豊かな感情を持つ見世物
鬼才デヴィッド・リンチ監督の出世作『エレファントマン』が
映画上映40周年で4Kにリマスタされ公開されていたので観に行った。
上流階級やひと角の人の持つ、無意識の残酷な善意と、
外見で差別される過酷な人生の中で、「普通」に憧れる感情豊かな主人公が
印象的だった。
インクルーシブな社会を考える上で、観ておきたい映画だと思った。
映画を見終わった後に、ふと、20年ほど前の出来事を思い出した。
バンコクの大使館にお勤めのご両親に会いに行く友人について行き
初めてタイに行った。
物価の安いバンコクでの楽しいショッピング、グルメ
チューツマ(駐在員妻)御用達のお店でのお洋服のおあつらえと
楽しい旅だった。
まだタイが発展途上だった時代だ。
子供を抱きながら道で物乞いするお母さんなども、
バンコクでたくさん目にしたのを覚えている。
それは、あたかも街の一部に溶け込んでいた。
そして、週末だけ開催されている郊外の大きな地元庶民のマーケットに
安いアクセサリーを買いに行くことになった。
マーケットに着くと集合場所と集合時間が友人から告げられ、
時間になるまで、自由にショッピングを楽しむはずだった。
いくつもあるマーケットの土の通路のひとつに
小学校高学年くらいの肢体不自由の子供がうつ伏せで放置されていた。
頭の20cmほど先には水溜り、顔の近くにはコインを入れるカンが置かれていた。
放置したのは、多分、その子の親だろう。きっと、生活のためだ。
私は、何も出来なかった。
自己満足の残酷な善意で、カンの中にコインを入れることは出来なかった。
障害者の尊厳と、生きていくための厳しい現実を目の当たりにした。
あの光景は、生涯忘れないだろう。
障害のある人は、感情がないのではない。
感情を表現する方法が限られてしまっているから
周りに伝わりにくいだけであって
繊細で細やかな豊かな感情が宿っている。
それを受け取れない、こちら側にこそ問題があるのだ。
生活のために路上で過酷な人生を送っていた、あの子は
今、どうしているのだろうか。