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20241031

とある裁判(令和4(ワ)第29876号)の傍聴へ行った。裁判の内容については公に記録も残されていて、実際の裁判所でのやりとりをもとに裁判官の方々が判決を下されるのでそれ自体をどうこう、ということではないのだけれども、結局心の中にしこりが残っているので書いておこうと思った。(原告と被告どちらの側に立つ、というわけでは決してない。そんな風にはこの件にコミットできない。)

▼裁判の最後の最後、裁判長の方が被告に「今でも原告に対して謝ろうという気持ちはありませんか」と聞かれて、被告は長い間考えた後で「ありません」と答えた。正確な文言は多少ちがうと思うけれども要は訴えられている事実に対して、部分的に反省すべき点はあるものの、素直には謝らない(謝れない)ということだった。(それ自体をどうこう評価したいわけではない。)

▼先日のジャニーズ事務所の性加害について取り上げたNHKの番組の中でも、最後の方で現在のSMILE-UP.の社員が被害者からの電話に応答して「なんで東山がその件について謝らなければならないのかわからない。性加害の告発によってこっちも傷ついたので」という発言をしていたのを思い出さないわけにはいかなかった。

▼「いや謝れよ人でなし」ということを言いたいわけでは決してない。この期に及んでそんなことを言ってもなんの足しにもならない。「じゃあどうしたら、原告が望んだはずの真正面からの謝罪を被告がすることができたのだろう」と考えていた。

▼被告からすれば裁判の中の発言で言えば「30代の演出家の中では俺が一番売れている」という状態から一転、件の告発によって向こう三年分の仕事7本がすべて取り上げられ、SNSでは誹謗中傷が殺到して炎上し続け、本人からすれば大切な演劇をすることができず、そこに手を差し伸べてくれる人がただの一人もいなかった、ということになる。異常な事態だと思う。(でもそれは今回の裁判とはまったく別の話だ、と思う。)

▼「ちょっと聞き取りをしたらクロだと分かったので退団させました」というのもすごい話で、周り(というのは最悪なことに”演劇関係者”、ということになる)もそうしたハラスメントの実態を暗黙に了解し、見て見ぬふりをした上で、この告発があってから「やっぱりあれはよくなかった」といって原告のことをあしざまに言ったり、「あいつはそういうやつだった」と証言していたりする。グロテスクだ、と思った。

▼第二次大戦の終戦後、連合軍の兵士に促されてナチスの強制収容所で何をしていたのか見るように、と収容所の周りの住民が収容所に連れていかれて「こんなことになっているなんて、知らなかったんだ」といって号泣している写真や映像が残っていたりするが、あれに近い、と思った。

▼被害者は絶対に救済されなければならない。それとは切り離して、この調子で被告のことを誰もが無責任に、あしざまに罵り続けていたら被告が自死したりしてもなんら不思議ではない。正義だと思って振りかざしている言葉や悪意はいつか必ず人を殺してしまう。”演劇関係者”の人たちの振る舞いを見ているとみんな正しい側に立っていて、インターネットの誹謗中傷で人が死んでいるのを、分かっていない人の方が多いんじゃないのか、という気持ちにもなる。

▼裁判で事実関係が整理されて決着がつく前に、訴えが出た時点で被告からすべての仕事を取り上げた人たちもどうなんだ、と思う。劇作家協会や演出者協会といった業界団体は、自分がその立場に置かれた時に誰も守ってくれる人がいない、となったらおかしいとは思わないのだろうか。しかるべき契約でもガイドラインでも策定して、すべての仕事を取り上げて社会的に抹殺する、なんて明らかにやりすぎな事態が起こらないように調整するべきだと思う。

▼また裁判を聞けば聞くほどに、その仕事を発注している側の人たちだって被告のパーソナリティ、また被告の主宰する劇団でハラスメントが常態化していることを絶対に知っていたはずで、ことが明るみに出たからといってすべての発注を取り下げている、というのもダサすぎると思った。本当に価値があると思って仕事を依頼しているのなら、本当に才能があると思ってオファーをしているのなら、本当に必要だと思ってマネジメントしているのならその一人のアーティストくらい守りきれや、と思った。脳死したように「ハラスメントはいけない」と繰り返すばかりでは論理的な垂直性がまるでないではないか、と思った。人と人として、おかしいだろうと思う。

▼裁判所という場所で、演劇創作の異常性が確認されていく時間は本当に自分が裁かれているようで苦しい時間だった。少し困惑しながら劇団という組織の実態を確かめるのに質問を重ねる裁判官の方を見ながら、社会的に見れば演劇という営みなんて吹けば飛ぶほどにどうでもいいものなのだな、ということを痛いくらい感じた。すこしでも演劇に足を踏み入れ、団体を主宰しているような人間はいつだって被告の側になりうる。

▼私はだから、頭にきていた。演劇に関わる人たちというのはもう少し進歩的な人たちで、こうした問題が起きた時にも、未だ社会の中では達成できていないようなやり方で問題を解決して、少し明るい未来を描けるのかと思っていたらジャニーズ事務所とほぼおんなじようなパターンに陥ってしまっている。裁判自体もぜんぜん進歩的じゃない、というか典型的というか、古典的な轍にハマってしまっているのが悲しくて悲しくて仕方がなかった。

▼あの場で被告が「被告に対して申し訳なかった」と口にできるためには、あの場では裁かれていない無名の”演劇関係者”たちがそれぞれの場所で、もっと誠実になすべきことをなし、言うべきことを言わなければならなかったと思う。裁かれているのは演劇に関わる私たち自身である。被告だけを叩いていても何一つ解決しない。それは弱いものいじめ、意地悪というものだと思う。私はたまたま傍聴席で被告の姿がよく見える席に座ってしまった。裁判の最初から最後まで、大柄でイカつい被告の手が震えているのをずっと見ていた。演劇に関わる人たちの意識がすこしでも変わっていくことを切に望む。

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平泳ぎ本店/Hiraoyogi Co. 第8回公演
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『若き日の詩人たちの肖像』
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