デザイナーのパラダイムシフト
※ここでのデザイナーとは、主に、グラフィックデザインやUIデザインを扱うデザイナーのことである。
そして、Design with AIの時代へ
近年、高性能のパソコンとデザインアプリケーションが安価で手に入ることで、誰でもデザイナーを始めることが可能となった。また、AppleやGoogleが提供するデザインのコンポーネントとデザインのガイドラインは、成果物の品質保証を底上げし、美的センス(審美眼)の必要性を下げた。さらに、人工知能の発達は、熟練デザイナーのブラックボックスだった職人的技術を解放しはじめている。
コンピューターが投入される前に必要だったデザイナーの技術は、例えば、1mmの間に何本のまっすぐの線を引けるかといった技術である。しかし、コンピューターが現場に導入されるとその技術の希少性は消え、いまや、0.25mmのまっすぐな線を引くことに、特別な訓練は必要ない。これと似たような現象が、人工知能の現場投入によって起こると、僕は予想している。
余談だが、永原 康史先生(多摩美術大学 教授)が執筆した、コンピューター時代に必要なデザイナーのスキルを書いた『デザイン・ウィズ・コンピュータ』は、非常に面白いので興味がある人は手に取ってもらいたい。そして、これからの時代、まさに『Design with AI(Artificial Intelligence)』が到来するのである。それらは先日のAdobe MAXでの発表からも見てとれる。
美しい文字組、心地の良い間、そのような実践的感覚がなければなし得なかった表現が、人工知能のサポートによって誰でも可能になるだろう。ましてやパターン制作は人工知能に軍配があがる。人間の神経細胞の伝達速度は約時速100〜400kmなので、スペックとして、話にならない。どんなに頑張っても人間の作業スピードは、人工知能には及ばないのである。
そして、ますます成果物の適正は、効果測定によって数字で計測される。コンバージョンが多かった成果物が採用され、最適化されていく。人工知能が現場に本格投入され、多くの成果物利用のデータが手に入る度に、デザイナーから、成果物の裁量権の項目がひとつずつ消えていくのである。そういう時代が目の前までに迫ってきている。これは、従来の表現発想型のデザイナー(いわゆる美大出身デザイナー)にとって、脅威である。
デザイナーの減少
経済産業省の『特定サービス産業実態調査』によると、2007年に17,153人だった日本のデザイナーは2013年には36,220人となりピークを迎え、翌年の2014年には 32,860人と減少し、2015年には30,649人となっている。
※ 2018.04.02追記 上記の数にインハウスデザイナーは含まれていないです。
http://www.meti.go.jp/policy/mono_info_service/mono/human-design/toukei.html
これは1940年代後半生まれの団塊世代のデザイナーが定年を迎え引退したことが原因と推察されるが、僕は「経済活動」に限定されたデザインの仕事量が飽和したからではないかと考えている。
これに対して、オランダのLEFやデンマークのMINDLABOのように社会的課題に対するデザインの有用性に気づき、取り組む機関が現れている。最近では、ニューヨークのNYC(the Service Design Studio at the NYC Mayor’s Office for Economic Opportunity)がそれである。ちなみに、NYCはたった4人の従業員で300,000人以上のニューヨーカーを支援する。その4人の内訳は、デザイナー×2人、哲学者×1名、インターン生×1名となっている。
哲学者の必要性
社会制度なども人工知能やビックデータによって最適解で決めれば良いという意見があるかもしれない。しかしそこには、単純に統計として決めにくい、哲学的な問題が生じる。それは「功利主義」の問題である。功利主義とは、超簡単にいうと「“自分の目の前で”1人殺して、5人が助かるなら、それで良いのか?」ということである。映画『ダークナイト』でバットマンがジョーカーをさっさと殺せば、大勢の人が被害に合わなかったが、本当にバットマンはそれで良いのか?そういった哲学的な問題である。ここに道徳や倫理といった話がでてくる。少なくとも人工知能とビックデータへ、そのような問題への回答を求める世界はSFだけにとどめたい。だからこそ、社会活動に向けたデザインチームには哲学者が必要なのだ。※ちなみに、僕が現在所属しているデンマークのDesign school Koldignでは「Design and ethics」といった授業がある。
※12月10日追記:↑上記の文節で、何人の方から「哲学」と「倫理」の問題は分けて考えたほうが良いとのご指摘を受けてました。この文章の本筋の話とは違うとはいえ、考えが浅かったことを反省しました。また京大の佐藤さん、批評していただき、勉強になりました。ありがとうございます。
経済活動から社会活動まで
このような取り組みが示唆するように「経済活動」だけではなく「社会活動」までにもデザインの対象が広がり始め、また求められている。利益追求といった分かりやすい数字の世界の中で、デザイナーがビックデータや人工知能と勝負する時、もしかしたらデザイナーは、ビックデータと人工知能のオペレーターへと変容してしまうのかもしれない。
もちろん、そうならないための準備や方法はいくつもある。そのひとつが、デザイナーが「エンジニアリング」「ビジネス」「データサイエンス」の領域に足をかけ、越境することだ。この文章では、それ以外の方法を考察してみたい。きっとそこには、デザイナーの新しい選択肢があるからだ。
補足
誤解のないように補足すると、僕は、既存のデザイン領域がダメだとか、ないがしろにして良いとか、そういったことを述べたいのではありません。そもそも、グラフィックやUIに関するデザインのお仕事は、自分の会社経営を支える大きな割合を占めていますので、むしろ、お仕事お待ちしております!って感じです。僕がデザイン研究をしている最大の理由は「表現をバックグラウンドにもつデザイナー(いわゆる美大出身のデザイナー)の可能性を広げていきたい!」たったそれだけの願いなのです。そして、お金を稼ぐためには、経済を回すデザインの重要性も十分知っていますし、そもそもクライアントと一緒に仕事をすることを通して、社会還元されることも分かっています。
デザイナーの新たな専門性
デザイナーの新たな専門性とはどういったものなのか。その糸口は近年増加傾向にある協力・共同作業を前提にした施設(場)にあると考える。例えば、大阪の「ナレッジキャピタル」、千葉の「KOIL」、神奈川の「RICOH Future House」である。これらの施設は、企業・行政・大学などの組織が相互協力しながら、それぞれが持つ技術やアイデアを組み合わせ革新的な価値創出によって問題解決を試みる「場」である。
ここにひとつの仮説が浮かび上がる。それは、価値創出の精度や品質は「場」の状況依存になるのではないか?ということだ。ここに私はデザイナーの新たな専門性を期待している。※ここでの場とは、空間だけでなく、人々が集うこと、また人と人の関係性まで幅広い意味で取り扱う。
デザインをはじめる状況を共に創りだすこと
ドナルド・ショーンは、デザインの価値は「素晴らしい」成果物にあるのではなく、社会で実践する人々が自分自身でデザインをはじめる状況(デザインプロセス)を共に創りだすことにあると主張する。
”「デザインの合理性による過程」とは、(その規範を唱えることではなく)その環境の中で複数の行為者が、実践しながら共同してデザインしていくコミュニケーション過程のこと。
これ、つまり「専門家の実践を、デザイン過程(デザインの合理性による過程)としての実践として認識すること(技術的合理性ではなく)」を「デザイン合理性 Design rationality」と呼んだのだ。”
(Donald A. Schon, 2001)
また、IDEOのティム・ブラウンは、参加型デザインは経済全体における大きなテーマとなる。とまで述べている(Tim Brown, 2009)
https://www.ted.com/talks/tim_brown_urges_designers_to_think_big?utm_campaign=tedspread--a&utm_medium=referral&utm_source=tedcomshare
みんながデザイナーになる時代の到来
“急速に深く変わっていく世界では、私たちは、全員デザイナーです”(Manzini, 2015)
イタリアでサービスデザインを切り開いたエツィオ・マンツィーニ氏が述べるように、社会で生きる生活者みんなが、デザイナーになる時代がやってきている。目の前の社会的課題に取り組む人々全員をデザイナーと呼ぼうということだ。それは、経済活動でデザイナーがオペレーターに変容していくことへの揺り戻しなのかもしれない。
このような動きは、少なくともデンマークでは始まっている。デザイナーは、生活者を強化するために、彼らがすぐに手に取れ、扱いやすいデザイン・シンキングのためのツールキットの制作や導入のためのキャンペーン、導入の手引などを行っている。また、組織間の意思疎通のための共有ツールキットなどもつくっている。もはやデザイン・シンキングはビジネスシーンの枠を飛び越え、生活世界のところまで届き始めている。
デザインキットの例
写真:Sustainable Design Cards(Design School Kolding)
写真:NYC Civic Service Design Tools + Tactics
(NYC: the Service Design Studio at the NYC Mayor’s Office for Economic Opportunity)
グラフィックデザインの新たな市場
大変興味深いことに、ここにグラフィックデザイナーのスキルが違うかたちとなって、立ち現れている(represent)。なぜなら、そこに、ペーパープロダクト(または、デザインゲーム)の需要があるからだ。誰にでも扱える道具の正体は、コンピューターでも、スマートフォンのアプリでもなく、「工作物(craft)」だったのだ。そして、利用しやすいことは必須だが、美しいこと(esthetic)が非常に大事な要素となる。“美しさ”は多くの人々の興味・関心を惹きつけることができる。「これは便利なんです!」だけでは人は手に取らない。ここに表現発想系の強みがある。
デザインの舞台を経済から社会に移すことで、グラフィックデザインの本質的価値が、舞い戻ってくる。社会を相手にデザインする時、その生活者を強化する道具(工作物)をつくることが、グラフィックデザイナーの責務となるのだ。こういった取り組みを扱うデザイナーは、グラフィックデザイナーの新しいキャリアの選択肢のひとつとなることが予想される。その時は、しかるべき名前がそのデザインの職業名となるであろう。
もちろん、そこにはその道具を扱うためのワークショップが紐づくので、ファシリテーションとワークショップ設計の能力も必要となる。つまり、本当に優れたワークショップは、そのワークショップで扱う道具まで美しいはずだ。
日本では、このような兆候が、グラフィックレコードというかたちで立ち現れはじめていると、僕は考えている。だからこそ、グラフィックレコードは、議論を1〜10まで書きうつすといったパフォーマンス(演出)や情報過多で扱いずらいシート(道具)で終わってはいけないのである。そこには、グラフィックデザインのアプローチ“も”必要なのである。
おわりに
業態・職務の壁を超えて相互協力し、生活者自身がデザインをはじめる状況をつくること、そして、彼らを強化(empower)させていくための環境や道具を用意することこそ、新たなるデザイナーが担うべき創造的な仕事であり、専門性となるに違いない。それは、教育や組織開発といった既存領域との接近を意味することになる。ビジネスとデザインが出会ったように、次の出会いが待っているのだ。
リファレンス
・『60点以下の仕事はなくなる。深津貴之&drikinが語る「デザイナーの新しい働き方」』
・『デザイン・ウィズ・コンピュータ』
・『専門家の知恵』
・『Tim Brown: Designers -- think big!』
・『Design, When Everybody Designs: An Introduction to Design for Social Innovation (Design Thinking, Design Theory)』
・『特定サービス産業実態調査』
・Design School Koldingでの学び
・須永剛司先生との学び