「ここ」って「どこ」だろう?①
今、ライブ配信を終えて、
コメントくれた人のコメントに
想いが広がって、
コメントの返じゃ、足りなくて、
今、note書いています。
「大丈夫 ここで待ってるよ」
40代も半ばにさしかかったある日、ある朝、
中学、高校生くらいの自分の気分で
夢から覚めました。
そしてとっさに
大学ノートにこの詩を書き、
ウクレレ持って、
公園のグランドのベンチで
作曲しました。
*****
Bメロ(サビ)で、
「本当は受験なんかするつもりなかったんだ」
と、熱唱する。
ダサい。
僕が今、10代、20代だったとしても
ダサい。
おまえ、そこ、歌い上げるセリフじゃないだろ!
今更言い訳すんなよ・・・。
でも、ずっとそう思ってたんだよな。
「高校」なんていう、
生ぬるい、モラトリアムの世界になんて
行きたくなかった。
でも、まだ14歳とか15歳そこらで
自分、早いだろ?
と抑え込んだ。
幸か不幸か、
そこそこ成績が良くて、
進学校なる高校へ行くと
周りの人達は喜んだ。
「高校くらいは行っておきなさい
中卒だと将来不利になるよ」
一般常識だった。
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だからこの詩は、
中学、高校の経験が
ごちゃ混ぜになっている。
僕は
高校がやっぱり、
卒業するまでつまんなくて、
こんな同級生みんなが行くような
「大学」に
また4年も通うなんて
考えられなかった。
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そんなダサい本音を歌った。
二十歳そこらの若者が歌っていたら、
こんなダサい本音を恥ずかしげもなく
歌っていたら、
・・・僕なんかに評価されても
何も得られないけど、
「天才だ!」と、
この若者を大好きになるかもしれない。
まぁ、僕の世代で言う「尾崎豊」的な。
いや、オザキはもっとカッコいいか(笑)。
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さらにこんなボキャブラリーの乏しい歌詞を
40過ぎのおじさんが唄う・・・。
公園で練習してて、
散歩している人に聴かれたら
「いや、違うんです。この歌には
これこれこういう理由がありまして・・」
と、言い訳したくなってしまう。
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でも、
最後の歌詞に、
今の僕だからこそ言える
確信に満ちた言葉がある。
散々、既成の概念、カテゴリー、
「何か」に道を譲ってきた。
それは僕の「何か」ではなかった。
それでも、
社会的合意を受け、
共有の言葉を確立している「何か」
の方が強かった。
いや、僕が弱かった。でも、
若かったから仕方がなかった。
この社会での経験の浅い僕に
「世の中とはこういうものだよ」と、
多くの、大きな声で定義されたら、
「そうなんだろうな」
と思ってしまう。
今、そんな定義を振りかざす
僕と同じくらいの「大人」が
幼稚に誰かを傷つけていたら、
「いいから踊れ!命で踊れ!」
と、アドバイス
と共に、
僕が率先して踊ってやる。
そう生きなきゃ!
と思ってる。
「大丈夫。ここで待ってるよ」
人が生きられるであろう、人生の半分は過ぎた。
そして人は誰もが過ぎてゆく。
人生経験を積み重ねた「僕」が
たどり着いた、重みのある「此処」から
言うわけじゃない。
「其処」は、何処にでもある。
此処から
いつでも誰もが其処に行ける。
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たくさんのダメ出しを食らいながら、
「ダメ」を受け入れてきた僕がいる。
多くの人に当てはまらない自分の「正解」が
当てはまる場所を探して
右往左往と生きてきた。
それも「ダンス」だったのかもしれない。
踊りながら
「大丈夫 ここで待ってるよ」
と歌う僕の姿に
「あそこへは行きたくない」と
眉をひそめる方も少なくないかもしれない。
その価値観を
受け入れて、
眉をひそめて生きている人は
誰ですか?
「大丈夫 ここで待ってるよ」
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つづく
次は、
そんな「ここ」でどこ?
って詩へ
つなげようと思います。