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第八章 真 相

『マチネの終わりに』タイアップCD発売(2016年10月19日)を記念して、各シーンを振り返りつつ、登場する収録曲をご紹介していきます。
今回は、蒔野と武知のツアーでのワンシーンです。復帰後の不安を心に抱きながらも演奏をした蒔野は、改めて自分は危機を乗り切ったのだと感じます。

リンク先(テキストの下線部分もしくは記事最後の紹介リンク)をクリックすると視聴が可能です。今回は、蒔野の「デビュー二十周年記念」コンサートの最終日、サントリーホールでの演奏の場面とその収録曲をご紹介します。

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第八章 真 相
(単行本 P.342)

 蒔野は、舞台に上がる前には、三十分ほど必ず一人にしてもらった。
 彼は、以前とは比較にならないくらい楽屋で緊張するようになっていたが、その畏れの感情を、今は努めて粗略に扱わないようにしていた。
 観客が持ち寄ることを許されているのは、それぞれに座席一つ分のささやかな静寂だった。咳一つでさえ簡単に破れてしまうようなそれを、皆が互いに繕い合いながら、どうにか始めから終いまで保っている。そして、彼らのその積極的な音の放棄は、二人の演奏者に、宛ら使い道を委ねられていた。
 蒔野は、自分の音楽を待っていてくれた人々の存在に感動していた。復帰後は、まだ一度もリサイタルを行っておらず、コンサートでも決してソロでは演奏しなかったが、あとは、きっかけ次第のような気もしていた。そうした心境の変化には、武知の実直な演奏家としての姿勢も少なからず与っていた。
 公演のプログラムは、ジュリアン・ブリームとジョン・ウィリアムスの編曲によるドビュッシーの《月の光》や、ブローウェルの《トリプティコ》、ピアソラの《タンゴ組曲》など、ギターファンにも馴染“みのある曲から、《この素晴らしき世界》にも収録したトッド・ラングレンの《ア・ドリーム・ゴウズ・オン・フォーエヴァー》のようなポップスまで幅広い内容で、最終日には殊に、蒔野の編曲によるモーツァルトの弦楽四重奏第十七番《狩》の第四楽章に最も手応えを感じた。
 ギター・デュオではなかなか演奏されない珍しい選曲で、蒔野はその展開部の精緻な対位法を気に入っていたが、効果的に再現するのには骨を折った。武知もしばしば途方に暮れて首を傾げていたが、公演の度に少しずつ楽譜にも手を入れて、最終日には、決定稿と言えるものがどうにか間に合った。
 最後の曲として演奏すると、会場からは大きな拍手が起こった。長い沈黙の後、再びギターを手にするようになって十カ月ほどが過ぎていた。蒔野はようやく、自分はあの危機を凌ぎきったのだという自信を抱いた。終演後のサイン会では、「良い表情だった」と、申し合わせたように何人かから声を掛けられた。それもあまり記憶にない、珍しいことだった。
 会場をあとにすると、磐梯熱海のホテルに移動して、この日のためにわざわざ東京から駆けつけたスタッフらを交えて、日付の変わる頃までツアーの打ち上げをした。
 身重の早苗は、先に部屋に戻った。蒔野はそれから、グローブの野田らと、ホテルのバーで一時間ほど仕事の話をして、深夜二時までだという館内の温泉に慌てて浸かりに行った。
 広い大浴場には、他に一人しか客がいなかった。谷間の温泉町で、風呂は鬱蒼と木々が生い茂る山の斜面を向いている。蒔野は、露天風呂で少し長湯をして、その静寂に浸った。穏やかに酔いが回っていたお陰で、その間、何も考えずに済んだ。

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★「第八章:真相」で紹介された曲の視聴
09.タンゴ組曲 より II.アンダンテ (ピアソラ)
https://mz-edge.stream.co.jp/v/gjyizv18

10.タンゴ組曲 より III.アレグロ (ピアソラ)
https://mz-edge.stream.co.jp/v/hz92s07y

★タイアップCDの先行予約はこちらから(2016/10/19発売予定)
https://storeshirano.stores.jp/

特典:新聞連載の挿絵を描いてくださった石井正信氏による「しおり」。毎日新聞での挿絵は、単行本に生かされませんでしたが、CDのブックレットにはふんだんに盛り込まれています。平野と福田氏の対談もぜひご覧ください。

★『マチネの終わりに』単行本ご購入はこちらからhttps://www.amazon.co.jp/dp/4620108197

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