第3号 Momme SMILEおおつ 吉村和代さん
取材日時 令和5年6月30日(金)16:40~
取材者 滋賀短期大学ビジネスコミュニケーション学科2回生
谷垣陽菜 堀池萌巴
はじめに
今回、わたしたちがお話を伺ったのは、大津市で「 Momme SMILEおおつ」を主宰されている吉村和代さんです。吉村さんは、2022年10月1日(土)に平野市民センターで「ファミリーで楽しむ玉ねぎ染め」というイベントを開催されました。このイベントには、5組10名の親子が参加され、イベントスタッフ16名とともに、玉ねぎ染めを楽しんだそうです。スタッフの中には、わたしたちの先輩も4名参加していました。そして2023年に行われるわたしたちが通っている滋賀短期大学の学園祭でも、吉村さんにご指導いただき、玉ねぎ染めいベントを実施する予定になっています。わたしたちは、先輩たちから吉村さんのことを教えていただき、吉村さんがどんな方で、どんな活動をされているのか、詳しく知りたくなりました。
1.学生時代から保育園への就職まで
吉村さんは、日本が超高齢社会を迎えていて、高齢者介護が注目されていたこともあり、四年制大学の社会福祉学科で学んだそうです。入学当初は学んだことを活かして、介護職に就くことを考えておられました。大学に入学してから間もなく、先輩から児童館でボランティアをしないかという誘いを受けました。吉村さんにとって初めての経験でしたが、実際に行ってみると、とても楽しいものだったそうです。子どもたちは、これから未来を作っていく存在であり、そんな子どもたちの最初の一歩に関われることに大きな喜びを感じられたのだそうです。そして、吉村さんは、「ひょっとしたら自分はそういう方向に進みたいのではないか」と気づいたそうです。そして大学卒業後に保育士の資格を取るために、保育の専門学校に入学しました。保育士の資格を取り、兵庫県の保育園に就職されました。そこはモンテッソーリを取り入れた保育園だったそうです。保育士の実習に行った際、吉村さんは、保育士が子どもたちにガミガミ怒っている様子を目にしました。しかし、その保育園では、先生がとても楽しそうに働いていて、アットホームな雰囲気が感じられたそうです。「なんてすばらしい保育園なんだろう」と感動したそうです。保育士はその後8年間務められました。
2.結婚・出産
結婚を機に大津市に引っ越すことになり、やむなく保育園を退職されました。大津市でも保育士として働くことも考えたそうですが、これまで勤めていた保育園の印象が強すぎて、他の園で働く自信が持てず、保育の道は断念することになりました。ただ、せっかくこれまで培った保育士としてのスキルをなんとか活かしたい考えていました。
そんな折、吉村さんは妊娠され、切迫早産になりました。出産予定の2か月半前から病院で過ごすことになったそうです。子どもを出産することのあまりの大変さに、当初思い描いていた未来との違いの大きさを痛感したそうです。滋賀に来たものの、頼れる人はご主人一人、楽しいはずのマタニティライフもつらい思い出になってしまったと感じられていたそうです。気が付けば、誰も頼る人がいないという状況だったそうです。「これからどうやって生きていけばよいの?」と不安になりひとり急に孤独感に襲われたそうです。
これはまずいなと思いつつ、子どもが生まれてから1年間は、何も考えることができず、怒涛の如く時間が過ぎていきました。悩んでばかりの子育てだったそうですが、子どもが1歳を過ぎたとき、ふと思ったそうです。「保育士としての知識や、1年間の子育ての経験を、他の人に話すことはできるし、他の人とつながれば、自分が役に立つこともできる」これが現在の活動をするようになったきっかけだそうです。
3.転機になった出来事
今から4年ほど前、吉村さんが住む隣のマンションで、子育て中の母親が自ら命を絶つという出来事があったそうです。吉村さんにとってとても衝撃的な出来事でした。すぐ近くに住んでいながら、そのお母さんの役に立てなかったことに、とても後悔したそうです。そのことをきっかけに、もっと自分がやっていることを広く知ってもらい、多くの人とつながりたいと思うようになったそうです。
4.つながるための新たなチャレンジ
吉村さんは、近所での出来事をきっかけに、新たなことに次々に挑戦することになります。
はじめに挑戦したのは、 FUJIフィルムのアルバム大使になることです。きっかけは、ご自身の結婚式のとき、生い立ちムービーをつくることになって自身の幼いころの写真を探しましたが、なかなか見つけることができなかったことです。この出来事により、自分の子どもの写真はしっかりと残しておきたいと考えたそうです。アルバム大使では、デジタルではなく、敢えて紙にプリントして綺麗にアルバムにまとめるというものです。作業に没頭することで、主婦のリフレッシュにもなるという効果もあるそうです。吉村さんは、FUJIフィルムのマスター大使の指導を受け、現在は、ご自分でも講習会を開いておられます。毎回、2~3人の主婦の方が参加されるそうです。
写真の次は、お子さんの手形を残したくなったそうです。山崎さちえさんがやられているペタペタアート®の講師養成講座に参加されました。こちらは趣味の範囲で取り組んでいるそうです。同養成講座を修了すると「ペタペタアートアドバイザー®」と呼ばれるようになるそうです。
次に挑戦したのは、鞄につけるアンデコールロゼットの作り方をマスターすることです。これは、講習を受けることで、自分も教えられる人になるという仕組みだそうです。吉村さんは、アンデコールロゼット認定講師になられました。
最近、取られた資格がキットパスと呼ばれるものだ。米ぬかでできたクレパスのようなものだそうです。キットパスは、普通に絵も描けるし、水に溶かしてインクとして使うこともできます。先程の手形を取ることにも使えるわけです。キットパスは、日本理科学工業という会社がつくっています。同社は、障害者雇用に力を入れている会社で、先日放送された24時間テレビでも、同社をめぐる物語がドラマ化されました。吉村さんは、キットパスインストラクターとしても活躍され、講習会を開いたり、キットパスを使ったイベントを開いたりされています。
5.赤阪純子さんとの出会い 大津つながりプロジェクトでの活動
瀬田のスーパー「フォレオ」で女性起業家を応援するイベントが行われ、吉村さんも来場しました。イベントが終わって、バスに乗って帰ろうとしているときに、電話がかかってきました。友人から「会わせたい人がいる」という内容でした。すでに瀬田駅についていましたが、もう一度バスに乗ってフォレオに戻りました。その時に赤阪純子さんにであったそうです。赤阪さんから、一緒にイベントをやらないかと誘われました。当時赤坂さんは、甲賀市で活動していたので、そのときすぐに参加することはきめられなかったそうです。
コロナ禍に入る前頃に、仲間内で大津をもっと活性化させたいという話題が出たそうです。「これからの大津を考えませんか」という会に参加して、ディスカッションを重ねました。このイベントは赤阪さんが主催していて、ママがたくさん参加していました。赤阪さんは、2020年9月にブランチ大津京の支配人に会い、11月22日ならイベントを開催できると話をしてきたそうです。赤阪さんは一人で準備をはじめそれを受け、吉村さんも手伝うことになりました。たった2か月前に、ブランチ大津京を貸し切ることになったわけです。吉村さんは、慣れないパソコンを使って、参加申込のフォームをつくったり、インスタグラムやfacebookのアカウントをつくったりしました。2か月が怒涛の如く過ぎ、何とか成功することができました。2021年5月のゴールデンウィークに2回目が行われました。その時は、3人の運営メンバーの子どもたちを呼んで、オーガニッククッキーを作り、販売したそうです。幼稚園児から中学生まで、幅広い年代の子どもたちは、回数を重ねるうちに親しくなりました。その後運営メンバーが増えていき、3回目は5人の運営メンバーで活動しました。マルシェの出店は、30店舗以上になり、マンネリ化しないように目玉になる企画を毎回考えて実施したそうです。次回は、2023年11月23日に実施予定です。次回は、吉村さんは、運営メンバーとしては参加しないとのことでした。
6.現在とこれからの活動
吉村さんは現在、Momme SMILEおおつという屋号で活動しています。Mommeとは、「お母さんが、自分のために」という意味を込めて、mommy ではなくMommeにしているそうです。SMILEは、人とつながって安心したり、ほっとする時間をもったりすることで、笑顔になって欲しいという願いが込められています。Momme SMILE おおつとして、玉ねぎ染めの活動などもされています。
また、吉村さんは、まちづくり協議会の中の事務局の中でプロジェクトチームを立ち上げ、平野まちづくり計画の改定を考えているそうです。5年10年後を考えて、若い世代でまちの未来を考えていくことが大切と考えておられます。もちろん、今までも地域住民により、積極的に取り組まれてきたが、見る人が限られていたという課題もあったといいます。子どもたちのために、平野学区をどうしていくかをママたちと考えたいといいます。「Link.HIRANO」という名前で、ひとりひとり繋がっていけば、きっと大きなことができるというコンセプトで活動していきたいと仰っています。月1,2回でミーティングを行うそうです。メンバーには、パレットでパティシエとして働くママ、自立応援パンツというグッズを作っているママがいらっしゃるそうで、皆子供が同じ幼稚園出身というご縁とのことです。
7.吉村さんの人生観、家族のこと
吉村さんは30代まで、ネガティブ志向だったそうです。40代に入って、ある女性に知り合った。その人はとてもいい生き方をしていたそうです。なんでそんなに毎日輝いているのかを聞くと、その人は、「まず自分が楽しめることを一番大切にしていた」そうです。いやいや仕事をしても楽しくない。吉村さんも、すぐに諦めるのではなく、自分がどうしたら楽しめるかを考えるようにしたといいます。そして「自分はとても頑張っている」と自分をほめることが大事だといいます。定期的に、自分に良いものを与えると、人生が楽しくなるといいます。吉村さんのご褒美は、色々な店で珈琲を飲むことだそうです。
家族の応援も欠かせない。娘さんは小さいころから吉村さんに同行したこともあり、よく理解して応援してくれているそうです。ご主人も応援してくれているそうです。あるがままfes®で、吉村さんのやることが多くなりすぎて心の余裕がなくなったとき、一旦やめてみたら?と提言してくれたのもご主人でした。その後、玉ねぎ染めに力を入れ始めたころから、特に応援してくれているとのことです。吉村さんは、家族への感謝の気持ちをいつも大切にしているそうです。
さいごに 取材後記
吉村さんのお話をお伺いして、1番印象に残ったのは吉村さんが住む隣のマンションで子育て中の母親が亡くなった事がきっかけとなり、自分が行っている活動をより広く知っていただくための原動力になったというお話です。何故なにもしてあげられなかったんだろうなどという思いがあるということをお聞きし、私自身はまず全く関わりのない人に対してこういう感情をもつことは凄いことだと感動しました。そして、吉村さんはひとつの資格取得から裾野を広げられたことお聞きし、そのスピード感や種類の多さに圧倒されました。また、吉村さんには行動力がすごくあって、とりあえず挑戦してみようという気持ち素晴らしいと思いました。私も吉村さんのように何事にも前向きに物事に取り組める姿勢を身につけたいと思いました。 どんな状況でも楽しむことができるようにポジティブに捉え、自分が頑張っていることを褒めたり認めたりしたいと思いました。吉村さんがご褒美をコーヒーを楽しまれているように、私自身も頑張ったときには何かご褒美をあげたいと思います。
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