Design School Kolding までの軌跡(希望編)
前編からの続きとなります。ここから読んでも「?」となりますので、是非、前編からご覧ください▼
はじめに
東京藝大の大学院のある授業の終わりに、須永先生がこんなことを言いました。
Sunaga「平野、体験はデザインできないよ!現象(phenomenon)と道具(tool)を分けて考えないとダメだよ !デザイナーができるのは、“体験のためのデザイン”だよ!Liz Sandersもそう言っているんだから!* デザイナーは、制御できるものと制御できないものを明確に把握しないとダメだよ!」
*興味がある方は『From User-Centered to Participatory Design Approaches』という論文をご参照ください。そう書いてあります!ちなみにLiz Sandersさんはデザインリサーチ分野の世界的第一人者です。
今まで当たり前のように使い、なんとなく雰囲気で理解していた「UXデザイン」と「UX」という言葉が崩れ落ちた瞬間でした。たしかに、よくよく考えると「体験」そのものをデザインすることはできないのです。もし、できたならばそれは「デザイン」ではなく「洗脳」となることでしょう。ここでは、飲み会を例に考えてみます。
ビールを注ぐ器(Interface)、その器でビールを飲むというやりとり(Interaction)、ビールを注文して、自分のテーブルまで持ってきてもらう仕組み(Service)これらは全てデザイン可能です。器はコップが良いのかジョッキなのか、ビールを注ぐ量、器の持ちやすさ、器から口まで快適にビールが流れるのか、両手で持つのか、片手で持つのか、客と店員の応対マニュアル、注文フローなどは制御可能です。でも飲み会の体験というのは、そこで起こる現象です。楽しい会話やみんなの笑顔などはデザインできません。
大学院での学びでは、このようなことが数多く起こりました。それはまるで、ハンマーで頭をガーンと叩かれたような感覚です。このハンマーで頭をガーンって叩かれることに対して、学費を払う価値があったなと常々思います。
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なぜ、Design School Koldingにいったのか?
1. デザイン の対象を社会にした授業
藝大の大学院の1年生の学びで重要だった体験を箇条書きで書き出してみると以下の通りとなります。
・台東区の伝統工芸の未来を題材にしたデザインプロジェクト
・IT University (Denmark)との「Co-design Workshop」
・佐賀大×東工大×藝大×産総研の協働プロジェクト(僕のメイン研究)
・未来大×東工大×藝大×函館人との「当事者デザイン」ワークショップ
・Design@Community Awardの「Kickoff Workshop」
・Design School Koldign(Denmark)との「Welfare Design Workshop」
・デンマークへの10日間の視察
・あたつく組合(奈良)との「伴奏ワークショップ」
・Assemble(England)の講演
・Aalto University(Finland)の講演
・研究や授業で読んだ本『あなたへの社会構成主義』『コンヴィヴィアリティのための道具』『アブダクション―仮説と発見の論理』『遊ぶヴィゴツキー: 生成の心理学へ』『今治タオル 奇跡の復活』『新版 アフォーダンス』『「闘争」としてのサービス』、その他・論文など
本当にどれも面白かったです。Assembleに関しては「Social 」を語る上ではひとつの事件となったのではないでしょうか?
それくらい、僕はラッキーでした。大学院に通うだけで、論文にもなっていない、体系立てもいない、できたてホヤホヤの情報や事例と巡りあうことができました。
全ての体験に共通していたキーワードは「Societal Design(社会的課題に対するデザイン)」です。須永先生が「Social Design」と言わずに「Societal Design」という言葉を選んだ真意はまだ掴みきれていませんが、デザインの照準を「社会」にあわせたワークショップやプロジェクトでした。いまふり返ると全てのエピソードにDesign School Koldignへの繋がりを感じることができます。どれも印象深く、丁寧に解説したいところですが、本当に大事な点だけ記述してみたいと思います。
大前提として、デンマークはこの分野のデザイン先進国です。デザインの対象を社会にしている授業を受けていた立場からすると、デンマークはピッタリでした。それでは、なぜDesign School Koldingだったのでしょうか?
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2. 「お前は、どうやってデザインの価値を伝えるつもりなんだ!」
この言葉は2016年の9月に行なわれた、Design School Koldign(Denmark)との「Welfare Design Workshop」にて、講師で来ていたThomasとの会話の中の一言です。Design School Koldingが開発した「Co-Creation Card」と「6C Model」という方法と方法論を使いながら「こども食堂」を題材に社会的課題にデザインで取り組みました。ワークショップは全体で1週間でした。中間発表が終わったころ、講師のThomasに僕が以下のような質問をしました。
Thomas & Anne Louise
Hirano「もし、メソッドを使わないでつくったデザイン(成果物)とメソッドを使ってつくったデザイン(成果物)が結果的に同じなら、メソッドを使う意味ってないと思うだけど?どうなの?何が違うの?同じものができるなら使わなくっても良くない?」
Thomas「そもそも、お前はどうやってデザインの価値を伝えるつもりなんだ!クライアントは、すぐ簡単にデザインができると思っているんだぞ!メソッドを使うという意味は、デザインプロセスを開示するというところにあるんだ!メソッドを使わずにつくったデザイン(成果物)とメソッドを使ってつくったデザイン(成果物)の最終的な資料の厚みを考えてみろ、どっちにクライアントが価値を置くと思う?どっちにお金を払いたいと思う?お前がクライアントだったら、どっちのデザイナーと仕事したいと思うか、考えてみろ!」
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もちろん、全て英語でのやり取りだったので、聞き間違えている可能性もあるのですが…こんな内容でした。僕は目から鱗が落ちました。イノベーションを起こすとか、アイデアを発想するとか、ビジネスにデザインを利用するとか、誰でもデザイナーのようになるためとか、そういった次元、そういう類の「Design Thinking」じゃないぞ!
これはデザインの価値を伝えることで「デザイナーの価値を守るための方法と方法論だったんだ!」と僕は本当に本当に本当に驚きました!
そして、これらの方法と方法論を作った彼らが“昔ながらの”デザイナー(※いわゆる、Design Thinkerではない人たち)であったこと、まさにそれこそが大きな希望でした。この衝撃こそが「Design School Kolding」には何かある!そう確信した瞬間でした!
このDesign School Koldingはデンマークの美大(デザインスクール)です。藝大や多摩美のように「Think with your hands」や「Making is thinking」を大切にして、アウトプットで語ることを非常に大切にしている学校です。しかし、その一方で、Ph.d.やDesign Labのリサーチ部門は、デザイナーの実践知を理論化(方法&方法論)しようと真剣に向かい合い、ガチの論文を書いています。もちろん彼らもデザイン畑出身です。この事実には本当に驚きます。
僕自身、デザイナーが言葉を遊びながら、いわゆるポエム的な文章によって、共感性を研ぎ澄まして伝えることが「ダメ」だとは微塵も考えていません。内向けには、その方が早く、そして腹落ち良く、納得感を持って伝わります。※そもそも、この文章が主観と感情を存分につかって、エッセイとして書いているのがその証拠です。しかし、それでは、共感できた人だけにしか伝わらず、外に出ていきづらいのです(※ましてや日本語で書いてたら日本人にしか伝わりません)
デザイナーの価値を本気で守ろうとしたら、デザイナーの実践知を理論化(方法&方法論)にしないとダメなんなのです。しかも英語で…と現場に身を置きながら、強く痛感しています。そして、彼らはそれを本気でやっています。
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3. 表現すること、説明すること
「Design School Kolding」に応募した理由は、もうひとつあります。それは、この学校がコンピュータではなく、手を使って「表現すること」を非常に大切にしていたからです。2016年11月のデンマーク視察でも、自分の目で、それを確かめることができました。
そしてこの「表現すること」の価値を大学院に通う中で、再認識する事件がありました。それは、みんなでコオロギの絵を描いていた時のことでした。
研究室仲間の王ちゃんのコオロギの絵が、ぜんぜん進んでいませんでした。もちろん、王ちゃんはちゃんとやれば描けます。しかし、なんで絵の進捗が悪かったのか?そこが気になって、聞いてみました。
Hirano「なんで、王ちゃんあまり(コオロギを)描かなかったの?」
O-chan「だって、(コオロギの)良いところ見つけられなかったんだもん!」
Hirano「!!!!!!!!!!!?」
僕はスッカリ忘れていたのでした。そうだった!そうだった!そうだった!表現するってそういうことだった!自分が良いと思ったところを起点に出発するんだった!絵を描くってそういうことだったんだ!と思い出しました。
※ちなみに、帰宅して奥さんにこの話をしたら、当たり前じゃん、そうじゃないと作品つくれないよ!と返答されました ※奥さんは多摩美術大学の彫刻学科(石彫)出身。さすがアーティスト肌!
社会人としてデザイナーを10年やっていく内に、そういった大切なことを忘れていった(捨てていった)んだってことに気がつきました。これ以外にも「ロゴはイラレでつくるより、手で描いてつくった方が早い」や「自分の手垢をデジタルにどうやって刻むのか」など数々の衝撃的な発言と出会う機会があり、技術とデジタルにどっぷりにつかってデザインの仕事をしてきた自分の中で凝り固まった、シコリみたいなものがドンドン剥がれていきました。
そして、ずっと自分の中で疑問だった「なんで藝大出身のデザイナーがつくるグラフィックデザイン(例えば、HYPHENの原 健三くんのお仕事)
は、なんで、こんなにも心地良いんだろう?なんで自分にはこれができないんだろう?」といった疑問が解消されました。あれは「手仕事の痕跡(ぬくもり)」だったのです!
僕はこの「表現すること(表現行為)」こそが次の時代にも、デザイン思考にも欠かせない要因になると考えています。
表現というのは、自分の体験や感情といった人の内面を文章、絵、詩、演劇、歌などの型で外化することです。主体的・感情的に外化された表現物(作品)は、他者が「鑑賞」することによって「共感」部分のみが伝わります。
この「表現行為」の真逆が「説明行為」となります。端的に言いますと「言語化できないものは全て切り捨てていく行為」です。つまり、自分の体験や感情を伝える手段として、言葉にできない何かを捉えるには「表現行為」は優れているということです!
そして、大変ありがたいことに、この表現行為は美大系出身のデザイナーには扱いやすく、特権的に詳細を語たることができます。なぜなら、本気で表現したことない人には、絶対に詳細が分からない領域だからです!では、なんで今後、この表現行為が大事になってくるのでしょうか?
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4. 表現に紐づく視点と感情
僕が大学院でやっているメイン研究は、何かを表現し、表現することで自分たちの課題などに気づいていく。表現することで対象を捉えていくといった表現に軸足を置いたワークショップを実施しています。
そして、この表現ワークショップを通して、組織をエンパワーメントさせるためのプログラムを考えています。僕自身、このようなプログラムをつくることが、次世代のデザイナーの仕事になるのではないかとも考えています。
そのプログラムを僕は「組織の文化をつくる」といった意味で「文化プログラム」と読んでいます。
組織の文化が客観性から生まれるとは思えません。そこで暮らすひとりひとりの感情を拠り所に立ち現れるものだと考えています。だからこその「表現ワークショップ」なのです。
上の図は、説明行為と表現行為を比較したものです。近代社会は、主に左側の要素に重点を置いてきました。しかし、経済発展している時はあまり気になりませんでしたが、最近はその綻びが見え隠れします。そのひとつが「コミュニティの弱体化」です。
説明行為は、いわゆる論理や客観性などを求めます。そのため、感情や主観といった言語で説明しずらいものを、排除していく傾向があります。しかし、それだけでは不十分だったために、さまざまな問題を引き起こしました。今いちど、主観や感情をそこに取り戻す必要があります!
何かを表現するということは、必ずそこに作者の視点(主観)が存在します。そして、言語化できないもの(体験や感情)が表現物として、目の前に立ち現れます。だから、表現行為は主観や感情と相性が良いのです。そして、この主観と感情はデザイン思考にも大きく関係してきます。
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4.情熱 = 主観 × 感情
もともと、IDEOのティム・ブラウンが語るデザインのプロセスとIDEOのビル・モグリッチが語るデザインのプロセスが異なることに気づいたことが、デザイン思考に対する違和感の始まりでした。(念のため、断っておきますが僕はIDEOが超超超超超超超超超超大好きです。ちなみに僕はモグリッチの語るデザインのプロセスモデルに対しては、本当にその通りだとも思っています)
インタラクションデザインのプロセス(Moggridge , 2006)
インタラクションデザインのプロセスは10の要素で一般化することができる。それらは、多くの場合、Constraints→Synthesis→Framing→Ideation→Envisioning→Uncertainty→Selection→Visualization→Prototyping→Evolutionの順序で用いられ、反復的に繰り返されるが、最も生産的なプロセスは常にそのようにはいかない。それは時々、ほとんどでたらめなように見え、まるでピンボールマシンを想起させる。(平野による意訳)
日本のメディアで「デザイン思考でイノベーションを!」みたいな多くの意見を見かけるたびに「本当にそうなのか?」と疑問は積もるばかりでした。なぜ、デザイナーのように「主観」と「感情」を使って感性的に考える方法と方法論=新しいサービス・製品の発明につながるのか?理解できませんでした。何かそこには、不都合な真実があるのではないかと疑ってしまうほどでした。
僕自身、大変ありがたいことに世界初のコンシューマ向けの全天球カメラ「RICOH THETA」に関わる仕事の機会がありました。
それこそ、RICOH THETAまさに「イノベーション」と言っても間違いないでしょう。このお仕事に関われたことは、自分のデザイナー人生の宝となっています。
この素晴らしく偉大な製品の仕事に関われて、THETAの父とも呼べる生方秀直さんとお仕事をご一緒して感じたことは、本当に大事なことは「情熱」なのではないか?ということでした。生方秀直さんの情熱は以下の記事からも感じることができます。
僕はいわゆるデザイン思考で語られるプロセスには、どうもこの「情熱」が抜け落ちている気がしてなりません。このプロセス通りやると他人事のアイデアが生み出されからです。
正直、誰も見たことがないアイデアを考えるだけなら、誰でも簡単にできます。現場に行って、観察して、何か気づいたことを書いて、それを分けて、それらを強制的に組み合わせて、アイデアをたくさん作って、いくつか試してなんてことは、誰でもできます。
しかし、このプロセスは恐ろしいぐらい、客観的に進行します。そんなアイデアを本気で信じられるのでしょうか?最後の最後に本当に責任を取れるのでしょうか?
本当に本当に本当に本当に大事なことは、自分だけが信じられるアイデアを社会実装(implement)するまで、辿り着くための「情熱」を生み出すことだと思っています。そのためには、どうしても自分事化する(主観的に考える)必要がありますし、そこに感情が乗らなければ、情熱まで進化しません。
この仕組みを設計するにはどうすれば良いのか?これらは、表現ワークショップで捉えることができる範囲なのか、そもそも、それはデザインできる対象なのか?そういった想いがDesign School Koldingへ足を向かわせた理由にもなっています。
社会的課題をデザインで解決する最先端の国で、表現を大切にしている大学でこれらを考えてみたいと思ったのです。
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5. 自分の目で見たもの信じたい
以前、GKデザインの田中一雄さんとお話する機会があり「最近、イノベーションでもっとも大切なことは、情熱なんだと分かりました!」と言ったところ(※ふり返ると、よくこんな超失礼なことを伝えたなと思いますが…。)
「そりゃぁ、当たり前でしょ!」
という答えが返ってきました!僕は本当に驚きました!もちろん「いわゆるDesign Thinkingの教科書」には、そんなことは、語られておりません。なぜなら、説明できないからです。危なっかしくて記述できません。でも、GKではこれが当たり前だったのです。あらためて日本のデザイン会社の素晴らしさを感じ取った瞬間でした。
その時、やっぱり私たちの(日本型の)デザイン思考のモデルってあるんじゃないのかなって思いました。きっと、それに近しいものを、GKの柴田 厳朗さんが生み出すのではないか!と勝手に期待しています。(※monogoto CEO, Ziba Executive Fellowのビジネスデザイナーである濱口秀司さんも、たくさんそういった独自のモデルを提案しています。)
僕は、社会人デザイナーを10年間やって、大学院での学びを通して、たくさん悩んで、この答えにたどり着きました。
この「情熱=主観×感情」こそ、イノベーションに必要な要素なのだ!と初めて言語化できたのが、藝大のプロジェクトで出会った「あたつく組合(奈良)」とのワークショップでした。(※それまでは、言語できておらず、なんとなく情熱?みたいな感覚でした)
奈良はいまの日本「Social」最先端です!そこには、新しい日本のカタチがある気がします。新しいことは「大和」から始まるんだって感じました。
海外のカンファレンス行って「デザイン×公共・社会」を語るデザイナーさん、そんなことするよりも、もっと近くに面白い事件が起きています!海外メディアに出し抜かれる前に要チェックです!
IDEOもDesign School Koldingも自分たちでメソッドをつくっています。いま現場と向き合っている実践者がつくるから、世界中のみんなが共感し、それを使います。
原研哉さんや佐藤可士和さんが自分の言葉で語って本を出版して、翻訳されると世界のデザイナーの目に触れます。アールト大学のJuha先生が原研哉さんの本から文章を引用しているスライドを見て、感動しました。
また、デンマークのデザイナーさんに無印良品の文房具をプレゼントすると本当に喜んでくれます。これこそが紛れもない「Touch Point」なんだと強く感じることができます。
日本のUX界隈が、メソッド輸入合戦・紹介合戦になる理由も分からなくもないのですが(そうしないと食べていけないという理由も痛いほど分かるので…)自分たちで、日本から生まれたメソッドをつくっていき、世界に通じるメソッドに進化させていく必要があるのではないでしょうか?
なんてことを考えていたら、ちょっと日本の情報に触れることに距離を置きたくなりました。どうもバイアスがかかった情報が入り過ぎているぞと。
例えば「執筆された本で語られていること」と「実際のワークショップでやっていること」が全く異なるくらい、ダブルスタンダードがまかり通ります。(※これも色んな事情があってしょうがないとは思いますが…)
そんな情報にふり回されないで、自分の目で見たもの、体験したことで、これからのデザイン人生を勝負していきたい!そんな強い人間になりたい!と思ったこともDesign School Kolingに来た理由のひとつです。
藝大の須永剛司先生、藤村龍至先生、京大の山内裕先生のような、自分の考えにブレない。周りに流されない。自分の信じることをやれる強い人間になりたいです!
以上が、僕がDesign School Koldingにいった理由です。簡単に理由をまとめてみると、以下の通りです。
・デザインの可能性がSocialまで広がっているから
・藝大で学んだ内容が「Social Design」だったから
・デンマークはそのデザイン領域の最先端の国だから
・表現行為(主観と感情の表出)への揺り戻しが起きると信じているから
・DSKDは手をつかって表現することを大切にしてる大学だったから
・日本から入ってくる情報に距離を置きたかったから
・自分の信じることをやれる強い人間になりたかったから
そんな感じです。
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さいごに
弊社の関連会社に株式会社東京銭湯があります。若者に特化した銭湯メディアというのもまた、ありそうでなかったという観点から言えば「イノベーション」と呼べるかもしれません(ちょっと、言い過ぎな気もしますが…謎)
東京銭湯の日野 祥太郎さんとは、大学時代からの古い付き合いなのですが、彼と話していても「情熱(主観×感情)」の重要性を感じずにはいられません。それらは下記の記事からも感じ取ることができます。
実は、日野さんの一連の行為をデザイン思考のプロセスと比較すると興味深いことが分かります。それは、あらたまって「観察・調査(客観的な目線で捉える)」なんてことはやっていないのです。
日常生活として(主観的な目線で)銭湯に行き自分自身で気づいたのです。そして、銭湯が好きだからという「情熱」を原動力に東京銭湯を社会実装していったのです。
間違っても、銭湯の現地調査に行って、お風呂入っている人をよく見たり、現存する銭湯の数と顧客の数の需要と供給のバランスを分析して「これからは、若者向けの銭湯メディアだ!」なんてアイデアを考えていないということが分かります。
あくまでも、本人は気づいているだけなのですが、これを第三者に説明しようとすると「観察・調査」といったラベルで記述せざるを得ないのです。
しかし、実際はそこに「観察・調査」などは起きていません。普段の日常生活をしていく中で、そのような観点にいかに気づけるかが、重要なのです。
そのためには、観察力が必要となります。この観察力を鍛えるひとつの方法がデッサンなのです。それゆえに、美大出身のデザイナーは、面白いことを発見しやすかったり、感情を読み取りやすかったりします。
デッサンで鍛えた観察力をつかって、生活世界を常にスキャンニングしているのです。だからいろんなことに気づけるのです。
そして、デザイナーの本当の力であるアブダクションは、それこそデッサンをやってきたり、モノゴトを本当によく観察してきたり、涙するまで表現してきた人たちだけに訪れるプレゼントだと思っています。
僕は、こういった美大出身系デザイナーが持っている力、実践している知恵(実践知)などを開示していき、そういったデザイナーが生きやすい社会をつくっていきたいと考えています。そんな想いが僕の根っこにはあります。
数ヶ月の滞在で何が分かるか、何を得られるのか分かりませんが、少しでもそういったことに繋がればと思います。
この記事が、美大出身で悩んでいる社会人デザイナーに届き、なんとなく希望を持てたり、大学院に行ってみよう!、海外に出てみよう!って感じてもらえたら幸いです。そんな人が周りにいましたら、伝えてください。
2017.9.22@Design School Kolding|Tomoki Hirano
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