漫画家の夢を諦めたことで胸の中にぽっかり空いた穴を埋めるのに4年くらいかかったけど、何でそれを埋めたか(もしくは忘れたか)
一番最初の記事で書きましたが、私は21、2歳で漫画家を目指して36歳までその夢を追いかけていました。
残ったのは、夢を諦めた40歳を目前にひかえた中年男性。
その時生じた正直な感想は、「ごまかせなくなった」というものです。
30を過ぎると、大体自分の人生がどの程度のものか見えてきてしまいます。ほとんどの人の現状は、自分が10代の頃に夢見て想像していた将来の自分像よりも、ずっと普通であると思います。
そう感じながらも、自分の中で折り合いをつけ、地に足をつけながら現実世界で生きていくようになるのでしょう。
でも私は、そんな「平凡で普通だった自分」という現実から目をそらしつづけてきました。その免罪符として「漫画家を目指している自分」という事実は非常に便利なものでした。
「30を過ぎて今、平凡で普通っぽい人生だけど、漫画家になれば全てが変わる」
これは、自分をごまかす魔法の言葉でした。
「漫画家になって成功した自分」を想像すれば、今現在の自分のあり様への不安は隠すことができました。
それが漫画家への夢を諦めた瞬間、自分をごまかさせてくれていた壁がなくなり、一気に不安が押し寄せてきました。
40を目前にして、ようやく「平凡で普通だった自分」や「今後の自分の人生のあり方」といったことに向き合わなければならなくなったのです。
前の記事でも書いていましたが、その時私はすでにWEBサイトの制作を行う会社の社員でした。
だからまず「今働いている会社の社員として、本気でがんばっていこう」と考えました。
一夜にして、自分が描く未来が「売れっ子漫画家」から「会社員」へと変わりました。その落差はあまりに大きく、本当に胸にぽっかり穴が空いたような空虚な気持ちを抱え続けていました。
そしてそんな空虚さをごまかすように「この会社でがんばるんだ、この仕事のプロになるんだ」そう自分に言い聞かせていました。
ただ、そう考えると不都合が出てきます。
今までは「漫画家になるまでの腰掛」くらいの気持ちで働いてきましたから、会社の様々な気になることにも目をつぶっていられました。
しかし「この会社で本気でがんばる」となった瞬間に、これまで目をつぶっていたことも、耐えがたいものになってしまったのです。
結局、漫画家の夢を諦めてから約1年半後には会社を辞めました。
その時に、転職するという考えはありませんでした。
自分は会社に対して耐えがたいことがあり辞めたわけですが、それはその会社固有のことというよりも、組織で働く以上はどこに行っても絶対についてまわってくることのような気がしたからです。要は、人間関係の軋轢です。
そのため、誰からも指示されることのない、自分の意志だけで全てを決定できるフリーランスの個人事業主として働くことにしました。
それが2018年の初頭のことです。
何か夢や希望を持って独立したわけではありません。ものすごくネガティブな、消去法としての独立でした。
収入が激減することは分かっていたので、両親に頼み込み、妻にも頭を下げ、東京から埼玉県狭山市の入曽という地区にある実家に出戻って住まわせてもらうことにしました。その実家の二階にある古い畳の部屋を事務所とし、事業はWEBサイト制作、屋号は「入曽広告デザインオフィス」として独立生活がスタートしました。
夢破れ、東京の生活を捨て、埼玉の実家で収入の安定しない個人事業主生活。漫画家を諦めて2年、心の穴はさらに大きくなっていきました。
この時期は(漫画家に限らず)若くて成功した人や夢をかなえた人をネットやテレビで見ると、心がどんよりと沈み込んだものでした。
心に空いた穴に、泥水のような劣等感が流れ込んでくる感じでした。
ただ、仕事は少しずつ増えていきました。
独立して1年後には実家の二階が手狭となり、入曽のとなりの新所沢に小さなアパートを借り、そこを新しい事務所としました。
さらにそこから売り上げは伸びていき、独立してから2年半後には「入曽広告デザインオフィス」を法人化して「株式会社入曽デザイン」としました。
さらに事務所もキレイなところへ移転しました。
仕事は真面目に手を抜かずにやりましたし、それなりにクライアントからも信頼を得られるようになっていきました。もちろん、やりがいや喜びも感じながら働いていました。
だから多分、独立は成功したと言えるでしょう。
それでも、自分の心の穴や劣等感は全く消えてはいませんでした。
二十歳くらいから三十代中盤までずっと「漫画家として成功し、多くの人から才能を認められ、お金も手に入れている自分」という将来像を心の中に刷り込みつづけてきたのです。
現状の自分はその空想に遠く及んでいないため、それを受け入れることはとても難しいことでした。
漫画家になる夢を諦めて4年。
2020年になっても心に穴は空いたままで、自分の中で折り合いをつけられずにいました。
そして2021年。年が明けてすぐ、仕事が回らなくなり人を雇いました。
これは大きな転機でした。
人を入れたことで、仕事が回せるようになる。
仕事を回すことでさらに仕事が入り、また回らなくなる。
また人を入れる。
人を入れたことで、また仕事が回せるようになる。
仕事を回すことでさらに仕事が入り、また回らなくなる。
また人を入れる。
そんなことを繰り返し、2022年12月現在従業員は5人にまで増えました。来月にはもう一人入社予定です。
「株式会社入曽デザイン」は元々、自分のための、自分による、自分の会社でした。それが気がつけば、誰かが力を貸してくれることで大きくなり、そして誰かの生活を支える器のようなものになっていたのです。
「この器を絶対に縮小できない。維持もしくは大きくしていかなくてはならない」
そんな使命感を私は持ち始めていたのです。
「漫画家として成功し、多くの人から才能を認められ、お金も手に入れている自分」
という個人的な成就への未練は薄まり、自分のことだけではなく従業員という他人のためにも働かなければならない(それが経営者の思い上がりだと言われようとも)、そんな気持ちが強まっていきました。
そうして気がつけば、心の空虚さも、成功している他人への劣等感も感じなくなっていたのです。
ありがちな着地となりましたが、「他人のためにがんばる」という考え方は、自分の中にあった「業」を浄化してくれたような気がするのです。
そして今現在の私は、ただ自分のできることをやり、この会社を維持・拡大していくことを楽しみに感じているのです。
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