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人種差別 うつむくことしかできなかった私が今 思うこと

今アメリカで、人種差別に抗議するデモが起っています。

理不尽な差別を目の当たりにすると、抗議などできず、うつむくことしかできないこともあります。

そして、うつむいていた人が、場所変わって、差別する側にいることもあります。

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私は過去CAとして今から約20年前から約18年の間、数多くの外国都市を訪れました。その中で、未だに思い出すのが辛い光景を何度も目にしました。それは、現地を訪れた日本人観光客やビジネスマンたちが、現地の一部の外国人から見下されたような対応をされている光景です。(自分の気付かないところで、私も差別をされていたのだと思います。)

外国に対する憧れもあり、日本人としての誇りも持っていた私は、私たち日本人が人として尊重されていないかのような光景を見るのは、とても心が苦しかったです。


でも今、同じ光景を日本で見ています。

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20年前、言葉なくうつむくことしかできなかった日本人が、今日本にいる外国人です。

あの時、相手の存在をありのまま受け入れ尊重することをせず、自分たちと異なる言語を話し、異なる振る舞いをすることを理由として、人を見下していた外国人が、今の一部の日本人です。

例えば、「〇〇人のビジネスはマナーが悪い。〇〇人は良くない。」

「〇〇人のお客さまは列に並ばないし、声が大きいし、ワガママ。」

「〇〇人は公共の場で、周囲のことを考えない行動をするから好きになれない。」

長年、外国人と共に働いて来た私も、実際このように考えて働いていました。『マナーが良く品のある私たち日本人と比べて』という感情が、いちいちつきまとっていました。〇〇人を下に見るような感情がありました。


グローバル人財基盤形成教育では、時に、自分自身の中にある差別的感情に向き合わざるを得ない瞬間があります。しかし、現時点の自分自身や組織の状態を正しく認識することが大切なので、これは必要な手順です。

しかし、

人として優位に立てる文化や言語が存在するのでしょうか?

人として優位に立てる容姿や瞳の色があるのでしょうか?

人を見下すことが許される人など、いるのでしょうか?

異なるマナーに優劣をつけることが、できるのでしょうか?


どの国の、どの地域で生まれ育っても、同じ「人」です。

母親に命を懸けて産んでもらい、怖い思いや痛い思いをしないよう気を付け、自分や家族の幸せを追求して生きている、同じ「人」です。

いかなる理由があろうと、人が人を見下すことなど、あってはいけないのです。

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一方、心温かい多くの外国人からは、日本人は歓迎され、親身に助けられてきたのも事実です。

そのような外国人たちの温かさに触れ、日本人の感性やコミュニケーションは成長してきたと感じます。

例えば、約150年前、ヨーロッパへ留学した渋沢栄一さんを受け入れ、多くを教えてくれた現地の人々の存在があったからこそ、今の日本があるのです。 日本という国、日本企業、日本の人々は多くの国々、様々な海外の人々のおかげで、多くのことに気付くことができたのです。それが今の日本に繋がっているのです。

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国民の心の豊かさやコミュニケーション能力の成長に、速い遅いも、優劣もありません。

その国や、その人に合った成長があります。

そして、その成長の陰には他国の存在があるのです。

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ですから私は、海外で日本人を温かく受け入れている外国人に対して、日本にいる外国人に対して、感謝したいと思います。

彼らがいるから、日本の成長があるのだと思います。

そして、愛に溢れる地球が実現するために、自分にできることを継続したいと思います。

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