「音の空間」と「目の前」の考察とアイディアについて。

ものすごく、ものすごく、音に興味がある。音には何かがある・・・。そんな当たり前すぎるっちゃ当たり前すぎる予感ではあるんだけど、その予感は日に日に確信へと変わっている。

音は現時点のテクノロジーで唯一解像度高くリアルを再現できる五感のひとつだ。おそらくだけど生まれて初めて感じるのも音なのかも知れないし、死ぬときも音だけは最後まで聞こえているという話を聞く。だから誰かを看取るときには、最後まで話し続けるのが良いと思う。

そして、ローレイテンシー(遅延が限りなく少ない)、ハイレゾリューション(音質が限りなく良い)であれば、目をつぶって音だけでも、僕らは世界中のどこへだって行ける。この世界ではないところにも行ける。遠く離れた人同士でも、息遣いをお互いに感じて、音の空間を共有することができる。

なぜなのか。それは、高品質で遅延がない音というのは、音ではないからだ。音ではないなら何なのか?
それは空気であり、気配であり、雰囲気であり、呼吸であり、遠くから聴こえる小さな小さなふくろうの鳴き声であり、夜の静けさであり、朝靄や朝露に濡れた葉っぱから音なくこぼれ落ちる水滴の清らかさなのだ。

高音質低遅延は、オーディオマニアのこだわりではない。
誰もが感じられる、というか、誰もが毎日、今、この瞬間にも感じている原始的で本能的で、もっとも研ぎ澄まされて、もっとも今の技術で高度な処理や再現が可能な感覚なのだ。
あなたは今も耳から様々なものを感じ取っている。

他の五感に例えるなら、「味」と同じだ。
あなたは今は味は舌が感じていると思っているだろう。しかし味のほとんどは「匂い」だ。鼻をつまんで食べるとほとんどのものは違いが分からなくなる。我々は「味」という存在を匂いという気配で味わっている。
あなたは鼻だけでも味わうことができるはずだ。実際に舌の上のみかくで感じることはできなくても、「ああ、なんて美味しそうな匂いなんだ!」とうっとりすることができる。
あなたが「目」で観ていると思っているほとんどは、実は「音」で感じている。だから目を瞑り、耳に感覚を集中させると、目の前に風景が広がり、相手を感じて、空間を共有することができる。闇ですから共有できる。聞こえない音、見えないものまで、高音質低遅延は僕らに伝えてくれる。

それは基本的に誰にでも備わっている感覚なのだ。
僕らはそれに気づいていないだけ。
だから僕は、音の可能性にワクワクしている。
可能性しかない。なんて素敵なんだ!
手つかずの草原が広がっているようではないか。

つまり、高音質低遅延で多拠点をつなぐと、そこには<音の空間>が出現する。今の技術なら、YAMAHAのSYNCROOMというものがある。本来は離れた人同士で最大5人までがPCやMac、もしくはアンドロイド携帯でほぼ遅延なく演奏を楽しむことができる。これはZoomやSkypeでは絶対にできない。

画像3

高音質低遅延は、<音の空間>である。

だからSYNCROOMを使うと、高音質だから相手の息遣いが聴こえるし、低遅延だから本当にそこにいるようにしか思えない。少しぐらい遅延があっても会話は成立するけど、極端に低遅延だと人間の本能としてものすごく自然に感じる。何度も言うけど、お互いの空間が重なり合っているように感じるのだ。わかりやすく言えば、恋人同士でSYNCROOMで話してみるといい。どんなに遠距離でもお互いが数センチのところまで近づけるのが一瞬で分かるだろう。SYNCROOMがSYNCするのは音ではない。空間なのだ。

空間が共有されていると、あらゆることが激変する。

夜、森の中で焚き火を囲んで、ポツリポツリと話をしたことがあるだろう。あのとき、僕らは会話という情報をやりとりしているのではない。火を眺めながら、薪の爆ぜる音を聴きながら、空を見上げ、星を探し、沈黙をやりとりする。空間が共有されていると、そういうことができる。何時間話していても疲れない。夜の森だからこそ話せる話しを、世界中どこにいてもすることができるようになる。まるで瞬間移動のように。

そうすると、そこで生まれるアイディアや感情は、リアルを超える。
なぜか。それは、世界中の誰とでも瞬時に<会える>からだ。
繋がるのではなく、会えるのだ。
情報の交換ではなく、時と空間を共にできるのだ。

画像2

数ヶ月前、エストニアの友人が「地球メトロノーム」をつくりたいという話を聞いた。ずっとずっと前から構想していたのだという。この画像はそれを聞いて僕が勝手につくったイメージ画像なんだけど(だから内容はデタラメ)、そのときから僕は彼の想いを聞き、いつしか彼のプロジェクトは「僕ら」のプロジェクトになっていった。

今でも自分たちで開発を進めているけど、その中でSYNCROOMの凄さを改めて実感した。そしてとにかくいろんな人とSYNCROOMしまくった。「理屈」ではなく「体験」することで、音の魅力にますます取り憑かれていった。そしてリアルに音の空間を共有することでの未来がみえてきた。

音の空間を共有することで生まれる未来

例えば、音の空間を共有することで、誰かの心が本当に癒やされるかも知れない。今の時代、病む要因はいっぱいある。癒やしは音の空間にあるかも知れない。

アーティスト同士が、もしもクラウド上に空間で出会うことができて、そこに直接接続する音楽制作環境があったらどうなるだろう。音楽制作ツール用のプラインでできることはものすごくたくさんある。単に音だけではない。MIDIや、あるいはさまざまなパラメーター、トラックの情報、制御できることは無数にある。ただリアルタイムで高音質低遅延で何かができるという以上の可能性がそこにはある。物理的に会えなかった才能と才能が出会うことで、音楽のあり方が変わるかも知れない。

僕は毎日のように実際に体験しているけど、ミーティングなのか遊びなのか分からないSYNCROOMをいつもしている。
昨日は3時間人生相談を受けた。まったく疲れなかったし、相手の怒りや、悲しみや、息を堪える感覚まで伝わってきた。

ある日は、真面目に話し合いをしながらも、誰かがポロンとピアノを弾き始めた。話をしながら誰かが机をコツコツと叩き始た。誰かが歌を歌い始めた。打ち合わせだったはずが、いつのまにか音楽セッションに変わっていた。そしてそれを続けながら、相談の会話も続いていった。僕はそんな経験を今までしたことがない。そこで生まれたアイディアは、今までとまったく違ったものになった。SYNCROOMは映像がないけど、僕はあのときにハワイと札幌とエストニアと東京の空間がつながったときのことを、まるで実際にあったことかのように思い出すことができる。ビデオなんていらなかった。

あるときは北海道の限界集落の森で突然、木こりたちの音楽会が始まっていた。このときにはSYNCROOMじゃなかったから演奏に参加できなかったんだけど、きっと少し先の未来には、この森と空間で繋がることもできるんだと思うと、ワクワクが止まらなかった。

画像1

僕は今ハワイにいて、3月からずっと半年間もロックダウンだ。日本とハワイの間にひとつの飛行機も飛んでいない。家からでることもままならない。でも世界中と繋がることができる。いや、繋がるのではない。同じ空間に行くことができる。

音の空間とは、<空気>のことである。

それぞれの空間の空気の振動を高音質低遅延は、まるでどこでもドアのようにつなげてくれる。壁をいっきに透明にしてくれる魔法だ。

もしもこの高音質低遅延の技術があらゆるアプリケーションで使えるようになったとき、人々のクリエイティビティやお互いの存在を鮮やかに感じることでのメンタルの変化など、その可能性があらゆるシーンに広がっていく未来を僕は想像することができる。しかも、具体的に。なぜなら、それをもう体験しているからだ。

音は存在そのものだ。

音を、音だけだと捉えてはあまりにもったいない。
これからの生き方は大きく変わる。お互いの人間関係も大きく変わる。
それは<出会い>であり、それは相手の存在を感じることから始まる。

コロナで社会は変化した。離れていてもできることが広がった。
これは大きく歓迎することだ。そして世界中誰とでもすぐ会話はできる。
でも空間を共有したら?相手の存在を肌で感じられたら?そこで何が生まれる?つまり<感覚>の世界がやってくる。僕らは、五感をもっともっと大切にしていくことになるだろう。だから最初は<耳>なのだ。目よりも耳がハイレゾリューションになっていく。なんて面白いんだ。だって、今ある技術でやれるんだもん。

大切なのは目の前にいる人。

21世紀も20年ぐらい過ぎて、そのことに僕らはようやく気づこうとしている。僕らはどんなに頭でっかちになっても、結局目の前のことに日々向き合っていくことしかできないし、それがすべてなのだ。

では目の前とは何なのか?
物理的に目の前に起こっている現象なのか?
違う。物理的な<目の前>もあれば、遠く離れていても<目の前>だと自分自身が感じていれば、それだって立派な<目の前>なのだ。

これは大きな大きなチャンスでもある。チャンスとは、新しい何かのシーンを生み出す瞬間に立ち会うこと。その新しいシーンとは、お互いの存在を感じるということだろう。それを実現するのはコンセプトはなく、すさまじく練り込まれた技術だ。それがSYNCROOMにはある。

コロナで僕らの生活は大きく変わりつつある。この先もリモートでお互いの存在を感じられることはひきつづき重要になる。
僕らにとってそれ以上に大切なことがあるだろうか?

甘党なのでサポートいただいたらその都度何か美味しいもの食べてレポートします!