暴力や権力を悪者扱いするのって良くない気がしてくる
どうも!宅配ピザは異様に高いけど、何度かに分けて食べることで実質の食費を抑えるという一時しのぎ術の使い手、ひらりんです!
いろんな寓話の中で暴力(物理的な力)や権力は悪いものとして描かれがちな気がしますが、それって本当に良いことでしょうか。
主人公役は細身なのに悪役は筋肉モリモリ、何も持たない主人公が絶大な権力を持つ敵を倒す。これらはありがちなストーリーです。
対立した状況の方が定番で分かりやすいし、ビジュアル的な面でも細身の方が受け入れやすいとかそういった理由はあると思いますが、こういった描写のせいで、暴力や権力が悪いことだと刷り込まれていくように感じます。
もちろん現実で人にいきなり殴りかかったり、権力を振りかざすのはいけないことですし、ハラスメント研修などでも上司から部下への立ち振る舞いなどには気を付けるように言われることでしょう。
ただ、現実的に考えて暴力や権力ってふりかざさないで、あくまで持っている分には有利に働くことって少なくないように思います。
少し例を挙げると
ひょろひょろした人vs筋肉がついている人
貧乏vs大金持ち
平社員vs部長
のような感じです。わざわざ書かないでも自然と理解していることでしょうが、私は自分事として今日まで捉えられていなかったよう思います。正確に言えば、認めようとせず目を背けていたと言えるかもしれません。
権力を持つことに何となく嫌気を催していたり、いやだと思うのって、そういう刷り込みのせい、いやもしかしたら私の解釈の仕方がおかしいせいなのかもしれないという気づきがあった訳ですが、いまさら気づいても手遅れな気がします。
力を正しく使いこなさないといけないというようなセリフが創作の中で出てくるのもよくありますから、それを考えると権力をただ悪者扱いしている訳ではないのは明白ですが、「権力に溺れる」という言葉があることからも受け手側に何となく権力は悪いことのようなイメージがついていそうな気がします。
ひいては、政治への忌避感にもつながるのではないでしょうか。
日本人はもっと政治に興味を持つべきだとは思うのですが、そういう意味ではもっと幼いころから創作の中などでの意識づけができればよいのにと思います。とはいえ、悪政に苦しむ国の権力者を選挙で倒そうなんて筋書きは中々難しそうに思います。
結局のところ、劇的な能力を持った主人公が悪役である権力者を裁く展開がありがちで、そうなると特別な能力を持った人でないと政治を変えることができないという印象付けになってしまうと思うのは、さすがに飛躍でしょうか。
なんて、一般論に持っていく書き方をしてみましたが、とりあえずは自分事として何らかの力を手に入れるために努力できるようになりたいです。
そういった努力を苦痛ではなくポジティブに捉えてどんどんスキルアップできる方は魅力的だとは以前から思うのですが、どうにもうまくいきませんね。
何かきっかけがあればいいのにと思いながら、今日もひたすらゲームをし続けるヒキニートの私でした。