みんなが幸せでありますように
火曜日に広島で。
水曜日に山口市で、
ライブしてきました。
「風の音楽家」という
僕がタイコかウクレレを弾いて歌い、
15年以上前から
年に数回、一緒に音を鳴らしている
ピアニストの友人、重松壮一郎、
馬頭琴、ホーミーを操る友人
岡林立哉との三人組で、
10月の四国ツアー以来、
久しぶりに会って、音を鳴らしました。
「音」の持つチカラ、
「詩」の持つチカラ、
お互いの生き方、感じ方を、
ずっと
尊重し、尊敬しあえる。
そんな仲です。
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広島では
20人弱のお客さん。
山口は
80人ものお客さん。
普段、一人で演奏している時は
10人にも満たない場で
演奏させてもらうことが多いので、
「有り難いなぁ」
そう想うのです。
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僕はかつて、
数年前まで、
なんなら今も、
音楽活動を「職業」にしようと
頑張ろうと、もがいていました。
内向的な性格と
内向的な表現欲求。
これで外交しようと
社会とコミュニケーション
しようと頑張るわけだから、
コンフリクトしますよね・・・。
今も
「ご職業は?」
と聞かれると
「音楽家です」と
もごもごと答えるけど、
(月収最低20万〜30万くらい稼がないと
家族を養うことが出来ず、
それが出来ている貴方は偉いね)
という一般常識が
この質問に含まれているのかと想うと
いたたまれない気持ちになります。
「いくら稼げば成り立つのか」より、
「やる」か、「やらない」か、
だよね?
まぁ、そういうことを
聞いてくれているのに、
僕の勝手なフィルターで
傷付いているだけかもしれないけど。
「ご職業は?」とは聞くけど、
「収入は?」なんて
普通聞かないもんね(笑)
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音楽の主役は「歌」である。
この感覚は
世間一般、「音楽」を
ひとつの名詞として認知している人たちの
一般概念のように想われます。
「そんなことはない!」
と主張する僕らも
対立軸として認識せざるおえない。
そんな強固なコモンセンスを
(古い人なのかな?
現代社会でこれが的外れだったら
いいんだけど・・・)
感じています。
10年くらい前、ピアノの重松さんも
「ボーカルの伴奏者として扱われるのが嫌だ」
と言っていたし、
6年くらい前から僕も、
「ボーカルだからって注目を集めて
観せるパフォーマンスをしなければダメだ」
という概念に
勝手に苦しんでいたことに
氣が付きました。
みんなが見ているという
過剰な自意識。
まとまらないMC。
舞台のキャリアは
他の2人の方が
どんどん積んでいかれて、
お客さんも会場も、
その界隈では大物視されている
メンバーお二人の間に
「誰?この人」
という感じの小物のくせに
大層な自意識で
センターを振る舞う僕。
痛々しいかぎりでした。
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そんな自分にやっと気がついて、
メンバーにも
そんな僕の、
ある意味「お客さんそっちのけで
圧倒するパフォーマンス」を
求められているような気がして、
二人と演奏を共にするのは
やめようと想ったこともありました。
それが5年くらい前かな・・・
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「ありがとう」
「ありがとうございます」
「歌わさせてもらってます」
などと、
気軽に言えない性格でした。
若い世代のシンガーソングライターの人たちの
「支えてもらってます」
「歌わさせてもらってます」
という態度に嫌悪していました。
羨ましい。
僕は誰にも支えてもらっていない。
でも、歌うんだ。
歌わさせてもらっているんじゃない。
僕は、
僕の意志で歌っているんだ!
そんな聞き分けのない
子どもでした。・・・40過ぎまで。
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30歳を過ぎた頃、
東京で
「歌わさせてもらえない」と
感じていた僕は、
「歌おう!」
という意志と、
こんな小物の僕では無理だ。
という、
これまたコンフリクトする現状を
包括する行動が
「身の程ツアー〜チャリとテントで何処までも〜」
という、
東京のアパートを引き払い、
自転車で西へ西へと
旅をするツアーでした。
よく「日本一周」と旗を上げた若者が
自転車をこいでいる姿を見かけますが、
そんな身体運動の記録を
コンセプトにしたくなかったので、
旗も掲げず、黙々と自転車をこぎました。
お金を得られるほど、
誰かに喜びを与えられる自信がなかったので
テントを張って、野宿して、
飯盒でご飯を炊いて暮らしました。
半年ほど。
屋久島までたどり着き、
そこに自転車を置いて、
帰りは、
キセルや、公共交通機関。
知り合った方々に
便乗させてもらい、
千葉の実家まで帰りました。
たくさんの人のお世話になりました。
なのに、そのくせに、僕は、
「支えてもらっている」と
素直に想えませんでした(涙)。
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そして、
そんなかつての旅の途中、
大変お世話になった人のいる
山口県の、海からひと山越えた
盆地にある県庁所在地、
山口市での演奏でした。
あのとき、mixiで連絡を取り合っていた
お世話になった方とも
疎遠になってしまっていました。
一ノ坂川を見て、
懐かしがっていた僕だけど、
当時の僕で出会った人と
また出会うと、
当時の僕の
へりくだった人格が
呼び起こされそうで、
まだちょっと気が引けます。
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恩を受けた人に
直接恩を返すことは難しい。
でも、恩があるから、
誰かのお世話になったから、
迷惑をかけた人様がいるから、
ハズれた人を応援できるし、
異常な人を、
自分を見るように愛することが出来る。
自分がしてきたようなことだから
されても文句言えない。
仕方ない。と思うより、
迷惑をかけた、
お世話になった御恩を、
今、ここにいる
別の人に返せるということ。
この安らぎが
ずっと世界で受け継がれて来ている
んじゃないかと思い、
想いながら、
歌わさせていただきました。
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広島から山口まで
車を運転する道の脇で、
覇気のない顔で自転車をこぐ
「日本一周」の旗を掲げた
若者がいました。
「がんばって」
と声をかけると、
彼の顔は晴れ、笑顔になりました。
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僕は広島と山口で
歌って、大分に帰りました。
他のメンバー二人は
別の地へ、音楽のお仕事をしに
旅立って行きました。
もう僕は・・・
卑屈にはならないな。
人の人生はそれぞれで、
それぞれに価値があるんだから。
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広島でも、山口でも、
「シャイな人柄」という
印象を与えたステージだった
という感想をいただきました。
おそらく「好印象」と
受け取っていいのかと想いますが、
そんな僕の内側には
こんなドロっとした人格があった。
そして今も在る。
だから、
詩に集中し、
詩に現れてもらうことにした。
詩の中から、
いろんな印象が現れた。
山口の街を
自転車でこいでいた日々。
「最低のパフォーマンスだ」と
影で言われていたことを知って
傷つく自覚も持てずに
ただただ戸惑っていた日々。
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もがき、道に迷いながら、
出来ることを
自分の感覚で確かめながら、
道を切り拓く途中、
無様な姿を晒すこともあるでしょう。
そんな、
僕みたいな君を
包んで、励まし、
「大丈夫だよ」って、
伝えられたらと
強く想います。
あなたに届けたい想いは、
わたしに届けたい想いのほかに
違いありません。
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僕は、
あの頃の僕に
ドラえもんみたいに、
具体的に
何か道具で支援してあげることは
出来ません。
ただ、
「大丈夫だよ」って彼に伝えて、
今の僕は
グッと顔を上げて
「大丈夫」にしていく。
それだけが
今、出来ることなんじゃないかと
想うのです。
そんな「詩」の瞬間に、
80人もの方が
居合わせてくれたこと。
この詩を、
80人のみなさんが
それぞれの暮らしに持ち帰って、
また誰かに繋いでいってくれたら
「しあわせな道」は
拡がっていくんじゃないかな?
最近は
そんな想いを詩に乗せて
歌っています。
職業?
契約?
保障?
よくわかりません。
契約は
僕が歌う詩がそのもので、
保障は詩が
「大丈夫」と
歌って保証してくれているので
大丈夫なんじゃないかな?
と想う。
そういうことなんじゃないかな?
勘違いですか?
じゃ、
本当の姿、世界とは
どういうものなんですか?
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最後にアンコールで歌った曲
「みんなが幸せでありますように」
です。
風の音楽家での音は
3人で合意の取れた音がないので、
僕のウクレレ弾き語りバージョンですが、
昨日、地元の河原へ夕方に行って
歌ってきました。
響き合い、
何か、しあわせな道が
拓いてくれたら幸いです。
うたが、音が、言葉が、 もし心に響いてくれたなら サポートいただけたら嬉しいです。