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大日如来

2022.03.24

30分間だけ田おこしを済ませ、さらに車を進め、
電波も入らなくなったところにある大日如来「かまどが岩」へ、
何かに導かれるまま向かいました。

洞窟の中にいる石仏たち。

ここは「いつも行きたい」と想うけど、
やっぱりいろんな条件、勢い、
揃わないと足が向かない。

洞窟までは行かず、
手前の人気のない駐車場で
ウクレレ練習しようかと想ってた。
でも、奥の氣になる陽だまりを追ってたら
洞窟まで来てしまっていました。

足を踏み込む。

本当は、
これがしたかった。

先日、竹笛を作る友人からいただいた
超低音フルート。
尺八より1音低いドから始まる5音階の短調。

洞窟の中で吹く。
残響と共に次の音が導かれる。

笛作りの彼と、散々おしゃべりしていた
「音」の存在を体験として感じる。

この笛、いや、笛、音というのは
本来どの調にも対応なんて出来ない。

その笛のサイズが基音になって、
メロディが導かれていることを感じる。

どんどん何も要らなくなる。

…これが怖かったんだ。
これが嫌だったんだ。

笛を吹くと、
本当に何も要らなくなってしまう。

僕がこだわる歌や言葉が
必要無くなってしまう。

「あれをどうして、こうして、こんなことをしてみようよ」
みたいな、会話のコミュニケーションも、
あるべき望む人間関係も
要らなくなってしまう。

大日如来、このかまどが岩には
子宮に戻り、混沌に還り、
また生まれ直すような
不思議な時を過ごすことに
いつもなる。

今回はカメラを立て、
ある程度自制が効いているような氣がする。

いつでもどこでも
そこへ行ける
こんな笛を手に入れたもんで♪

短調から、自由になり、
どんな音を鳴らせるだろうかと
混沌と忘我と忘律を経て
後半、長調の分かりやすいメロディにして、
光の世界へ出て行くことを決意。

歌うことを決意。

駐車場へ戻り、
ウクレレを弾いて、
言葉を使って、
詩を歌った。

誰もいない
山間に響き渡り、
気持ちよかった。

けど、

少し歌って萎えた。

言葉は、
己に響かせるのも好いけど、
やっぱり
誰かと分かち合う意図があるから、
言葉を使うんだね。

ライブという晴れの舞台へ向かう気持ちが
歌い、宣る氣持ちへ導いてくれる。

しっかり、
途中でやめないで、
誰かに届くように歌えるように、
心的に、身体的に努力をする。

一緒に響き合える人が
世の中にはたくさんいる。


ここから来ました。

そこへ行こうと
想っています。


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ウクレレ平魚泳
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