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第4号 「人生は自分で決める!!モンテッソーリの教え」久保美幸さん(Link HIRANO)

取材日時 令和6年6月18日(火)
取材者  滋賀短期大学ビジネスコミュニケーション学科2回生
曽我 望愛 深田 澪音

1.はじめに

 今回、お話を伺ったのは、「Link HIRANO(りんく ひらの)」のメンバーとして、平野学区のまちづくりに取り組んでいる久保美幸さんです。
 久保さんの現在のご活動の内容と、そこに至るまでの人生の道のりについてお話を伺いました。

2.生い立ち

 久保さんは、生まれも育ちも滋賀県大津市、びわ湖まで徒歩10分の所に住んでいらっしゃいます。現在は、3人のお子さんを育ってている真っ只中です。
 コロナ禍によって失われてしまった、子育て世代の横のつながりを復活したいという思いで、まちを盛り上げるためのご活動されているそうです。

現在の活動内容を伺う前に、久保さんのこれまでの経緯を教えていただきました。

 久保さんは、三人兄弟の長女として生まれました。
 父親は自営業として歯科技工士をしていました。母親はそのサポートをしていたそうです。父親が納品の配達をするときも、家族全員で車に乗って一緒に行っていました。幼少期から学生時代までずっと、父親が働く姿を間近で見ていたそうです。

 大津高校の家庭科に通っていたころ、将来自分のしたい職業を考えることができなかったといいます。
 仕方なく、進路を消去法で考え、高校を卒業後に就職することは選択肢から除外しました。四年制大学で学ぶこともイメージできなかったそうです。
 試験を受けるために受験勉強することも気が進まず、結局、書類選考だけで合格できる梅花短期大学製菓コースに進学することにしました。そこでは、先生がお手本を見せて、レシピは自分で書くという、何一つ聞き漏らすことができないという大変厳しい教育でした。消去法で進路を決めた久保さんにとっては辛いことばかりだったといいます。

 大学時代、久保さんはスポーツ部に入ったそうです。スポーツ部といっても、特定のスポーツをするというものではなく、様々なスポーツをしたそうです。時には、他大学の学生と一緒に万博公園で鬼ごっこをして身体を動かすというものだったそうです。久保さんは、その時のことを振り返り、人と関わることが好きだったから楽しかったのだと思うと仰っていました。

 結局、久保さんは、入学後半年で、私はここにいるべきではないと気付いたといいます。親に申し訳ないと思いつつも、卒業してもパティシエになるつもりもないという結論に至ったそうです。 両親は、大変な苦労をして久保さんを育ててくれたと言います。父親の収入には波があり、時にはご飯にマヨネーズをかけただけのご飯の時もあったそうです。母親に中退したいと告げたとき、せめて卒業してくれと泣かれたといいます。それでも久保さんの決意は変わりませんでした。

3.アルバイト生活のはじまり

 短大を中退した久保さんは、高校生の時にアルバイトしていたコンビニのオーナーに事情を説明して、働かせてもらうことになりました。アルバイトでお金を貯めて、20歳の時に学費をすべて親に返すことができたそうです。 
 久保さんは内心、フリーターになったことがとても苦しかったといいます。高校でも短大でも進路を決められなかったことも心に引っかかっていました。

 あるとき鐘紡で中途採用していることを母親から聞き、契約社員として入社しました。美容部員かっこいいというのが最初の印象でした。しかし、ノルマをこなすために、客が必要ないものを押し付けるのが嫌で、結局1年で辞めてしまったそうです。

 そして、また戻ったのが、バイト先のコンビニでした。オーナーに頼んだところ、ちょうど人手が足りなかったということで、働かせてもらえることになりました。21歳の時でした。
 そんなとき、オーナーから正社員になることを勧められました。久保さんは、コンビニの正社員になることに違和感を持っていて、半年ほど決められなかったそうです。
 その間は、アルバイト勤務で、12連勤したり、朝9時から夜10時まで働いたりと、ハードな生活だったといいます。しかし、ハードな反面、同世代の人と、楽しく働くことができたそうです。

 馴染のお客さんが何を買いに来るかが分かるほどになっていて、お店の強力な戦力になっていました。

4.コンビニの正社員へ

 品出し、発注、お金の締め、両替、ポップづくりなど、すべてを久保さんたちアルバイトが担当していました。アルバイト社員同士仲が良く、よく一緒に遊びに行ったそうです。コンビニの仕事は、やってみるととても楽しい仕事だと感じはじめていました。仕事の段取りや時間の使い方など、とても頭を使う仕事であることが分かったといいます。

 結果、久保さんはコンビニの正社員になることを決意しました。その翌年、2店舗目のコンビニを出店することになり、久保さんが新店に行くことになりました。
 新店をはじめるには、社員が東京で座学研修を受け、研修後の試験を受けることが条件になっていました。さらに新店と似た立地の店舗で1週間実地研修を受ける必要がありました。日勤、夜勤、すべての業務を担当し、本部の社員の審査を受けるというものです。ポップの作成、顧客への試食の提供など、様々な業務を担当し、審査を受けました。
 もともとおしゃべりが好きだったこともあり、担当した商品が品切れになるほどよく売れたそうです。店舗の人から「どうやって売ったんですか」と驚かれるほどでした。久保さん自身が、自分は接客が好きだったんだと再認識できた出来事だったといいます。

 無事に東京本部の最終試験に合格して、名札の写真を撮ったときに久保さんは驚きました。その時はじめて、久保さんの役職が店長だと知ったのです。久保さんは、慌ててオーナーに電話して確認すると、大笑いされたそうです。
 当初から、新店の店長になるために研修を受けていたのでした。

5.新店舗のはじまり

 研修が終わり、わずか2週間後に新店がオープンすることになっていました。久保さんが、アルバイトの採用もしなくてはならず、100人ほどの応募者と面接をしたそうです。採用後の研修、ビラ巻きなど大忙しでした。

 オープンの2日前、大事件が起こりました。チラシを印刷する必要があったそうですが、自店のコピー機がまだ使えず、本部スタッフが向かいにあったライバル店でコピーをしました。その際、割引チラシの原稿をコピー機に置いてきてしまい、ライバル店から怒鳴り込まれる事態になってしまったそうです。開始早々にトラブルが起きてしまい、怒りや悔しさが込み上げてきたといいます。
 
 オープンの前日、ターンキーというセレモニーがありました。「今からこのコンビニのカギを開けます。ここを開けたら、もう閉まることはない。閉めるときは閉店するときである。」というもので、本部スタッフ、店舗社員、アルバイトスタッフ、全員がそろって行われました。久保さんは、30人からのメンバーをまとめていくことの重大性を感じたそうです。

6.転機

 久保さんが、コンビニの正社員になることを決めたとき、親からは強く反対されたそうです。祖母も「大変そうで可哀そう」と心配したといいます。
 久保さんは、心配をかけまいと家を出ることにしました。久保さんは新店の店長を、結局3年間担当しました。

 3年が過ぎようとしたころ、久保さんは精神的に参ってしまったそうです。働いている最中に涙が止まらなくなることもあったといいます。オーナーに頼んで本店に戻してもらったそうです。

 そんなある日、子供を授かっていることがわかりました。
 そこから、母としての日々がスタートします。

7.モンテッソーリ教育との出会い


 久保さんが子育てをする上で、一番大切にしていることは「自分で決める」ということだそうです。「自分で選んだら仕方ないなと思える。人からどう見られるかは重要ではない。」という考え方を大切にしているそうです。

 コンビニの従業員をみていると、指示されたことはできるが応用が利かないということがよくあったそうです。「間違ってもいい。私はこう思ったからこうしました。結果、失敗しました。こう対処しようと思います。」と考えるチカラを身につけることが大切だと久保さんは考えています。
 そして行き着いたのが、「教育が大切」ということです。どんな価値観を持っているかが大切と考えたといいます。久保さんは、育児に力を入れる決意をしました。

 そんな折、モンテッソーリを取り入れている幼稚園をみつけたそうです。モンテッソーリ教育は、自分から靴を揃えたり、ゴミを拾ったり、誰か見ていなくても行動できる心の強さと、自分にも人にも思いやりを大切にする〝愛〟がベースにあり、〝世界平和は教育から〟という考えです。愛があれば、人を傷つける言葉や行動が出てくるはずがないと考えたそうです。 「これが世界に広がれば、戦争も起こらないはずである。誰かにやさしくしたいという人を増やせば何か変わるかもしれない。」

 久保さんが、モンテッソーリ教育を取り入れている幼稚園を見学したとき、運動会をしていました。組体操は、決められた形を作るのではなく、子供たちが相談して、自由にテーマを決めていました。久保さんは、5歳児・6歳児が自分で考えて動くことができることに驚きました。それまでは、子供には何から何まで教えてあげなければならないと考えていたのが、「やり方ひとつでパワーを引き出せる」ことを発見したといいます。

 それ以来、久保さんは、モンテッソーリの本を読み漁ったそうです。末のお子さんが生まれたときに、上の子は、2歳(保育園)と7歳(小学校入学)でした。授乳しながら、おはじきに名前を書いたり、小学校の宿題の手伝いをしたり、というような状況だったといいます。そんな時、救いだったのが2歳の長男の行動だったといいます。ご長男は、自分で保育園の準備、お片付け、食べ終わった食器の片付けなどをしてくれたそうです。久保さんは特に何も教えていなかったそうですが、保育園で「自分のものは自分で片づける」ことを教えてくれていたのです。

 特に驚いたのが、ズボンをたたむことだったそうです。「お母さん見てみて、はーんぶん、はーんぶん」といいながら自分で畳んでいました。園では、ポケットのついているズボンを推奨していました。自分で自分のお世話ができるように、ハンカチやティッシュをポケットにいれるようにしていました。2歳児の服は、80-90のサイズで小さく、ポケットのついているものはなかなかありませんでした。2歳児が履きやすく、しかも自分でたたむことができるズボンがあったらよいと考えた。

8.ひらめき

 久保さんは、モンテッソーリ教具で色板(いろいた)というものがあるのを思い出しました。それは9色でできていて、それをバラバラに出して、色の濃淡順に並べていく遊びです。
 ぺアリングといって、同じものを並べていきます。「はんぶん、はんぶん」を発展させて、同じ色と同じ色、同じ柄と柄を合わせることで、ズボンを自分ではけたり、畳めたりできるようになると考えました。自分でズボンを作ることができるようになるために、ニットソーイング教室に2年間通って、自分で作れるようになりました。自作のズボンを自分の子供や友達の子供に着てもらったそうです。

 このズボンは、自立応援キッズパンツ「できた」という商品名で販売されています。久保さんが、この商品の販売を通じて伝えたいのは、子供に自分で考えて行動してほしいということ、〝自分でやりたい!〟という気持ちを大切にする事で、挑戦する気持ちや自分でできた、という達成感から自らの考えや行動に自信を持てる、ということ。またそんな積み重ねは家庭の中には沢山あるので、自分でやりたい気持ちを大事にするキッカケになってほしいということ、ママにそれを見守って欲しいということでした。

9.吉村さんとの出会い Link HIRANOの活動

 前回インタビューさせていただいた吉村さんとは、たまたま子供が同い年で、同じこども園だったそうです。当時は、子供を預ける時間帯の違いから接点はなかったそうですが、同じ小学校に進学し、子供が2年生の時に同じクラスになりました。吉村さん、久保さんがそれぞれ別の活動をしていましたが、偶然に顔を合わせる機会がありました。そんなことが重なり、一緒にお茶をすることになり、距離が縮まったといいます。

 久保さんのご主人は、平野学区まちづくり協議会の事務局を担当しています。吉村さんとの出会いを話したところ、ご主人から、「まちづくりは過渡期を迎えている。現在は、年齢層が高いメンバーがまちづくりを考えており、現状と取り組みがずれている。子育て世代がこれからのまちづくりを考えないといけない。」という考えを聞かされました。ご主人からは、プロジェクトチームとして、今のママが思うこと、ママ友のつながりを利用して、意見を集約して取り組んではどうかと提案されたそうです。これを聞いて、久保さんはとてもおもしろそうだと感じました。

 Link HIRANOは、23年8月から開始されました。メンバー各自の仕事Link HIRANOの活動を両立できるよできるように工夫しているそうです。母でもあり、妻でもあり、まちづくり活動もする。一番は家族であり、家族を大切にすると活動のエネルギーにもなるといいます。 Link HIRANOの「 Link 」は、人と人をつなげるという意味があるといいます。

10.取材後記

(深田)
 久保さんのお話を伺って、自分が通っていた保育園がモンテッソーリだったのだと気付ききました。くす玉を自分たちで作るなど、自分たちでものを作ることに重きを置いた教育が行われていました。
 私は障害を持っていますが、その中で皆と同じようにできることはやるという考え方を身に着けることができました。自分で考えて、自分でやる。運動会も先生と相談して、組体操をやりました。
 その経験は、短大での勉強や就活にも役立っています。久保さんの活動は、関わった方々が笑顔になれるご活動で、この笑顔の輪が、もっともっと広がっていけば良いなと思いました。

(曽我)
 今回初めて、モンテッソーリ教育というものを深く知ることが出来ました。
 久保さんの、子供の自立を応援しながら子育てをされているお母さん達を支えたいというお考えはとても素晴らしいと思いました。久保さんが、地域の豊かな人間関係を取り戻すために活動されていることを伺い、私もなにか出来ることがあるはずだと考えるようになりました。
 私も久保さんのように、愛の心で人々を支えられる人間になりたいと思いました。

滋賀短期大学ビジネスコミュニケーション学科
曽我 望愛 深田 澪音

取材後に久保美幸さん(中央)を囲んで


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