BFC6落選(一次通過)作「三者三様」
ああもう、どこにいるんだよ。あいつが買いにくりゃいいだろ地元なんだし。俺方向オンチなんだよ、連絡しようにも座席にスマホ置いてきちゃったし……。球場内をウロウロしていたら、肩の辺りに衝撃を受けた。
「すみません」と言われ、「こちらこそすみません」と頭を下げる。相手は長身で細身の男性だった。どこも痛くありませんかと聞かれ、不思議に思いながら「ええ、大丈夫です」と答える。「そちらこそ大丈夫ですか、僕、けっこうガタイのいいほうなんで」
男性は笑って、「大丈夫です。お気遣いありがとうございます」と言う。笑顔がとても爽やかで、不覚にもときめいてしまった。
いやいや、俺は真弓タンひと筋だから!首を左右に振り、雑念を振り払う。両手で頬を叩いて気合を入れたいところだが、そういうわけにもいかない。
「ずいぶん――ですね」「へっ?」
「あ、いや、新潟の名物をたくさん買ってくださっているようなので、お礼を申し上げたいなと」
「地元の方ですか、このたびはイースタンリーグ参加おめでとうございます! すごい人ですよね、これから楽しみですね!「ありがとうございます」またしてもあの爽やかな笑顔!
「すみません、そろそろ行かないと。楽しんでくださいね」
最上級の笑顔を見せ、男性は会釈をすると、無線機のようなもので通話しながら去っていった。きっと警備関係の人なんだな。背中に向かってお疲れ様です、と深く頭を下げる。気持ちとしては敬礼したいところだが、やり方を知らないのでやめておく。
「さて戻るとするか」
相変わらずあいつがどこにいるのか分からないけれど、気持ちはとても晴れやかだった。
***
「ったく、どこまで買いにいってんだよ使えねえなあ!」
まただ。イライラが収まらず、物や人にあたってしまう。このままじゃ私、あなたを軽蔑してしまうから。カスミに別れを切り出されたのが先週。
イースタンリーグ参加にあたってチームは大幅な補強をした。さぞ強かろうと期待したが、開幕十試合でわずかに一勝。ロードとはいえ元NPB選手を採ったのだから連勝してほしい。そう思うことの何が悪い?
酒量が増え、帰りの遅いカスミに当たるようになった。本当に残業なのか、浮気してるんじゃないのかと、疑って手を上げたこともある。悪かった、もうしないから。何度約束しても同じことを繰り返し、とうとう愛想をつかされた。
「俺はもうダメだ……」
「そんなこと言うなよ」
「――島田!」思わず立ち上がる。
「早かったな、始球式間に合わないようなこと言ってたから、まだ来ないかと……」
「仕事が早く終わったんで、始球式見られそうだと思ってさ」
「そうか、よかった。まあ座れよ、って俺んちじゃないけどな」
島田は笑って腰を下ろす。
「すごい人だな。超満員じゃないか。タレントが始球式やるわけでもないんだろう?」
「不満か?」
「あ、そういうことじゃなく……実はリトルリーグ時代のチームメイトなんだ」
「チームメイト? 岸本知事と? えっ、知事って野球経験者なのか?」
「今さら何言ってるんだよ、県の広報誌に書いてあっただろ、『知事の部屋』読んでないのかよ!」
「読んでねえよ、ってかどこまで行ってんだよ! 待ちくたびれて腹がペコペコだよ!」
「あ、島田さんですか、初めまして高橋です。真弓タン、じゃなかった、岸本知事とお知り合いなんですか」
「知り合いと言っても二十年くらい前の話で、ずっと会ってないんですけどね」
「おいッ! 勝手に話を進めるなッ!!」
騒がしかった周囲がシーンと静まり返り、咎める視線が方々から俺たちを刺す。すみません、すみません……と三人で頭を下げ、静かに腰を下ろした。もう、消えてなくなりたい……両手で頭を抱えた。情けなさすぎて涙がこみ上げる。
「元気出しなって、コシヒカリのおにぎり買ってきたよ。そうそう、この試合って米どころ対決なんだよね、だからササニシキも買ったよ」
心底どうでもいいと思いながらかぶりつく。
「ウマッ! めちゃくちゃウマいんだけど?」
「てか松尾くん、地元なのにコシヒカリ食べないの?」
そういえば米の銘柄なんて気にしたことなかった。腹に入れば何でも同じと掻っ込んで、いつもカスミに怒られてたっけ……。
「みんな、始まるよ始球式!」
岸本知事が大きく振りかぶる。指先から放たれたボールは、ゆっくりとバッターめがけ進んでいく。どうかな、と島田が言った。同感だ。超打ちごろの甘い球。これを振るやつはプロじゃない。例え始球式で、振るのがマナーだったとしても。
案の定強打され、スタンドへ飛び込む。高橋は泣きそうになっていたが、知事がサバサバしているのが意外だった。
「案外いいんじゃないか、岸本知事」
「松尾くん、やっと分かってくれたんだね!」
「くっつくな鬱陶しい!」
島田が笑いながら見ている。久しぶりに温かな気持ちになった、ある春の午後だった。