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コンビではネタを書く方が偉い?
芸人に必要な意識改革のひとつとして、これまた絶対に言及すべき大きな問題がある。
それはコンビ、トリオなどにおいて『ネタを書いている方が偉い』という風潮である。
いつ、どこからこの風潮が始まり広まったのかは明確には定かではないが、かなり以前からお笑い界の常識として根付いているように思う。
ちょいとこれは芸人としてあまりにもこっ恥ずかしい価値観だと思うので、そんな常識が根付いていること自体他ジャンルの皆様には知られたくないのだが、芸人自ら様々なところで広めてしまっているため(なにしてくれてんだい)、完全に世間にも知られているところだろう。
正直本当に呆れ返っちゃうような価値観だが、強いてどちらが偉いかということを決めるのであれば、
『表現力が高い』方が偉いに決まっている。
理由はいたって簡単。『舞台人だから』。
当たり前のことである。当たり前のことなのだが、それを自覚できていない芸人が実際に多いのが現状だ。
要は表現することよりも、本の面白さを伝えることを重要視している作家脳の芸人が多いということである。
本の面白さを伝えることに主な喜びを感じるのなら、極端な話作家になれば良い。書いた紙をそのままお客さんにお見せすれば良い。
舞台に上がる意味とは何か。それは表現をするためである。本をどう自分の中で嚙み砕き、どう表現するか。そこに重きを置けない者に舞台に上がる資格はないというのが僕の考えである。
事実、言っていること自体は確かに面白いが、演者として『君である必要ないじゃん』と思えてしまう芸人の多いこと。正直ほとんどの芸人のほとんどのネタは自分がやれば6倍は面白くできるだろうな、と思ってしまう。
面白い本を書くこと自体は、笑いを作り出すための大事な要素ではあるだろうが、我々芸人(舞台人)の本来の役割はそこじゃない。
稚拙な本でも表現力のある者が演じればしっかりとした芸に昇華できるものである。
そんな当たり前すぎることに何故多くの芸人(売れてる人も含めて)が気づいていないのか、奇妙奇天烈摩訶不思議過剰だ。
表現することの重要性なんかは、落語などからも大いに学べるところなのだが……。
僕自身、大人のお笑いで割と積極的に本を書かせていただいているし、その楽しみも確かにあるのはよくわかる。
しかし結局はどう表現し、いかに頭の中の想定を超えるかをより重要視していることは言うまでもない。
『面白い発想だね』とか『目の付け所が良いね』などと言われて喜んでいる場合ではない。
『存在感あるね』や『この人だからこんなに面白いんだよね』で喜べっちゅうの。
舞台で君の代わりなんかいくらでもいるのよ。
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