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多摩美の情デはdスクールの遠い親戚?須永剛司先生に関する4つの逸話

目次
・はじめに(情報デザインのパイオニア)
・逸話1:美大教育の真髄「やって・みて・わかる」論
・逸話2:幻のMac OS「DrawingBoard」の開発関係者
・逸話3:グッドデザイン賞で「牡蠣の森」を推す!
・逸話4:テリー・ウィノグラードとスタンフォード大学
・おわりに(社会系デザインに想いを託す)

んでこの文章を書いたのか?
須永先生に関する情報がネットに少なく、ちょっと悲しくなったから。

はじめに(情報デザインのパイオニア)

須永剛司(すながたけし):日本の美大に「情報デザイン」という新しいデザインの分野を切り開いたパイオニアのひとりだ。元・多摩美術大学情報デザイン学部の教授であり、現・東京藝術大学のデザイン科の教授。(※京都大学のデザインスクールでは、非常勤)

今でこそ、UIデザイン、UXデザイン、インタラクションデザイン、インフォメーションアーキテクト、インフォメーショングラフィックス、データビジュアライゼーション、メディアアートといった名前がつき、住み分けが明確になった分野だけれども、20年前は全てまるっと一括りで「情報デザイン」と名付けられていた。

一部訂正(2018.04.25)
※1989年多摩美術大学美術学部二部デザイン学科で「コンピュータを使った美術教育(Media & Interface)」の授業がスタート。これが後の情報デザイン学科の基礎となる。

※1998年多摩美術大学に情報デザイン学科が誕生する。

その分野を開拓したことで有名なデザイナー&先生なのだが、他にも面白いエピソードが多いので、そんな須永先生の逸話を少しだけ、この記事で紹介したい。

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情報デザインの言葉に含まれる時代背景は、専修大の上平先生のブログが分かりやすいので、興味がある方は是非!

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逸話1:美大教育の真髄「やって・みて・わかる」論

日本で「Co-design」や「Design attitude」を研究している専修大の上平先生、多摩美で「Service Design」を教えている吉橋先生も、この言葉を取り上げたり、引用するほど、分かりやすくて伝わりやすい「やって、みて、わかる」というキャッチーなフレーズがある。

実は、この言葉を開発したのが、須永先生である。少なくとも1986年には、この言葉をつかって、デザイン学の論文を執筆していることに驚きを隠せない。https://doi.org/10.11247/jssdj.1986.63

「やって・みて・わかる」(須永,1986)

逸話2:幻のMac OS「DrawingBoard」の開発関係者

「DrawingBoard」という知る人ぞ知る、幻のMac OSが存在する。

東京大学の生産技術研究所教授であられる、山中俊治先生が中心となって進められたプロジェクトである。

須永先生は、このプロジェクトにコンセプト段階で関わり、アップルでのプレゼンテーションにも参加している。(以前、その時の記念写真を見せてもらった)その顔ぶれは、まるでアベンジャーズのようなドリームチームである。山中俊治先生はもちろんのこと、猪股裕一さん(MdNの創刊者)、戸田ツトムさん(グラフィックデザイナー・日本のDTPの先駆者)、宮崎光弘先生(現多摩美術大学教授、株式会社アクシスの取締役)、そして須永先生である。

詳しくは、山中先生のブログの記事をご参照いただきたい。

逸話3:2002年のグッドデザイン賞で「牡蠣の森」を推す!

2002年、須永先生はグッドデザイン賞の審査員を務めいた。その年の審査員が選ぶ『私の選んだ一品』という本がデザイン振興会から出版されている。その本の中で、須永先生は「牡蠣の森」というデザインを推したのだ。

もちろん、昨今の状況で考えれば理解できる。弊社の日野が手がける「東京銭湯 -TOKYO SENTO-」という銭湯を中心にしたコミュニティも、2017年のグッドデザイン賞を受賞している。しかし、16年前の状況下で、このデザインを推すのは、かなり勇気がいる。というか「これは、デザインなんだ!」と説明できる「言葉」を16年前のデザイナーは、持ち合わせることが難しいのではないだろうか。

いかに、須永先生が、狂気じみた発想とその言葉、そして先見性の目を持っていたことが伺える例である。

その本の中で、須永先生は以下のような言葉を残している。

人々が自分たちの生活と経験を描き実現すること。それができる仕組みとその機会をしつらえること。これこそ、これからのデザイナーがなすべき仕事になると僕は考えている。(中略)牡蠣の森を育てている畠山重篤さんの仕事に、僕は、そんなデザインの未来をみた。

逸話4:ウィノグラードとスタンフォード大学

ソフトウェアの達人たち』というUIデザインの古典的名著の作者、テリー・ウィノグラード(Googleの創始者のひとり、ラリー・ペイジの指導官でもあり、一時期、グーグルで客員研究員もやっていた人物)と須永先生は、ちょっとした師弟関係にある。

スタンフォード大学に客員研究員として籍を置いていた時に、ウィノグラードのもとで、人とコンピューターの関わり合い「ヒューマン=コンピューター・インタラクション(HCI)」を研究していたのだ。

その前は、イリノイ工科大学で在外研究していたことにも驚く。つまり、日本でも有名なアメリカのデザインスクールがある2つの大学で学んでいたのだ。

そして、ウィノグラードの研究室の「叡智」は、ハッソ・プラットナー・デザイン研究所(通称 dスクール)のプログラムにもいかされている。ウィノグラードは、dスクールを立ち上げた関係者のひとりだからだ。

そう考えると、ウィノグラードのもとで学んだ須永先生がつくった多摩美術大学の情報デザイン学科は、実はスタンフォード大学のdスクールの「遠い」親戚と言えるかもしれない。

学部時代をふり返ると確かにその血筋の特徴?はあった気もする。例えば、僕が所属していた2003〜2007年、須永先生がいた情報デザイン学科(特にStudio3)のプログラムの特徴として以下が挙げられる。

・インサイトを発見するためのリサーチ活動を「超」重要視すること
(※授業の8割強の時間を、これに費やされる)

・プロセスの可視化と成果物の言語化が求められること

・グループワークが中心だったこと

最近のデザイン業界で、これらは市民権を得ているが、僕が多摩美の学生だった時代、この活動を積極的に奨励していた印象はあまりない。なんなら、成果物の言い訳に見えるため、ちょっと恥ずかしかった。そして、成果物の完成度は他の学科と比べると低かった…。(時間をリサーチに割いているので、当然の結果ではあった)

しかしながら、少人数のグループワークで進め、リサーチベースでデザインを開発し(観察して、分析して、定義して、試作して、確認する)、最終成果物の発表時に、そのプロセスと説明を義務付けていたことは、近年のUS型のデザイン思考の流れと大きくハズレている印象はない。

おわりに(社会系デザインに想いを託す)

須永先生は、多摩美のプロダクトデザイン出身(立体デザイン科 卒業)。そのキャリアのスタートは、日本を代表するデザインファーム「GKデザイン」のデザイナーとして始まる。

GKデザイン時代、医療機器のプロダクトデザインをおこない、その導入現場(健康診断)を見に行った時、子どもたちが、その医療機器(の背面)に怯えていたこと(複雑な配線ケーブルの醜態)を目の当たりし、スタイリング以外のデザインをする必要性に気づき、「人との関係を制御することがデザインの本質なのではないか?」という問いをもつ。

そこから、デザインのアカデミアの扉を開き、数年後に下記の言葉を残している。

デザインとは「"人" と "ものごと" の関わり合いをつくること」

これ以外にも、須永先生の面白い話はたくさんある。学びと認知科学で有名な佐伯胖先生との師弟関係だったこと。IDEOの創業者のひとりであるビル・モグリッジと親交があったこと。日本を代表する研究機関の「産総研」と東大の「水越研」との越境プロジェクトのこと。美大なのに2006-2012年、CREST研究事業の研究代表だったこと。放送大学の講義を聞きながら自動車を運転していること。2012-2014年、フィンランドAalto大学のアドバイザリボード、2015年前期は客員として滞在してたこと。などなど本当にたくさんある。

現在、須永先生は東京藝術大学で、新しいデザインの分野に挑戦している。それは、デザインの対象を社会にまで広げたデザインの教育である。

29年前、須永先生が上野毛で始めた「コンピュータを使った美術教育(Media & Interface)」という、誰もが謎めいて、なかなか理解できなかったデザインの教育は、現在、当たり前のデザインの分野となり、そのデザイン教育の成果をスマートフォン、パソコン、インターネットを通して受け取っている。

きっと30年後のデザイン姿も、そうなると僕は信じている。そして、その想いを受け取ったからこそ、僕はデンマークにソーシャルデザイン、ソーシャルインクルージョンを学びに来たのかもしれない。

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須永先生のデザインに関する逸話は、
下記のnoteからも知ることができます。

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hiranotomoki
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