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人生の終わりのとき③

いろいろ調べてみて分かってきたこと。

日本人の中にある、患者さんは「麻薬に頼ることは悪いこと」、家族は「麻薬を打ったら運命を勝手に決めてしまう」という意識を変えなければならないと思います。

これらは典型的なゼロリスク症候群であり「もし中毒になったら」「もし命を縮めたら」という「もし」が常に来るわけですが、はっきり言うと「もし」なんか言ってる余裕ないし、末期であれば未来もないわけです。あと数週間、もしくは数日を安らかに過ごすことと天秤にかけることではないのに、「もしも死を早めてしまったら」というだけの理由で最後まで苦しむ方があまりにも多い、ギリギリまで我慢して人格崩壊直前で緩和ケアに入る方が多すぎることに、教育の問題を感じます。

だんだん弱い薬から始めて強めていくのは、出来るだけ頼らないほうが美徳なのだからではなく、ちょうど良い量(適切な量)を見極めるためです。少なければ偉いわけではない。なのに、「うん、これは痛いが、、、我慢できるのでこれくらいでOK」ではないのです。痛みをとって(できれば)意識が混濁しないところを狙ってなるべく高いQOLを狙うべきなのです。どう考えても患者さんがまだ精神的にも元気で痛みがかなり強くなってきたかな?というところから緩和ケアをしていった方が、楽しい会話もできるし、充実したときを過ごせるでしょう。死に向かうことは、我慢大会ではないはずです。

「モルヒネなど打ったらわたしがわたしでなくなる」という声も多いようですが、痛みや進行による感情や性格の変化のほうがモルヒネなどより遥かに悪影響を及ぼすでしょう。そもそも印象だけでの決めつけが強すぎです。なぜなのでしょうか。ちなみにモルヒネが大抵は錠剤だとも知らないでしょう。注射じゃないですから。

もちろんきちんと知識を持ちうまくいくケースもたくさんあるとは思いますがそれでもやはり「我慢しちゃう」「ゼロリスクに囚われて自然を優先して苦しむ・苦しめる」が8割だという統計が出てるわけですから、、、「安らかに良い最後を家族と過ごせた」という美しい話しはごくわずかなのだと認識しておかねばならないでしょう。

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