20240930 裸足で三歩
戦後に日本語で書かれた日本語の戯曲の中で最も完成度が高いものの一つに三島由紀夫の『サド侯爵夫人』がある。戯曲、というかシンプルに演劇として語るに足る言葉、というか、本来フランス語や英語や他の言語でしか到達し得なかった”劇的な言語”というものの日本語での達成をみている数少ない戯曲、だと思う。
▼映画監督でもあるイングマール・ベルイマンがかつて日本でこの戯曲を上演したことがあって、もちろん上演は見ていないけれどもさる劇場の館長がこの上演を見たことがあり、最も印象深く覚えていることの一つとして「ベルイマンは舞台上で言葉だけが聴こえてくるように、舞台上にふかふかの絨毯を敷き詰めていた」という話を教えてくれたことがあった。
▼当時は20代もそこそこで、それが何を意味しているのかなんだかわかったようなわからなかったような心持ちだったけれども、今ならもう少し意味がわかるような気がする。そして舞台上の足音を消すために絨毯を敷き詰めるという演出的な発想の優雅さにも、前よりも少し実感をともなって驚くことができる。
▼気にしない人は気にしないだろうけれども、舞台上の足音というのはそれなりに大きな情報をともなって観客の元には届いている。たしか野田秀樹さんも「舞台上で自分の足音に気を使えない奴は二流(大意)」というようなことを仰っていたような気がする。人が歩けばそこには必ず足音が立つものなのである。
▼演劇に限らず舞踊でもマイムでも舞踏でも、その作品を上演するために床がどうなっているか、というのはそれなりに大きな情報だな、と思う。たとえばコンクリートなのか木の床なのか、木の床にしてもその下に空洞があるのか、密度の高い硬い木材が敷き詰められているのか、によっても舞台上の人間の動き方は大きく違ってくる。
▼地面と接地している足の裏にしてからが、裸足なのか、靴下を履いているのかあるいは履き物を履いているのかで可能になる動きは大きく異なり、それぞれに制限される。思うに、個人的には舞台上には俳優と言葉だけがあってくれればよく、その他のものは全部だいたい夾雑物だと思っている節がある。よくも悪くも、舞台上で生身の人間なんか見たくない。人間以上の何かになろうとしている瞬間が見たくて演劇をやっている。言葉を手がかりに俳優が変身する、そんな瞬間が見たいので、私はだいたい裸足で演劇をつくっている。のかなと思う。
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平泳ぎ本店/Hiraoyogi Co. 第8回公演
戸山公園野外演劇祭参加作品
『若き日の詩人たちの肖像』
2024年 5月17日(金)ー19日(日)
各日18時30分開演(17時45分受付開始・開場)
※雨天決行
於:戸山公園(箱根山地区)陸軍戸山学校軍楽隊 野外演奏場跡
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