン・ロックの影響を驚異的なレベルで反映した問題作だ。分裂前のAmon Duulを崇拝するSteveが気に入らないはずはなかった。

画像3

Karuna Khyal ‎『Alomoni 1985』 Voice 1974

 Voiceの話には少しだけ続きがある。もっとも、主人公はSteveではなく、ロンドン時代からの彼の友人、Clive Graham(Morphogenesis)となるのだが。現在執筆中のNWWヒストリーにまつわる取材で、Grahamから少し伺った話をここに載せておく(おそらくオミットするので)。
 Grahamは自身のレーベル、Paradigmから貴重な音源をリイシューしており、Voiceのレコード二枚もそこに含まれている。これらはオリジナルのマスターを使っておらず、レコードからの盤おこしだった。
GrahamはVoiceの存在を90年代中頃のロンドンに滞在していたSho Naginoという日本人ディーラーから教えてもらったという。Grahamいわく、Naginoという男はSun Raのアーカイブ関連の仕事をしていると話したそうだ。あまりに漠然とした情報なので、これだけではなんとも言えない。それはともかく、これらのCD再発は無許可で行なわれた。権利者たちへコンタクトがとれなかったからである。しかし、後にGrahamはメンバー(?)であったToshiyuki Nemoto氏とコンタクトをとり、再発を喜ばれたという。
その後、あるレーベルからコンタクトを受けたGrahamは、再びこれらのアルバムを「extra material」込で再発しようと企画したのだが、諸事情で二度目の復刻は果たせなかったと振り返る。
これには英国のPhoenix Recordsが絡んでいるとGraham。Phoenixは裸のラリーズやタージマハル旅行団など、日本産サイケデリックのLPを多くリリースしているのだが、これらはすべてブートレグであり、実際にDiscogsなどのマーケットでは販売禁止となっている。そしてPhoenixは2010年と2012年にVoiceのリリースを(もちろん非公式で)リイシューしている。流石に今は停止しているようで、関わらなかったGrahamの選択は正しかった、だろう。
 GrahamはNagino氏と連絡がつかなくなって久しいようで、彼についての情報を求めている。知っている方は一言お声かけください。

【番外】Daphne OramとClive Graham

 もはや日本のレコードとは一切関係ないのだが、最後にGrahamの成した大仕事の一つを紹介する。氏は2007年にparadigmからDaphne Oramの音源を再発した。彼女はBBC Radiophonic Workshop創設者の一人で、電子音楽家としても(長い時間を経た後に)評価されている。有名なのは自作の楽器Oramicsで、波形を手書きして電子音を生み出す奇妙すぎるガジェットだ。詳細に関しては以下のリンクを参照のこと。

 Daphneの音源は長らく評価されぬどころか、その存在すら僅かな人間の間でしか知られていないままだった。彼女が養護施設へ入るようになってから、空となった自宅には空き巣も入るようになり、家を荒らされることも多かったという。それを見かねたDaphneの友人Hugh Davies(電子音楽家でありEvan Parker、Eddie Prévostらとも競演している)は、彼女の家から貴重な音源・機材もろもろを外へと運び出し、こちらも友人であったGrahamと二人でDaphneのアーカイブ企画を立ち上げるのだった。しかし、その矢先の2005年1月1日にDaviesは亡くなってしまい、更にはDaphneも後を追うようにこの世を去る。残されたGrahamはなんとかしてこれらの音源を2枚組のCDに収めた。それが『Oramics』である。残念なことに、DaphneとDaviesの二人が再発見・再評価を目の当たりにすることはなかった。Grahamもそれだけが心残りだという。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?