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「きょうだい」の許可

先日、室内でも車椅子を使っている、お客様の家を訪問した。
キッチンのリフォームをしたいということだった。

室内は、モノが散乱していた。
車椅子で、手の届く範囲にモノを置いて生活している結果、
そのお客様の生活としては、それがベストな状況なんだろうと察した。

訪問介護のファイルが棚に置いてあったので、
介護職の方が訪問されていることは分かった。

(この仕事をしていると、お客様に直接聞けないことも多くあり
室内に置かれている様々なモノから
その人の生活を察知するクセがついている。)

近くに住む身内はいらっしゃるのだろうか?
親しい人はいらっしゃるのだろうか?
リフォーム前の片づけは誰が手伝ってくれるのだろう?と思い
どなたかに、片付けの相談をしてほしいと伝えておいた。

数日後、お客様から連絡があり、
「お姉さんに相談したところ、キッチン交換は不要と言われましたので
今回は見送ります。」とのことだった。

車椅子対応のキッチンに交換すれば、
自分でできることも増え、QOLの向上は間違いないのに、
お姉さんは、何故、反対したのだろうか?

不動産賃貸収益で、
私の年収よりも遥かに高い安定した不労所得があるのは明らかで
いわゆる富裕層で、お金に苦労しているとは全く思えない。

室内を見る限り、お姉さんが妹の生活を支援しているとも思えない。

もし、頼りになるのはお姉さんだけで、
お姉さんの意見には、絶対服従の関係だったとしたら、と仮定したら
とても悲しくなった。

親がいなくなっても、
お互いを支え合える関係の「きょうだい」でいることは、
私が思っているより複雑で難しいのかも知れない。
結婚したり、お金持ちならではの悩みがあったり。

「親亡きあと」問題は、「きょうだい」抜きには語れないよな。


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