価値のある存在であること
家庭や友人、目上の人の言葉に何年、何十年と縛られている人はいないだろうか。
私自身そのうちの1人だと言える。
幼い頃や大人になってから言われた言葉の数々が突き刺さり自分の価値観を無意識のうちに失わせて自信を失っていた。
無意識レベルというのが又厄介な所だ。
特に幼い子供達は大人の影響力が大きい。否定的な言葉がそのまま自分の存在価値へと反映してしまうのだ。
遡ること数年前、息子の高校3年生の3者面談の時だった。
教室に入り席に座った瞬間、担任の先生は息子に向かって「駄目ですねぇ〜」と私達親子の顔を見ながら連呼した。
その要因は、面談の時に制服のブレザーのボタンを閉めていなかった事から始まり勉強の事に対してもだった。
高校3年生の大学受験前にして先生に逆らっては推薦がもらえなくなるかもしれないと一瞬私の脳裏には走ったが次の瞬間、
「うちの息子にも良い所が沢山あるんですけど。」
と私は声を荒げた。
その後若干態度が変わり、話の方向が受験へのアドバイスに変わっていったという事実がある。
今回は親の私がその言葉を否定したけれど、息子だけが受け取り鵜呑みにしたらどうだろうか?
先生を批判したいのではなく、そう言う否定的な言葉を向けられる事はあると言う事だ。
誰しも完璧な人は居ないし、否定な言葉を時として言っていることもあるかもしれない。
だからこそ自分の価値をそう言った言葉で決めないで欲しい。
人それぞれ能力を持って生まれてきている。
自分の価値は自分で決めていいのだ。人から言われた言葉で自分の価値を下げる必要はない。
特に子供達は周りの意見を自分の価値として繋げてしまうことが多いけれど、自分の価値や能力は計り知れないし、様々な可能性を秘めている存在であることを今の私から伝えたい。
最後までお読み頂きありがとうございました。
ひら