好き嫌いを超えた存在とは?
去年の11月くらいから梅の剪定を淡々と進めてきた。春に梅の実がたわわに実っていることを想像しながら剪定をしてきた。
今年は寒い日が長く続き梅の花も例年なら、2月中旬には満開になっているのもあるのだが、今年は下旬になってようやくという感じだった。
それでも条件が整えば綺麗に咲いてくれる梅の花。
梅の実がたわわにつくことを想像して梅園を見廻っていた。暖かい春の日が多くなり雨も降り大地を潤してくれていた。
そんな日々が過ぎていき、そろそろ梅の実が出来始めているかなぁ?と軽トラに乗り込み梅園へといそいそと向かう。
一本一本祈るように見て回る。
、、、
あれれ?なんか実のつき方が少ない、、気がする、、
ショック!!
梅の実のつき方の少なさにショックを受けるわたし。
その後すべての梅園を見て回った。うん、去年よりも確実に実のつき方が少ない、なんてことだ、あれほど頑張って剪定したのに!とほほ。
去年と同等の実のつき方をしている園もあったけれど、全体として少なかった。
しばし呆然とする。
いろいろなことが頭をよぎる。
一息ついてふと思った。周りの方たちはどうなんだろうか?梅の状況を聞きたいと思い近くの方に聞きに行った。
不作!
あぁ、やはりそうかわたしのとこだけではなかったか、少し安堵する。
その方が言うには、花が開花している時期に寒波があり受粉が上手くいかなかったようだ。
でも、場所によるようで去年よりもよく実がついている園もあるとのこと。
自然とはすごい!
そういうことを話していると、どれだけ人が手入れしても自然の摂理には抗えないなぁーとしみじみ思う。
もちろん農家として出来ることはたくさんある、それでも自然をコントロールすることは難しい。
ある知り合いの農家の方が以前に言っていた
『自然好きだけど、、、自然嫌いだわ〜(笑)』
うん、よくわかります。
自然って好きも嫌いも超えたところにあるから
ただそのときの人の都合で好き嫌い言っているだけだから。
農業って自然のリズムのなかで行うものだから、自然を近くに感じて日々生きることが出来る。
だから、都市で暮らす人よりかは、自然に対して好き嫌いがその度に生じるのだと思う。
そして、それこそが味わい深くておもしろいところ。
悠久の時の流れを感じることができる果樹農家
果樹農家は一年に一回の実の成り方という結果をみて、一喜一憂する。
喜び悲しみといろいろと感情は芽生えるけれども、立ち止まってはいられない。
どんな結果だろうとそれを受け入れて改善出来るところを少しでも改善しようと試みる。
なんて長い時の流れを味わうことの出来る仕事だろうか!
そんなことを友達の農家と梅を観ながら語り合ったりしていると、お互い、口元が緩み笑っている。
人が出来ることはどこまでも追求する、でもあとは自然にお任せするしかない。
そんな感覚を共有しているかもしれない。
好きや嫌いを超えていってしまう自然という現象の中ですごさせてもらっていると日々思う。