HSPという概念を取っ払いたいものだ
HSPを否定するものではない。
むしろ、初めて知ったときは「まさに私」と思ったし。
たしかに、心は軽くなった。
でも、それも一瞬だけね。
なんていうか、「私はHSPだから」っていうのが、鼻につく感じ。
「私は特別なの」って言いたいだけのような気がして、しっくりこないんだ。
これはあくまでも、自分が言うことに違和感を抱くだけであって。
誰かへの批判ではないので、あしからず。
「私は内向的だ」ってことも同じで。
その思いが逆に、自分の内向性を強めていたような気もするんだよなぁ。
言い訳というか。
「どうせ私は内向的だから」みたいな。
「外向的な人はいいよね」っていう、やっかみもあったと思う。
やはり性格を固定するってのは、ちょっと危険な気がするんだ。
これは明らかに、経験からくる自分の性質だけれど。
「私は、こう」「この人は、こう」っていう分類が、どうしても苦手で。
子どもの頃から言われ続けたせいなんだ。
「お前は、いつもそうだ」
「うちの娘は、こうで」
それを聞きながら、「お母さんは何もわかってない」とスネていたものだ。
だから、分類が嫌いなんだよなぁ。
「あなたはHSPよね」と、他人から言われるのは我慢ならない。
逆に、「明るくていいね」と言われるのも我慢ならない。
要は、何を言われても我慢ならないのだが。
「自分は、こうだ」っていう、自己分析やら、性格分析やらってのも、なんだか、もう疲れたなぁと。
そんなふうに思ってたら、「ハーバードの心理学講義」という本に、「性格を固定する必要はない、むしろ可能性を狭めてしまう」と書いてあったので、ものすごく安心したものだ。
「そうそう、私は性格を固定したくなかったのよ」
これは取りも直さず、HSPを最初に知ったときの、「そうそう、まさに私」と思ったときと同じパターン。
「性格を固定しない」という見方を、自分に固定しているにすぎないのだろう。
でも、しばらくは、これでいこう。
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